- 2013.09.17
式年遷宮 伊勢神宮の森 -3-




先々週から、三重県・伊勢神宮の森を案内してきましたが、今回でラストです。
今年10月に、20年に一度行われる式年遷宮と、
伊勢神宮を囲む森 『神宮宮域林』の、200年先を見据えた森作り。
この2つを通じて、次の世代、また次の世代へ
受け継がれていくものって、一体何なのか。最後はそんなお話です。
伊勢神宮の南側に広がる、5500ヘクタールの広大な森「神宮宮域林」。この森は、「第一宮域林」と「第二宮域林」の2つに分けられていて、第二宮域林では、200年かけてヒノキを育て、式年遷宮の際の御用材にするための、森作りが続けられています。
そして。大正時代に始まったこの森作りは、しっかり今の世代へ受け継がれ、今年 行われる式年遷宮でついに実を結びました。


◆200年後の姿を夢見て
1300年前から神宮の森の中で木を伐り始め、鎌倉中期にはこの森からの生産は途絶えていたが、今回700数十年ぶりに回復して、お2人方の先生方の基本理念に沿った計画を我々も引き継ぎ、後輩たちもそれにそって事業を進めていったおかげで、今回20%にあたる御用材が生産できた。今後、将来の展望に明るい一筋の光が差した。非常に喜びを感じている。200年後、後輩たちが見届けてくれる。我々では200年後の世界は見届けることができないので何とも言えないが、200年後の姿を夢見て、託して、しっかり植えて下さいとお願いをしている。
この「お二人の先生方」とは、東京大学の川瀬善太郎教授と、
本多静六教授という、大正時代の林学博士のことです。
お2人は、東京・明治神宮の森作りの計画にも大きくかかわっています。
また、本多静六教授は、日比谷公園を設計した方でもあり、
「日本の公園の父」と呼ばれているそうです。
こうした先人たちの立てた森作りの理念は、確実に受け継がれています。
そして、20年に一度の式年遷宮。
なぜ20年に一度、全ての神殿を新しく建て替えるのでしょうか。


◆次の世代へ「受け継ぐ」もの
神殿の建て方、竪穴式で建てられている様式は唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)と呼ぶもの。これだけ技術が進んでいる中で、なぜ腐らない方法でやらないのかという素朴な疑問があると思う。穴を掘ってそこに素木を建てる掘立柱。腐るのを待つような恰好で続けている。そこのところの疑問というのは絶えず我々の祖先から受け継いでいる崇敬の気持ちがある。絶えず神様には若々しくあって欲しい、こうした技術を伝承する過程でどうしても必要だということで、その結果が式年遷宮が繰り返されている。そこで技術が棟梁から下のものに受け継がれ、金具や神宝類もその年の最高の技術で作られる、というのが守られている。
また解体した柱は再度削り、再利用し、全国のお宮さんに無償で分ける。そこからまた新しいお宮として再出発して頂き、また繰り返す。そこでも技術の伝承が起こる。伊勢神宮だけではないということ。全国的に宮大工が修練して自分で建てたという誇りも生まれてくる。
20年ごとに遷宮が行われる理由は諸説ありますが、伊勢神宮の御用材が、なんども生まれ変わり、そこに刻まれた技術や考え方が次の世代へ受け継がれているのは間違いないようです。


◆木は生まれ変わる
宇治橋の外の鳥居は、外宮の棟持柱が利用されている。宇治橋の内側の鳥居は、内宮の棟持柱が再利用される。ご昇殿で20年、鳥居で20年、そこから20年たって鈴鹿峠「関の追分け」の神宮遥拝の鳥居に使われ、桑名の「七里の渡し」の鳥居になる。合計60年再利用される。
あとは地元のお宮さんで細分化されて、使われる。相当長い年月、木はそうして生まれ変わって使われる。これがコンクリートだったらできない。生まれ変わることはなく、壊されるしかない。
神宮の材は「壊される」という言葉ではあるが、解体され削りなおされ、再度使われ生まれ変わる。
非常に意義が深い。見て頂くと、来年、解体された棟持柱で柱が作られる。その時どのくらいの光沢を放っているか。見たら違いが分からないと思う。
削られてどんどん細くなるが、生まれ変わっていく。ヒノキの香りも抜けていない。
伊勢神宮は、正式な名前は「神宮」。
地域の神社は、それぞれの地域の氏神さまですが、伊勢神宮は、日本人全ての「総氏神」という風に考えられています。伊勢神宮の御用材が、全国で再利用される…というのも、それを聞くと納得しますよね。
建て替えられた新しいお宮に「ご神体」を移す儀式。
「遷御(せんぎょ)の儀」は、内宮が10月2日、外宮が5日に執り行われます。
お時間のある方は、出かけてみてはいかがでしょうか。








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