- 2014.07.13
東京チェンソーズ1
今週は東京の一番西、西多摩郡檜原村から、「東京チェンソーズ」にスポットを当ててお届けします。
東京チェンソーズウェブサイト→http://www.tokyo-chainsaws.jp/


檜原村は、東京では島を除いて唯一の村です。都心からだいたい車で2時間ほどの場所なんですが、村の9割が森に囲まれていて、本当に東京とは思えない環境が残っている地域です。
三頭山、御前山、大岳山という3つの山は奥多摩三山とよばれ、格好の登山ルートにもなっています。
また、山間を流れる清流では今の時期、鮎も釣れるそうです。
そんな自然があふれる地域で林業を営む若い世代の集団、それが「東京チェンソーズ」です。まるでロックバンドのような名前ですが、10年ちかくこの檜原村で林業を営んでいる方々です。
さて、この東京チェンソーズとはどのような集団なのでしょうか。
檜原村の作業現場で、代表の青木亮輔さんにお話を伺いました。
◆林業を始めたきっかけ
大学が東京農業大学の林学科というところを出たので、元々林業について知識としては持っていました。林業を仕事にするとは思っていなかったのですが、造園のバイトをしていたことがあって、芝生の上を足袋で歩く感触がとても気持ちよくて、こんな仕事ができればいいなと漠然とは思っていました。それで林業の世界に入ろうと思ったんです。

足袋が気持ちいいというのがきっかけだという青木さん。見た目はさわやかなお兄さんという感じですね。
この日はまさに山間の道路沿いの斜面で木の伐採作業をしている最中に、仕事の手を止めて頂いてお話を伺いました。もちろん足元は地下足袋。ちょっとかっこいい、ハイテクな地下足袋を履いていました。
青木さんは大学を卒業後、一度は会社員になったのですが、昔のアルバイトで経験した地下足袋の感覚が忘れられず、林業の世界へと入っていきます。
これがいまから13年くらい前のこと。そこで林業の楽しさ、問題点を知ることになります。
◆もっといろんなことができるはずと独立
元々は檜原村の森林組合に入って、その後合併して東京都森林組合という大きな組織になったのですが、若い人はあまりいませんでした。自分は24歳だったのですが、すぐ上の先輩は50代半ば、その上は60代半ばより上でした。先輩たちは一回り以上年上で、やっぱり山に関する知識をたくさん持っていました。木を一本切るにもいろんな切り方があるとか、色々教えてもらったので、最初はとても楽しかったですね。しかし、こんなに林業が不景気だというなかで、どうしてこんなにのんびりやっているんだろうとも思っていました。
当時の林業は日給だったり、社会保険が無かったり、賞与が無かったり、事務職の人と現場の人で待遇に差がありました。現場で働いている人は危険もありますし、ハードワークです。でも待遇に差があるのはおかしいと思い、職場で交渉をしたんです。月給にして欲しいとか、現場の待遇を向上させる必要があるんじゃないかとか、いろんな話をしたものの、それは難しいということになりました。だったら独立しようと、本当にできないのかやってみたかったというのがひとつの理由です。
また、当時の林業は既成概念にしばられていて、あきらめムードがありました。木材価格が安いとか、いろんな理由探しをしているような雰囲気だったんです。でも、もっといろんなことができるはず、アクションを起こすことでなにかが変わっていくんじゃないかと思ったのももうひとつの理由です。
かつて檜原村の林業は、現在のような木材のために杉やヒノキを切るというものではなく、広葉樹を切って薪、炭をつくるための林業で、檜原村の男性はほとんどが関連の仕事についていたといいます。
しかし、時代とともにその役割は失われ、さらに建物の材料としての国産材の需要も減り続けました。
そんななか、青木さんは林業の世界に飛び込んだわけです。
そして今からちょうど8年前、青木さんは若い林業家とともに独立を決意。東京チェンソーズを立ち上げました。
◆子どもが憧れるような仕事にしたい
最初は4人で独立しました。名前はいろんなアイデアがあったんですが、東京でやっているということがわかるような名前がいいと思っていました。それに子どもにもわかるようなシンプルな名前がいいという話になり、東京チェンソーズにしました。せっかく独立するのであれば、それまでの林業のイメージを払しょくするような、子どもが憧れるような林業を目指したいということが大きなキーワードとしてありました。
地元には森林があって、先祖代々育ててきたような木もある。そういう状況なのに、地元の人が儲からない、危ないといって林業をやらないというのはもったいないと思っていたので、子どもに憧れてもらえるような会社にしていこうと考えたんです。
そして現在、東京チェンソーズは森で働きたいという若いメンバーを少しずつ増やしています。みんな共通して自然が好き、森で働きたいという思いを持つ人たちだそうです。自分たちの足元、東京の森を手入れして林業を活性化することが、ひいては環境を良くすることにつながる。そんな考えに賛同する若き林業家が東京にも集まり始めています。
◆変わり始めた林業のイメージ
いまは正社員が7名。平均年齢は35歳くらいです。自分は37歳、一番上は50歳です。私は元々は広告代理店に勤めていましたが、他にも外資系のコンサルティング会社にいた人とか、雑誌の編集者をしていた人など、異業種からきた人が多いですね。19歳で大学をやめてうちに入ってきた人もいます。
自分がこの仕事を始めたころは、林業は後ろ向きなイメージでしたが、この10年で変わってきたと思います。国も緑の雇用事業というものをはじめて、映画「WOOD JOB!」も緑の雇用事業で林業に入ってきた人の話ですが、自分もその一期生です。それで若い人が入る窓口ができたのは大きな効果があったと思いますね。若い人が入ってくるといろいろなアイデアがあったり、不満があったり、状況が動くんですよね。その結果として、ようやくこの2~3年でひとつの分岐点を超えたんじゃないかなと思います。
林業の会社で平均年齢35歳は若いですよね。また、みなさんは東京の人ばかりでなく、長野や神奈川など、全国から集まってきているんだそうです。本当にみんな森や自然が好きで集まっているんでしょうね。
今回の模様はポッドキャストでも詳しくご紹介しています。
こちらもぜひお聞きください!
【番組内でのオンエア曲】
・THE BALLAD OF MR. STEAK / KISHI BASHI
・ハピエスト・フール / マイア・ヒラサワ
東京チェンソーズウェブサイト→http://www.tokyo-chainsaws.jp/


檜原村は、東京では島を除いて唯一の村です。都心からだいたい車で2時間ほどの場所なんですが、村の9割が森に囲まれていて、本当に東京とは思えない環境が残っている地域です。
三頭山、御前山、大岳山という3つの山は奥多摩三山とよばれ、格好の登山ルートにもなっています。
また、山間を流れる清流では今の時期、鮎も釣れるそうです。
そんな自然があふれる地域で林業を営む若い世代の集団、それが「東京チェンソーズ」です。まるでロックバンドのような名前ですが、10年ちかくこの檜原村で林業を営んでいる方々です。
さて、この東京チェンソーズとはどのような集団なのでしょうか。
檜原村の作業現場で、代表の青木亮輔さんにお話を伺いました。
◆林業を始めたきっかけ
大学が東京農業大学の林学科というところを出たので、元々林業について知識としては持っていました。林業を仕事にするとは思っていなかったのですが、造園のバイトをしていたことがあって、芝生の上を足袋で歩く感触がとても気持ちよくて、こんな仕事ができればいいなと漠然とは思っていました。それで林業の世界に入ろうと思ったんです。

足袋が気持ちいいというのがきっかけだという青木さん。見た目はさわやかなお兄さんという感じですね。
この日はまさに山間の道路沿いの斜面で木の伐採作業をしている最中に、仕事の手を止めて頂いてお話を伺いました。もちろん足元は地下足袋。ちょっとかっこいい、ハイテクな地下足袋を履いていました。
青木さんは大学を卒業後、一度は会社員になったのですが、昔のアルバイトで経験した地下足袋の感覚が忘れられず、林業の世界へと入っていきます。
これがいまから13年くらい前のこと。そこで林業の楽しさ、問題点を知ることになります。
◆もっといろんなことができるはずと独立
元々は檜原村の森林組合に入って、その後合併して東京都森林組合という大きな組織になったのですが、若い人はあまりいませんでした。自分は24歳だったのですが、すぐ上の先輩は50代半ば、その上は60代半ばより上でした。先輩たちは一回り以上年上で、やっぱり山に関する知識をたくさん持っていました。木を一本切るにもいろんな切り方があるとか、色々教えてもらったので、最初はとても楽しかったですね。しかし、こんなに林業が不景気だというなかで、どうしてこんなにのんびりやっているんだろうとも思っていました。
当時の林業は日給だったり、社会保険が無かったり、賞与が無かったり、事務職の人と現場の人で待遇に差がありました。現場で働いている人は危険もありますし、ハードワークです。でも待遇に差があるのはおかしいと思い、職場で交渉をしたんです。月給にして欲しいとか、現場の待遇を向上させる必要があるんじゃないかとか、いろんな話をしたものの、それは難しいということになりました。だったら独立しようと、本当にできないのかやってみたかったというのがひとつの理由です。
また、当時の林業は既成概念にしばられていて、あきらめムードがありました。木材価格が安いとか、いろんな理由探しをしているような雰囲気だったんです。でも、もっといろんなことができるはず、アクションを起こすことでなにかが変わっていくんじゃないかと思ったのももうひとつの理由です。
かつて檜原村の林業は、現在のような木材のために杉やヒノキを切るというものではなく、広葉樹を切って薪、炭をつくるための林業で、檜原村の男性はほとんどが関連の仕事についていたといいます。
しかし、時代とともにその役割は失われ、さらに建物の材料としての国産材の需要も減り続けました。
そんななか、青木さんは林業の世界に飛び込んだわけです。
そして今からちょうど8年前、青木さんは若い林業家とともに独立を決意。東京チェンソーズを立ち上げました。
◆子どもが憧れるような仕事にしたい
最初は4人で独立しました。名前はいろんなアイデアがあったんですが、東京でやっているということがわかるような名前がいいと思っていました。それに子どもにもわかるようなシンプルな名前がいいという話になり、東京チェンソーズにしました。せっかく独立するのであれば、それまでの林業のイメージを払しょくするような、子どもが憧れるような林業を目指したいということが大きなキーワードとしてありました。
地元には森林があって、先祖代々育ててきたような木もある。そういう状況なのに、地元の人が儲からない、危ないといって林業をやらないというのはもったいないと思っていたので、子どもに憧れてもらえるような会社にしていこうと考えたんです。
そして現在、東京チェンソーズは森で働きたいという若いメンバーを少しずつ増やしています。みんな共通して自然が好き、森で働きたいという思いを持つ人たちだそうです。自分たちの足元、東京の森を手入れして林業を活性化することが、ひいては環境を良くすることにつながる。そんな考えに賛同する若き林業家が東京にも集まり始めています。
◆変わり始めた林業のイメージ
いまは正社員が7名。平均年齢は35歳くらいです。自分は37歳、一番上は50歳です。私は元々は広告代理店に勤めていましたが、他にも外資系のコンサルティング会社にいた人とか、雑誌の編集者をしていた人など、異業種からきた人が多いですね。19歳で大学をやめてうちに入ってきた人もいます。
自分がこの仕事を始めたころは、林業は後ろ向きなイメージでしたが、この10年で変わってきたと思います。国も緑の雇用事業というものをはじめて、映画「WOOD JOB!」も緑の雇用事業で林業に入ってきた人の話ですが、自分もその一期生です。それで若い人が入る窓口ができたのは大きな効果があったと思いますね。若い人が入ってくるといろいろなアイデアがあったり、不満があったり、状況が動くんですよね。その結果として、ようやくこの2~3年でひとつの分岐点を超えたんじゃないかなと思います。
林業の会社で平均年齢35歳は若いですよね。また、みなさんは東京の人ばかりでなく、長野や神奈川など、全国から集まってきているんだそうです。本当にみんな森や自然が好きで集まっているんでしょうね。
今回の模様はポッドキャストでも詳しくご紹介しています。
こちらもぜひお聞きください!
【番組内でのオンエア曲】
・THE BALLAD OF MR. STEAK / KISHI BASHI
・ハピエスト・フール / マイア・ヒラサワ