- 2014.03.30
沖縄 サバニの歴史とサバニレース
今週は、先週に引き続き、南国・沖縄の漁師さん「海人(うみんちゅ)」と、森の木の関わりについてお届けします。

沖縄・糸満の海人たちが、かつて漁をするために使っていた舟「サバニ」。
「サバ」とは、沖縄の言葉でサメのこと、「二」は舟のことです。
糸満の海人たちは、サメをはじめ様々な海の幸をとるために、改良を重ねた「サバニ」を自在に操り、ハワイやサイパン、フィリピン、シンガポールにまでいって漁をしていたといいます。
一方、糸満の船大工たちは、船造りに適した素材・宮崎の飫肥杉(おびすぎ)と出会い、より性能の良い舟を、海人たちに提供するようになった…というのが先週のお話でした。
しかし現在、サバニを使った漁は行われていません。
なぜサバニは使われなくなってしまったのでしょうか。
前回に引き続き、糸満の海人文化の語り部・上原謙さんお話を伺いました。
◆サバニの歴史
サバニを使った漁は戦後、昭和の初めくらいまでは行われていました。しかし戦後、米軍がやってきて、米軍の軍作業の仕事が入るようになると、天気に左右される漁の仕事とは違い、安定した給料が出る。また海より陸(おか)の仕事のほうが安全ということで、次第に廃れていきました。また、糸満は遠浅で海の幸がいっぱいでサンゴ礁もあったんですが、埋め立てや、農薬、家庭排水によってサンゴ礁が死んでしまいました。すると漁ができない。そして小さなサバニで漁はできなくなりました。お年寄りに聞くと、昔はジュゴンもいたといいますが、沖縄全体から自然がなくなりつつあります。しかし最近、慶良間が国定公園に指定されました。これはいいことですね。
いま、サバニを「帆かけサバニレース」という形でスポーツ化して復活させています。座間味から那覇港までのレースなんです。15年ほど前に古いサバニを自分たちで修繕し、帆掛けにして生き返らせました。それをヨットマンが操りました。彼らはヨット用語を使いますから、たとえば櫂(かい)のことをオールといったり、パドルといったりしていたのですが、僕は糸満の海人が使っていた言葉を継承し、戻そうとしています。帆のことを「フー」といいますが「フーカキサバニ ハラセー大会」としてやっています。


サバニの伝統を守るために、現在,毎年サバニを使ったレースが行われています。
今年の開催は、6月21日・22日の2日間。
詳しくは、サバニレースのサイトをご覧ください。
実は、上原さんのお父さんは、元々海人。サメに足をかまれたことで海人を引退して、船大工になった方です。戦後にアメリカ軍から配給された木材を使って、「南洋ハギ」という新しいタイプのサバニを発明した方として有名なんだそうです。そして今、お父さんの船大工としての仕事をすぐそばで見てきた上原さんは、NPO法人「ハマスーキ」の理事長として、サバニなど、糸満の海人文化を展示する施設を運営しています。糸満市にあるハマスーキの施設には工房もあって、そこではサバニ作りが今も行われています。ただ、サバニを作ることのできる船大工さんは、現在では数少ないといいます。


◆サバニの文化を継承するために
糸満には大城清さんと高良さんの2人しか残っていません。沖縄全体でサバニが作れるのは、宮古出身の新城さんが八重山に、伊江島に糸満出身の人がいるだけです。ですが、後者2人は80歳を超えているので、いつまでも作れるわけではありません。注文があれば作れるでしょうが、いまはそんな注文はなかなかありません。大城清さんと高良さん2人ができないと終わりになってしまいます。
そこで、後継者を育成するためにサバニをスポーツ化しました。大きいものはお金もかかるので作れませんから、2人くらいで乗れるようなものを作ろうという計画をしています。カヌーのように2人で遊べるようにしたいんです。大城さん高良さんで一つずつ作ろうという計画です。どうにかして舟の注文がくるようにとやっています。




こちらが、上原さんのお話にあった二人乗りのサバニ。小さいカヌーに帆が付いている感じです。結構乗りこなすのも大変そうなんですが、海に出て風を受けて走っている様子は本当に気持ちよさそうでした。上原さんがおっしゃっていたように、いま、サバニを作ることのできる船大工さんは本当に限られていますが、スポーツ化によってサバニの文化が継承されるといいですね。
実は今回の取材では、その貴重な技術を受け継ぐ船大工さんのおひとり、大城清さんにもお話を伺うことができたんです!そのお話は、また来週お届けします。
上原さんのお話はポッドキャストでも詳しくお届けしています。
こちらもぜひお聞きください!
【今週の番組内でのオンエア曲】
・樹海の糸 / Cocco
・イラヨイ月夜浜 / 大島保克

沖縄・糸満の海人たちが、かつて漁をするために使っていた舟「サバニ」。
「サバ」とは、沖縄の言葉でサメのこと、「二」は舟のことです。
糸満の海人たちは、サメをはじめ様々な海の幸をとるために、改良を重ねた「サバニ」を自在に操り、ハワイやサイパン、フィリピン、シンガポールにまでいって漁をしていたといいます。
一方、糸満の船大工たちは、船造りに適した素材・宮崎の飫肥杉(おびすぎ)と出会い、より性能の良い舟を、海人たちに提供するようになった…というのが先週のお話でした。
しかし現在、サバニを使った漁は行われていません。
なぜサバニは使われなくなってしまったのでしょうか。
前回に引き続き、糸満の海人文化の語り部・上原謙さんお話を伺いました。
◆サバニの歴史
サバニを使った漁は戦後、昭和の初めくらいまでは行われていました。しかし戦後、米軍がやってきて、米軍の軍作業の仕事が入るようになると、天気に左右される漁の仕事とは違い、安定した給料が出る。また海より陸(おか)の仕事のほうが安全ということで、次第に廃れていきました。また、糸満は遠浅で海の幸がいっぱいでサンゴ礁もあったんですが、埋め立てや、農薬、家庭排水によってサンゴ礁が死んでしまいました。すると漁ができない。そして小さなサバニで漁はできなくなりました。お年寄りに聞くと、昔はジュゴンもいたといいますが、沖縄全体から自然がなくなりつつあります。しかし最近、慶良間が国定公園に指定されました。これはいいことですね。
いま、サバニを「帆かけサバニレース」という形でスポーツ化して復活させています。座間味から那覇港までのレースなんです。15年ほど前に古いサバニを自分たちで修繕し、帆掛けにして生き返らせました。それをヨットマンが操りました。彼らはヨット用語を使いますから、たとえば櫂(かい)のことをオールといったり、パドルといったりしていたのですが、僕は糸満の海人が使っていた言葉を継承し、戻そうとしています。帆のことを「フー」といいますが「フーカキサバニ ハラセー大会」としてやっています。


サバニの伝統を守るために、現在,毎年サバニを使ったレースが行われています。
今年の開催は、6月21日・22日の2日間。
詳しくは、サバニレースのサイトをご覧ください。
実は、上原さんのお父さんは、元々海人。サメに足をかまれたことで海人を引退して、船大工になった方です。戦後にアメリカ軍から配給された木材を使って、「南洋ハギ」という新しいタイプのサバニを発明した方として有名なんだそうです。そして今、お父さんの船大工としての仕事をすぐそばで見てきた上原さんは、NPO法人「ハマスーキ」の理事長として、サバニなど、糸満の海人文化を展示する施設を運営しています。糸満市にあるハマスーキの施設には工房もあって、そこではサバニ作りが今も行われています。ただ、サバニを作ることのできる船大工さんは、現在では数少ないといいます。


◆サバニの文化を継承するために
糸満には大城清さんと高良さんの2人しか残っていません。沖縄全体でサバニが作れるのは、宮古出身の新城さんが八重山に、伊江島に糸満出身の人がいるだけです。ですが、後者2人は80歳を超えているので、いつまでも作れるわけではありません。注文があれば作れるでしょうが、いまはそんな注文はなかなかありません。大城清さんと高良さん2人ができないと終わりになってしまいます。
そこで、後継者を育成するためにサバニをスポーツ化しました。大きいものはお金もかかるので作れませんから、2人くらいで乗れるようなものを作ろうという計画をしています。カヌーのように2人で遊べるようにしたいんです。大城さん高良さんで一つずつ作ろうという計画です。どうにかして舟の注文がくるようにとやっています。




こちらが、上原さんのお話にあった二人乗りのサバニ。小さいカヌーに帆が付いている感じです。結構乗りこなすのも大変そうなんですが、海に出て風を受けて走っている様子は本当に気持ちよさそうでした。上原さんがおっしゃっていたように、いま、サバニを作ることのできる船大工さんは本当に限られていますが、スポーツ化によってサバニの文化が継承されるといいですね。
実は今回の取材では、その貴重な技術を受け継ぐ船大工さんのおひとり、大城清さんにもお話を伺うことができたんです!そのお話は、また来週お届けします。
上原さんのお話はポッドキャストでも詳しくお届けしています。
こちらもぜひお聞きください!
【今週の番組内でのオンエア曲】
・樹海の糸 / Cocco
・イラヨイ月夜浜 / 大島保克