今週、ご紹介するのは、岩手県・陸前高田市を発祥とする【気仙大工】です。
気仙大工とは、東北に古くから伝わる、優れた技術を持つ大工さんの集団のこと。代々受け継いだ技と知恵で、森の木々を上手に活かしてきた人達です。今回は、その技を後世に伝えようと活動を続ける、本物の気仙大工の方にお話を伺うことができました。


岩手県陸前高田市・小友町にある、『気仙大工・左官 伝承館』です。
小友町は、江戸時代に気仙大工が生まれた場所と言われていて、伝承館の建物は、気仙杉など地元材を使い、気仙地方…つまり陸前高田市、大船渡市、気仙沼市のあたりの明治時代の民家をモデルに、当時の建築様式で建てられています。


ご案内いただいたのは、気仙大工の技術を受け継ぐ60年以上のキャリアをもつ大工さん、村上幸一さん。気仙大工の棟梁として、全国の神社仏閣など多くの建築に携わり、日枝神社の神楽殿や、鎮座した後の明治神宮や出雲大社の建築にも関わってきた方です。震災前から、気仙大工の技術を伝える活動を続けていて、現在は、陸前高田市の仮設住宅で生活しながら、活動を続けています。村上さんに、伝承館の随所に見られる、気仙大工の技をたくさん教えていただきました。


船外つくり
この辺りは海のそばなので、平坦地がないため軒を広く出して、煮干しなどを干す場所として軒下を利用していました。小屋代わりにもなっていたののです。船大工がこのあたりは多かったので、船の技法を取り入れた技法です。


戸袋
雨戸を収納するための戸袋(とぶくろ)。これは大工の見せ場。
ここにお金をかけていました。家はお金があるんですよ、という一つの見栄。例えばこの欄間のところにその家の家紋を入れたり。小さいけど、なかの細工よりも、これに大工さんは一番手間をかけていました。


三段梁
梁が三本重なっている「三段梁」。これが大工さんの腕の見せ所。こんなに重ねなくても家はもつところを、三本使ってさらに強度をあげることで、100年でも200年でもびくともしない家になる。

そして村上さんが受け継いだ気仙大工の技には、森に対する敬意や、木とともに暮らすための知識も一緒に伝えられていました。

適材適所
「俺の体験。俺は中学校が終わってすぐに大工の丁稚奉公に行った。師匠はお寺神社専門だった。そこで修行をしましてね。木を切る時から、これは柱、これは桁、と、適材適所で当時は木を見ていました。適材適所に木を見なければいけない。木はいきたい方に曲がる。右に曲がる木も左に曲がる木もある。うまく性格を見て、適材を見て適所に使う。そのとおりに使って初めて適材適所。どこに使ってもいいわけではない。
一番簡単な方法は、例えば太陽を見ている南側の面を、北側の面に使ったらどうなるか。今まで太陽を見たことがない面だから狂う。だから東西南北をきちっと使わなきゃダメ。そのように使わなければ本当の材木の性能は引き出せない。それを上手く使うから、100年も200年も持つ。材料を適材適所に使うのは、当たり前のこと。」



来週は、気仙大工という優れた大工集団が生まれた理由、
その歴史についてお届けします。

ポットキャストでもお楽しみください!
いのちの森 voice of forest。
今回は、月に一度、FM各局から、日本の木を使った生活や、
森や国産材の魅力を紹介する、『COOL WOOD JAPAN project 』をお届けします。

島根県から、FM山陰のレポートをご紹介します。
クローズアップしたのは、木材を活用した暖房器具『薪ストーブ』です。


この薪ストーブを上手に活用した暮らしを推進しよう!と活動をしているのが、島根県の松江市を中心とした集まり『薪ストーブ同好会』です。9月現在でメンバーは53世帯。放置されていた森や里山を整備して、そこから出た木材を、薪ストーブの燃料として活用する、という取り組みを続けています。

さて、島根県の松江市を中心とした集まり『薪ストーブ同好会』。
こちらは、薪ストーブを愛好する人たちに呼び掛け、里山の資源を活用し、豊かで美しい里山風景を取り戻すために活動中。里山の再生・整備を続けています。
また、年に3回ほど、「薪わり大会」というのもやっています。これ、薪わりで「ストレス解消!」したい目的で参加する方も多いそうですよ。

森や里山を整備して出た廃材を薪にする。薪ストーブで燃やして冬を過ごし、そこで出た灰は畑に捲いて肥料にする。畑から出来た野菜の恵を、また薪ストーブで調理する!薪ストーブ同好会の方々は、こうした森の循環の中で生きることを楽しんでいるわけです。

ちなみに、薪ストーブを使うと、「3回体が暖まる」と言われます。
薪を割って温まり、薪を焚いた火で温まり、その火で作った料理で温まる…。
なるほど!!

そして、薪を使った「薪ストーブ」の購入にも、木材利用ポイント事業が適用されています。
スギやヒノキやカラマツなど、地域の木材で家を建てたりリフォームしたり、
そうした木材の家具を購入するとポイントがもらえるこの事業。
薪ストーブの他にも、おが屑などを再利用した「木質ペレットのストーブ」の購入でも、同じようにポイントがもらえます。そして、ポイントに応じて、地域の美味しい作物・海の幸・商品券などに交換することができるわけです。

この事業は、地域の木材を利用することによって、森の整備や保全につなげ、林業だけではなく、農業や漁業の振興にも貢献していこうという目的で、行われています。
くわしくは、「木材利用ポイント」で一度検索してくださいね!!
今週は、番組で継続してお伝えしている、
「瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」のレポートです。



この取組は、東日本大震災で発生した震災ガレキを“活かして”
津波から命を守る「防潮堤を作ろう」というもの。
その、大事な行程の一つが、木を植えることです。
今回は10月6日(日)に、福島県・南相馬市で行われた、
植樹祭の模様をお届けします。

◯参加したボランティアの方の数はおよそ3,000人。
◯合計20,000本の苗木が、右田浜のキャンプ場跡地を
造成したマウンドに植樹されました。

この植樹祭を主催した、南相馬市 桜井市長は、南相馬市の計画を、こう話します。

「津波で亡くなられた方に対して、鎮魂と同時に彼等の命を無駄にしないため、
災害瓦礫や家屋を瓦礫と呼ぶのではなく、命を守る資材として活用しています。

植林した上で命を再生させるというプロジェクトに多くの方々が来たことは、我々としても力強い!

市民が一歩、前に向かって踏み出しているという意味では大きな歩みです。

人間の知恵は積み重なってきている。
今だけの解決ではなく、100年後、1000年後に対する我々の使命を考えた上で
それぞれの選択があるといいなと思います。」

今回の植樹祭も、震災と津波で発生した瓦礫を砕いた再生コンクリートと、
同じく震災で発生した土砂を利用して、高さ3メートル、
幅50メートル、長さ100メートルのマウンドが造られました。

このマウンドで、ボランティアの方々に植樹を指導したのは、
森の長城プロジェクト 副理事長で横浜国立大学名誉教授、
植物学者の宮脇昭さんです。



宮脇さんは変わらずパワフル。
今回の植樹祭も、もちろん
宮脇さんが長年 提唱する「潜在自然植生」の考え方に基づいて行われました。

植えられた樹木の種類は、タブの木やシイの木など、およそ15種類。
これらの木が、15年から20年かけて、命を守る森に育つことになります。

一方、南相馬市は、今後の植樹について
「関係機関と協議の上、進める予定」としています。

この活動は継続され、
将来的には19キロの森の防潮提を作る計画ということです。

植樹する木々は、地元の母樹から落ちるどんぐりを育ててつくった苗。
どんぐりから植樹できる苗まで育てるのに、2年ほど時間がかかるため、
苗作りを地元で行って欲しいと、
森の長城プロジェクトは考えています。

番組ポットキャストもお聞きくださいね!

今日は先週に引き続き、東京を代表する大きな森、明治神宮の森にご案内します。

大正時代の森の賢人たちが、永遠に続く森を作ろうと、150年先を見据えて計画した人口の森。それが明治神宮の森です。今日は、その森がどのように育ち、いまどうなっているのかをお届けします。



大正時代に活躍した東京大学の林学者 本多静六氏など専門家が考えた明治神宮の森作り。それは、荒れ地だった土地に、成長速度の違う樹木を順番に植えることで、150年かけて、この場所にふさわしい森を育てようという計画でした。

この150年というのは、最初は松の木、次にヒノキや杉が育ち、やがてシイの木など常緑広葉樹が育つまでにかかる時間のこと。当時の学者たちは、人間の寿命よりずっと長い年月を見据えて、森自体の力で、世代交代を繰り返す森を作ろうとしたんです。

◆明治神宮の森 50年後の調査
この森は本多先生たちが4段階で推移していくと計画を作り、それにしたがって木を植えていった。樹木そのものは全国から頂いた献木。10万本を頂いて11万人のボランティアでできた森。森を作ったときは、元々あったもの、献木で外から来たもので12万本、365種類だったが、どうなったかというと、50年後に調査をしたところ、樹木種類は247種類。100種類が絶えていった。その代わり本数は、12万本だったのが17万本と徐々に増えている。そんなふうに、樹種は減ったが森全体としてはこどもたちも出てきて本数が出てきている。本多先生たちが作った計画の素晴らしさがある。それと同時にここに森があると自由に使ってみたい、入ってみたい、触ってみたいというのが普通だが、おいでになる方々がガマンして森のなかに入らなかった。だから一つ一つの小さなどんぐりが育ち、根本を踏みつけられて弱ることもなく、訪れた人たちが守ってくれたおかげ。おちたどんぐりから芽が出てくる。これが林の中にあり何かの拍子で一本枯れる、枝が折れる、光があたってくるとあたったところが成長し始める。その辺にある木も二代目。7-8mの無垢の木。そのむこうにシラカシ。両方共「俺は次の跡継ぎだぞ」と一生懸命競争しているところ。



・・・さて、計画が始まっておよそ100年経った現在。
明治神宮の森の中では、落ちたドングリが芽を吹き、育ち始めています。
当初の予想以上の速度で、理想の森になりつつあるわけです。

さらに、この森作りの計画には、野生の鳥たちも関わりについても記されています。

◆野鳥が森を守る
樹木には特有の病気、それを好む虫があります。またそのために一斉に植えた林、森が壊滅的な被害を受ける例も各所にあります。だけどこの森はそうならないように配慮してあるから後の人は神経質になるなと言っています。シラカシがあれば、くすのき、しいのき、けやきがあって、隣り合わないように植えているのです。くすのきならくすのきに虫がついてもすぐには広がらないから心配するな。森が大きくなると鳥が住みつき、食べてくれる。ということも計画書に書いてあります。固有の虫がつくが比較的そのまま頬ってある。年間で野鳥が50種類。渡り鳥もいる。そういうものたちがこの森を自然の力で守ってくれていると思っています。


最後に、毎日、森の表情の移り変わりを見つめている、沖沢幸二さんが思う、明治神宮の森の魅力について伺いました。

◆夜の森
きっとこの地域では、神社の森というのは地域の人々が見守り、地域の人のやすらぎの場だと思う。非常に楽しい森。日々、森の形、顔、木々の色合いが毎日変えていく。それを日々みながら、この森で仕事をしているというのは幸せなことだし、贅沢なことなんだろうと。ぜひお宮に参拝になったら、一つ一つの木の形、佇まい、色合いも楽しんでいただきながらご参拝頂けるといいのかなと思っています。これは余談ですが、夜も時々徘徊しています。懐中電灯を付けずに・・・森の別な顔も聞こえ見えてくる。色んな虫の声、鳥の声が聞こえます。意外と星がよく見えるんです。三等星くらいまでは見えて、絵に描いたような星座の形になります。これはここにいるものの特権というところでしょうか。


こうして、今も成長し続けている、明治神宮。
150年先も楽しみです!

番組では、「あなたの身近の森について」メッセージをお待ちしています。
メッセージは番組webサイトからお寄せください。
あなたの周りの神社の鎮守の森についても、ぜひ教えて下さい。
今週、ご案内するのは、東京を代表する大きな森。明治神宮の森です。
日本一の参拝客を集める初詣スポットとしてしられる明治神宮は、東京ドーム15個分、70万平方メートルという広大な鎮守の森に囲まれています。

東京・渋谷区という大きな街の中心に、なぜこれほど大きな森があるのでしょうか・・・
実は、このあたりは、元々は「森ではありませんでした」。
この地に明治神宮を鎮座するにあたり、人の手によって造られた人工の森、
それが明治神宮の森なんです。

江戸時代、このあたりの土地は熊本藩・加藤家、彦根藩・井伊家など大名の下屋敷がありました。その後、明治維新を経て、土地は御料地…つまり皇室のものとなったのですが当時は、ほとんどが畑や荒れ地だったと言います。


◆明治神宮の森 誕生まで
明治天皇様がお亡くなりになって、ご聖徳を偲ぶためのお宮を、という声が全国から上がり、四十数箇所の候補地の中からここに決まりました。まず森があってお宮というのが普通ですが、まず場所がここに決まり、その次に、「お宮には鎮守の森が必要だ」ということになったのです。そこへ出てきたのが日比谷公園などを作った本多静六さんと本郷高徳さん、上原敬二さんたちです。その後、こうしてこの森を作ったんだよ、というのを本郷高徳さんが『林縁計画書』として残してくれています。私たちも当時 森を作った想いを大切にしながら、より良い姿でもって引き継ぐのが仕事だと思っています。


現在、明治神宮の森を管理している 沖沢幸二さんによると、
時代は明治から大正へ。この土地に明治神宮を鎮座して、その「鎮守の森」を作る計画が立ち上がりました。それは、明治神宮にふさわしい永遠の森を目指す壮大なプロジェクトだったそうです。
計画したのは、以前、あの「伊勢神宮の森作り」を紹介した時に登場した、本多静六氏など、当時の林学者です。


◆明治神宮の森-森作りの工程表
まず、ここをどんな森にしようかと話し合われました。お宮というと杉や桧。伊勢神宮も日光もそう。当初ココもそういうものにしたいと当時の総理、大隈重信さんにはありましたが、森作りを担当した本多静六さんたちは、猛反対の声をあげました。
杉やヒノキはこの土地の性質や都会の環境には合わないこと。またこの土地そのものが関東ローム層で非常に乾燥しており、ヒノキは適当な湿り気がないとダメだということでなんとか説得しました。
神社の森は切ったり植えたりをするのではなく、最終的には自然の力で世代を交代していくというのが、鎮守の森としてふさわしい。そういうものは常緑広葉樹、かし、しい、くすなどで森を作れば、切ったり植えたりすることなく自らの力で世代交代をする森ができると考えました。

◆4段階に分けられた森作りの工程表
一段回目としては、常緑広葉樹は最初は成長が遅い。まずは成長の早い、松を主体とした森、次に杉や桧を下に植え込む。その下に将来この森を担う、くすやかし、しいを植えこんで、その下に小さなあおきなど灌木類を植えていく。そうすることで50年くらいたつと、杉やヒノキに松の成長が負けて衰退、杉とヒノキの森へと変わり、更に50年後には、常緑広葉樹の成長に負けたスギ・ヒノキが衰退していく。さらに次の4段階目では、しいやくす、かしという常緑広葉樹が、森の一番上を占めて、その下に子どもができて自然の力で世代交代をする森というのが、4段階の形。
それで森ができたという人もいますが、神社の森としては、ちょうど常緑広葉樹の森がスタートしたところ。これから本数が増えたり減ったりしながら、自然の力でうねりながら、また200年~300年経過して、神社の本当の森らしい森ができていくのだなと思い、日々そんな風に森を見ているんですよ。



そして大正4年。人が手を加えなくても、自然の力で世代交代を続ける「永遠の森」を目指した森づくりが始まり、現在。当初は「150年後にそうなるだろう」を予想していた森は、およそ90年で、早くも当時 予測していた森の姿になっているといいます。

『いのちの森 voice of forest』。来週は、明治神宮の森・後編。
100年先、200年先を見据えた森の、今の姿についてお伝えします。
お楽しみに。


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高橋万里恵
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