今週も先週に引き続き、神奈川県南西部
熱海と小田原のあいだにある小さな半島の町・真鶴の森のレポートです。

東京ドーム30個分というこの広大な森は現在、県立の自然公園になっていますが、
もともとは、火山の溶岩でできた土地で、萱原…つまり、草っ原だったそう。

実際に見ると、かつて草っぱらだったとは信じられないくらい立派な森が、
これは江戸時代の人々がクロマツを植え、明治時代の人々がクスノキを植え、
その後、人ではなく自然のチカラでスダジイが育ち、
数百年かけて植生が変化していった結果、今の姿になったのだと言います。

そんな真鶴の「お林」には、他にも人と自然の営み、歴史が刻まれています。
ガイドの山﨑陽軒さんの案内で、さらに森の中へと進みました。




山﨑:今度は森林浴遊歩道いきましよう。
ここを進むと灯明山という半島先端部で一番高いところです。



このクスノキ。樹齢150年。明治政府が植えたものだとしたら。
クスノキは全国的にはでっかい木が多い。
巨木ってだいたいクスノキ。
600,700年経ったクスノキでこれの3倍位のもあるので
どれだけでかくなるのかな。200,300年後に見てみたい。



おはやしの入り口にバス停があって、
そこで待っているとネコバスが来そうですよ。


高橋:虫が怖いと思ってきたがいまのところ襲われないですね



山﨑:少なくともそのへんぶんぶん飛んでいるのを見かけない。
たぶんクスノキの出すフィトンチッド、天然物質が影響している。
幹からも葉っぱからも物質を出している。
だから週に何度も歩くがほぼ虫には刺されない。
こんなにうっそうとして見た目は原生林。
クスノキは葉っぱをお風呂に浮かべたり、木そのものを入れてもいい。
香りが良い。あと松の葉っぱも集めて袋に入れてお風呂に入れるといい。
ちょうどここが一番高いところ。あんまり登ってこなかったけど96m。
灯明山という山。もともと灯台があったらしい。


高橋:木がいっぱい生えていて海も見えないですね

山﨑:そのころは萱原だったんですね。
だから海が見えた。江戸時代の初期です。
ただ台風で崩壊してしまって、そのあとはクロマツを植えられたので
灯台再建はされなかった。
でも江戸の初期は真鶴の港はものすごく栄えていた。
なぜなら江戸城の石垣は真鶴から運んだんですね。
真鶴半島中が石場だったんです。
ここから何トンもの石を2つずつ積んで運んだ絵を見たことがあります。
いまも採石場はあるがほとんど取られていない。
小松山でとれる小松石。真鶴半島は全部溶岩、安山岩でできていて、
それを切り出してどんどん運んでいったあとがいまでも残っているんです
。だからもっと真鶴半島はでかかったんじゃないか。
昔は伊豆半島くらいあったのではないか。


高橋:お魚が美味しい街、漁業の盛んという印象はあったが砕石していたとは?

山﨑:今はそうなんですけど、
平安時代から産業だった。源頼朝が鎌倉の街を作るのにも使われた。
鎌倉になって東京になって江戸になって




山﨑:お林のルールが4つある。
とらない・すてない・もやさない・ふみこまない。
遊歩道の入り口位ルールの看板がある。
本当にみなさんに着てほしい。海もあるし町は美の基準条例という、
昔ながらの景観を守ろうという条例があって、
街の散策が楽しい。大きな建物がない。
港があってもともと真鶴は漁師さんや石を運ぶ船を持つ人たちが
港の近くに家を立てて、
朝起きて海の様子がどうかを観るために
どこの家からも海が見えるようになっていた。
だんだんになったところに互い違いに家を建てる。
ある程度のスペースを確保して港が見えるようになっている。
逆に海から見ると全ての家が見える。
伝統的に作られていて、家と家は細い裏道で繋がっていた。
背戸道。みんな背戸道をとおって交流するという町の風景があった。



今回も、「お林」のレポートお伝えしました。


【今週の番組内でのオンエア曲】
・Skylight / ガブリエル・アプリン
・渚 / スピッツ

パーソナリティ

高橋万里恵
高橋万里恵

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