- 2014.09.14
「歩く旅の本 伊勢から熊野まで」福元ひろこさん 3
今週も引き続き、『歩く旅の本』の著者で、作家の福元ひろこさんのお話です。
ヨーロッパ版お遍路さん「サンティアゴ巡礼路」を歩き切り、その後、三重県の伊勢神宮から、和歌山県・熊野本宮大社まで、世界遺産・熊野古道220キロを歩いて旅した福元さん。
すごいのは、この方、本当に一人で歩いちゃったということ。
女性一人の歩く旅。きっと怖い思いもしたんじゃないでしょうか。
高橋:本を読んでいると、虫がたくさん登場しますが、福元さんは虫は大丈夫なんですか?
福元:私は虫、本当にダメなんです。小学生の頃はダンゴムシを平気で捕まえていたんでたんですが、いまは、肘にアリがあがってきたくらいでギャーってなってしまいます。
高橋:でも、自然が豊かな場所だからいるわけですよね。
福元:ギャーっていって逃げるしか無いですよね。危害を加えてこない虫ならば、やはりそういうところを歩かせていただいているので、自然も神様、虫も神様と思うしかないですね。私は8月に歩いたので、アブが結構いたんですが、アブって二酸化炭素に反応して、ずっと追いかけてくるんですね。でも息止めて歩く訳にはいかないじゃないですか。だから逃げ惑っていました(笑)虫が嫌な人は虫がいる時期を避ければいいんですよ。私は中辺路という、別の熊野古道の道も歩いたんですが、それは10月だったので、虫はいませんでした。その代わりにウリ坊が歩いていました。
高橋:ウリ坊がいるっていうことは親もいますよね。
福元:そうなんですよ。ウリ坊が5匹位で道路を横切っていたんですが、背中にちゃんとシマリスみたいな縞があって、可愛い!と思って見てたんですが、はっと気づいたんですよね。親がいるって。それで親を目撃する前に逃げました。
高橋:ひとりで歩かれていると、ピンチなときってたくさんありますよね。
福元:そうですね。私、ピンチの沸点が低いんで(笑)でも、自分でどうにかするしか無いじゃないですか。だから私、ひとりでそういう中を歩く人のほうが、目に見えた神秘体験はなくても、神みたいなものを感じると思うんです。やはり自分の力だけでは歩ききれないし、ピンチをクリアできないんですね。なので、歩かせていただいているというか、神様助けてください、みたいな感覚、自分以外の大いなるものの存在を感じないと、歩き通せないんじゃないですかね。だから世界中の宗教で巡礼の道があるんでしょう。私はどの宗教にも属していませんが、やっぱり歩き終わるとなにか大いなる存在、それは自然なのか生命力なのかなにかわかりませんが、目に見えない大きなもの、サムシング・グレートを感じますよね。
実際本の中で福元さんは、旅を続ける中でいろんな人に助けられたと書いています。
そんな経験もしながら、福元さんは、本当に長い距離を、ひたすら、一人で歩き続けたわけですが、ただ黙々と歩き続けるというのはどんな気持ちなんでしょうか。
高橋:歩くといってもとても長い距離じゃないですか。ヨーロッパでは1000kmですし、日本では200km以上ですよね。歩いている間はなにを考えているんですか?
福元:そもそもは、自分の人生のことをいろいろ考えたいと思って歩こうと考えたので、そういうことを考えようとしていました。しかしとにかく最初は体力もないので「辛い」とか「いつ着くんだろう」ということばかりで、先のことが考えられないんですよ。もう必死なので、一時間先のことも考えられない。それからしばらくして体が慣れてくると、肉体的な辛さがなくなってくるんですけれども、そうすると考え事ができるかと思いきや、淡々と単調なリズムで歩いていると、ちょっとした瞑想のような状態になってきて、思考回路が止まってしまうんです。体がフルに運動していると、ろくに物を考えられず、とにかく五感がどんどん敏感になっていきます。たとえば、山用の分厚いブーツを履いているにもかかわらず、砂利の一粒一粒が感じられるようになっていったり、なんとなくここで空気が変わったっていう匂いを感じたり、五感で感じるという部分が大きくなっていくので、考えるという部分は止まってしまう感じでしたね。その中でも考えていたことがあるとするならば、昼ごはんはなににしようかということですね。もう食べることばかり(笑)
スペインの自然って、まっ平らで、ずっと地平線まで見渡せて、180度地で、180度空なんですよ。ですので、天と地と私というなかで歩いていると、もう考えるというよりも、自然に近くなるというか、人間だって自然の一部じゃないですか。なので、昼ごはんどうしようかなという(笑)それだけしか考えていなかったですね。
高橋:本当になにもないところで考えることが本当の自分の欲求なのかもしれないですね。
福元:でも都会にいると思考を止めるのって難しいじゃないですか。すぐ考えてしまう。でも歩いていて気づいたんですが、頭が動いている時って、意識は今ここにないんですよね。考えているということは前か後ろなんですよ。未来のことを考えていたり、過去のことを考えていたり。だから、考えた瞬間に意識はここになくなるんですね。意識がここにあるときっていうのは、感じている時なんですね。ということを歩いていて学びましたね。だから、歩いていると本当に感じる感覚だけです。
高橋:それを体験するためにも、自分の限界を超えて、他に何も考えられなくなるくらい歩いてみるという経験ってしてみたいですね。
福元:いいと思いますよ。大切なことは、歩くことで物理的な荷物も心のなかの不要なものも捨てていくことだと思うんですが、気をつけないと長い距離を歩くことが偉いと考えてしまいがちです。しかしそれは歩く旅の逆のことだと思っていて、道を歩くこと、自然の中を歩くことで学べることって、競争は必要ないし、正しい道もない、偉いとか偉くないということもないということなのです。なので、自分の感覚を信じて一歩踏み出してください。
福元さんは今月からまた歩くたびに出発しているそうです。2ヶ月かけて、フランスから、スイスのアルプスを越えてローマまでの旅だそうです。気をつけて行ってきてくださいね。
この『歩く旅の本 伊勢から熊野まで』は、東洋出版から出ています。ぜひお手にとってみてください。
今日ご紹介した内容はポッドキャストでも配信中です。
こちらもぜひお聞きください。
【今週の番組内でのオンエア曲】
・年貢 for you feat. 旗本ひろし、足軽先生 / レキシ
・やわらかくて きもちいい風 / 原田郁子
ヨーロッパ版お遍路さん「サンティアゴ巡礼路」を歩き切り、その後、三重県の伊勢神宮から、和歌山県・熊野本宮大社まで、世界遺産・熊野古道220キロを歩いて旅した福元さん。
すごいのは、この方、本当に一人で歩いちゃったということ。
女性一人の歩く旅。きっと怖い思いもしたんじゃないでしょうか。
高橋:本を読んでいると、虫がたくさん登場しますが、福元さんは虫は大丈夫なんですか?
福元:私は虫、本当にダメなんです。小学生の頃はダンゴムシを平気で捕まえていたんでたんですが、いまは、肘にアリがあがってきたくらいでギャーってなってしまいます。
高橋:でも、自然が豊かな場所だからいるわけですよね。
福元:ギャーっていって逃げるしか無いですよね。危害を加えてこない虫ならば、やはりそういうところを歩かせていただいているので、自然も神様、虫も神様と思うしかないですね。私は8月に歩いたので、アブが結構いたんですが、アブって二酸化炭素に反応して、ずっと追いかけてくるんですね。でも息止めて歩く訳にはいかないじゃないですか。だから逃げ惑っていました(笑)虫が嫌な人は虫がいる時期を避ければいいんですよ。私は中辺路という、別の熊野古道の道も歩いたんですが、それは10月だったので、虫はいませんでした。その代わりにウリ坊が歩いていました。
高橋:ウリ坊がいるっていうことは親もいますよね。
福元:そうなんですよ。ウリ坊が5匹位で道路を横切っていたんですが、背中にちゃんとシマリスみたいな縞があって、可愛い!と思って見てたんですが、はっと気づいたんですよね。親がいるって。それで親を目撃する前に逃げました。
高橋:ひとりで歩かれていると、ピンチなときってたくさんありますよね。
福元:そうですね。私、ピンチの沸点が低いんで(笑)でも、自分でどうにかするしか無いじゃないですか。だから私、ひとりでそういう中を歩く人のほうが、目に見えた神秘体験はなくても、神みたいなものを感じると思うんです。やはり自分の力だけでは歩ききれないし、ピンチをクリアできないんですね。なので、歩かせていただいているというか、神様助けてください、みたいな感覚、自分以外の大いなるものの存在を感じないと、歩き通せないんじゃないですかね。だから世界中の宗教で巡礼の道があるんでしょう。私はどの宗教にも属していませんが、やっぱり歩き終わるとなにか大いなる存在、それは自然なのか生命力なのかなにかわかりませんが、目に見えない大きなもの、サムシング・グレートを感じますよね。
実際本の中で福元さんは、旅を続ける中でいろんな人に助けられたと書いています。
そんな経験もしながら、福元さんは、本当に長い距離を、ひたすら、一人で歩き続けたわけですが、ただ黙々と歩き続けるというのはどんな気持ちなんでしょうか。
高橋:歩くといってもとても長い距離じゃないですか。ヨーロッパでは1000kmですし、日本では200km以上ですよね。歩いている間はなにを考えているんですか?
福元:そもそもは、自分の人生のことをいろいろ考えたいと思って歩こうと考えたので、そういうことを考えようとしていました。しかしとにかく最初は体力もないので「辛い」とか「いつ着くんだろう」ということばかりで、先のことが考えられないんですよ。もう必死なので、一時間先のことも考えられない。それからしばらくして体が慣れてくると、肉体的な辛さがなくなってくるんですけれども、そうすると考え事ができるかと思いきや、淡々と単調なリズムで歩いていると、ちょっとした瞑想のような状態になってきて、思考回路が止まってしまうんです。体がフルに運動していると、ろくに物を考えられず、とにかく五感がどんどん敏感になっていきます。たとえば、山用の分厚いブーツを履いているにもかかわらず、砂利の一粒一粒が感じられるようになっていったり、なんとなくここで空気が変わったっていう匂いを感じたり、五感で感じるという部分が大きくなっていくので、考えるという部分は止まってしまう感じでしたね。その中でも考えていたことがあるとするならば、昼ごはんはなににしようかということですね。もう食べることばかり(笑)
スペインの自然って、まっ平らで、ずっと地平線まで見渡せて、180度地で、180度空なんですよ。ですので、天と地と私というなかで歩いていると、もう考えるというよりも、自然に近くなるというか、人間だって自然の一部じゃないですか。なので、昼ごはんどうしようかなという(笑)それだけしか考えていなかったですね。
高橋:本当になにもないところで考えることが本当の自分の欲求なのかもしれないですね。
福元:でも都会にいると思考を止めるのって難しいじゃないですか。すぐ考えてしまう。でも歩いていて気づいたんですが、頭が動いている時って、意識は今ここにないんですよね。考えているということは前か後ろなんですよ。未来のことを考えていたり、過去のことを考えていたり。だから、考えた瞬間に意識はここになくなるんですね。意識がここにあるときっていうのは、感じている時なんですね。ということを歩いていて学びましたね。だから、歩いていると本当に感じる感覚だけです。
高橋:それを体験するためにも、自分の限界を超えて、他に何も考えられなくなるくらい歩いてみるという経験ってしてみたいですね。
福元:いいと思いますよ。大切なことは、歩くことで物理的な荷物も心のなかの不要なものも捨てていくことだと思うんですが、気をつけないと長い距離を歩くことが偉いと考えてしまいがちです。しかしそれは歩く旅の逆のことだと思っていて、道を歩くこと、自然の中を歩くことで学べることって、競争は必要ないし、正しい道もない、偉いとか偉くないということもないということなのです。なので、自分の感覚を信じて一歩踏み出してください。
福元さんは今月からまた歩くたびに出発しているそうです。2ヶ月かけて、フランスから、スイスのアルプスを越えてローマまでの旅だそうです。気をつけて行ってきてくださいね。
この『歩く旅の本 伊勢から熊野まで』は、東洋出版から出ています。ぜひお手にとってみてください。
今日ご紹介した内容はポッドキャストでも配信中です。
こちらもぜひお聞きください。
【今週の番組内でのオンエア曲】
・年貢 for you feat. 旗本ひろし、足軽先生 / レキシ
・やわらかくて きもちいい風 / 原田郁子