- 2022.07.17
「日本ならではの森」神奈川県真鶴半島_①
暑い日が続く中、番組は涼を求めて森へ!
場所は神奈川県南東部・真鶴町。
熱海と小田原のあいだにある相模湾に突き出た真鶴半島を含む小さな町で
この真鶴半島のさきっぽには、
何百年をかけて大きく育った、まさに「日本ならではの森」が残っています。
その森を、観光ガイド・山崎陽軒さんに案内していただいた様子を数回に分けて、お伝えします。

高橋:いま入り口に行きましたが、「御林」と書いてありますが、すごくありがたい感じがしますね
山崎:真鶴町の人にとって、ここは聖域なんですよね。
「お」をつけて歴代何百年も前から言っています。
もともと小田原藩、幕府の持ち物だったんですね。
御留山といって中に入っちゃいけない山だったんですよ。
その後は明治になって皇室の御料林になりました。
だから天皇家のものなので「御」をつけて。

高橋:確かに。「林」とは言えないですね。いつから入れるようになったんですか
山崎:1952年かな。戦後、御料林から国有林になって、
そこから5年ぐらいして町に払い下げられてからは
自由に出入りできるようになりました。
ここは遊歩道が整備されています。ちょっと別世界ですよね。
御留山だった頃、御料林だった頃は一切人の入れない場所だったので、
自然の植生になっているんですよね
高橋:じゃあこの森は、自然にこういう形になっていった森ということですか。人が手に入れたわけではなくて?
山崎:今はそうなんですけど、
もともとはこの半島の先端部全体が萱原だったと言われています。
萱がしょぼしょぼ生えているくらいの草原。
江戸時代の初め頃は大きな木がなかったみたいです。
今のこの風景を見ると全然想像できないんですが、
きっかけとなったのが江戸時代の明暦の大火、
1657年。江戸の町の6割が焼けたそうです。
その江戸の街を復興するために全国各地に木を植えるよう幕府が命じて、
小田原藩はクロマツを植えたんですね。

山崎:それが1661年。
3年間かけて150,000本のクロマツを植えたんです。
1661年の火事には間に合わないですが、
今後火事が何度あっても復興できるようにということで、
そのために幕府の政策として全国に木を植えたんですね。
そして、いま歩いてきたのがおはやし遊歩道なんですが、
ここと交差しているのが森林浴遊歩道なんです。
山崎:お林の歴史、御留山だった1661年から明治維新まで、
小田原藩が管理していた頃は本当に手付かずの森。
その後は明治になってクスノキが植えられたんですね。
明治政府の殖産興業の政策の一環で、
クスノキの木を植えて樟脳を取ろうと。
防虫剤にもなるし、樟脳はその頃ものすごくいろんな使い道があったらしいです。
弾薬の材料になっており、薬にもなって、いろいろな効能があって、
日本は世界の8割くらいの生産量を占めていたらしいです。
ヨーロッパですごく珍重されていたんですね。
セルロイドも樟脳でできるんです。
写真や映画のフィルムも樟脳からできていたんですけど、
それが石油製品に変わっちゃったので
樟脳は使われなくなっちゃったんですよね。
だからクスノキも伐採されることなく、
そのまま残っているという形。
高橋:じゃあその時はここはクロマツとクスノキが混在しているような森だったんですよね

山崎:一般の人が入れないので写真もないんですけど。
それで、だんだんそれがクスノキばかりが育って
今では一番目立つのがクスノキですね。
大体お林の中で大きな木はクスノキです。
30メートルくらいあるんですかね。
この中心にあるのはクロマツですよね。
小田原藩のクロマツを象徴するようなクロマツで、
だからこの交差点のところにあるんですね。
そしてその後は自然に生えてきたスダジイが増えました。
いまは本数で言えばスダジイが一番多いです。
高橋:お話聞きながら歩いているときに、最初はクロマツを植えたとおっしゃっていましたが、クロマツはあまり見かけないと思いました。
山崎:だんだん植生が変わってきているんですよね。
クロマツは何しろ植えてから350年ぐらい経っているわけじゃないですか。
どんどん枯れちゃったんです。
大体自然に生えているクロマツは400年前後から寿命じゃないかと言われていて、
もうほぼ全部が寿命の時期なんですよね。
あとは松食い虫という虫の被害もあって、
年間40から50本のクロマツが立ち枯れしている。
クロマツは日光が100%当たる場所じゃないと育たないんです。
だから森の中ではまずは育たないんです。
高橋:今の状況を見ると日光が入ってきていないですもんね

山崎:だからこの森、お林のコアの部分では増えないんですけど、
ただ海岸のほうに行くと横から日光が入りますよね。
そういうところでは増えています。
自然の生態系の移り変わりなんですが、
奇しくも明治神宮の森と一緒なんですね。
そこの森は人工的に作られたもので、1920年にできたのかな。
だからちょうど100年なんですよ。
最初に松を植えて、針葉樹が主木だったんです。
そこからシイやカシやクスノキを同時に植えるんですが、
そっちの方が育ってきて、50年後100年後には主木になると。
150年たったらそれが自然に、連続して移り変わるような植生になるだろうと想定して、
当時設計をした森、人口の森なんですよね。
今ちょうど100年でそろそろ自然に生え変わるような時期になっているんですが、
ここはクスノキを植えて150に立っています。
だから明治神宮の50年先を行っているんですよ。
自然の移り変わりの場所になっています。

今回は、300年以上の時間をかけて育った大きな森、「お林」のレポートお伝えしました。
【今週の番組内でのオンエア曲】
・I Ain't Worried / OneRepublic
・夏の光 / キリンジ
場所は神奈川県南東部・真鶴町。
熱海と小田原のあいだにある相模湾に突き出た真鶴半島を含む小さな町で
この真鶴半島のさきっぽには、
何百年をかけて大きく育った、まさに「日本ならではの森」が残っています。
その森を、観光ガイド・山崎陽軒さんに案内していただいた様子を数回に分けて、お伝えします。

高橋:いま入り口に行きましたが、「御林」と書いてありますが、すごくありがたい感じがしますね
山崎:真鶴町の人にとって、ここは聖域なんですよね。
「お」をつけて歴代何百年も前から言っています。
もともと小田原藩、幕府の持ち物だったんですね。
御留山といって中に入っちゃいけない山だったんですよ。
その後は明治になって皇室の御料林になりました。
だから天皇家のものなので「御」をつけて。


高橋:確かに。「林」とは言えないですね。いつから入れるようになったんですか
山崎:1952年かな。戦後、御料林から国有林になって、
そこから5年ぐらいして町に払い下げられてからは
自由に出入りできるようになりました。
ここは遊歩道が整備されています。ちょっと別世界ですよね。
御留山だった頃、御料林だった頃は一切人の入れない場所だったので、
自然の植生になっているんですよね
高橋:じゃあこの森は、自然にこういう形になっていった森ということですか。人が手に入れたわけではなくて?
山崎:今はそうなんですけど、
もともとはこの半島の先端部全体が萱原だったと言われています。
萱がしょぼしょぼ生えているくらいの草原。
江戸時代の初め頃は大きな木がなかったみたいです。
今のこの風景を見ると全然想像できないんですが、
きっかけとなったのが江戸時代の明暦の大火、
1657年。江戸の町の6割が焼けたそうです。
その江戸の街を復興するために全国各地に木を植えるよう幕府が命じて、
小田原藩はクロマツを植えたんですね。

山崎:それが1661年。
3年間かけて150,000本のクロマツを植えたんです。
1661年の火事には間に合わないですが、
今後火事が何度あっても復興できるようにということで、
そのために幕府の政策として全国に木を植えたんですね。
そして、いま歩いてきたのがおはやし遊歩道なんですが、
ここと交差しているのが森林浴遊歩道なんです。
山崎:お林の歴史、御留山だった1661年から明治維新まで、
小田原藩が管理していた頃は本当に手付かずの森。
その後は明治になってクスノキが植えられたんですね。
明治政府の殖産興業の政策の一環で、
クスノキの木を植えて樟脳を取ろうと。
防虫剤にもなるし、樟脳はその頃ものすごくいろんな使い道があったらしいです。
弾薬の材料になっており、薬にもなって、いろいろな効能があって、
日本は世界の8割くらいの生産量を占めていたらしいです。
ヨーロッパですごく珍重されていたんですね。
セルロイドも樟脳でできるんです。
写真や映画のフィルムも樟脳からできていたんですけど、
それが石油製品に変わっちゃったので
樟脳は使われなくなっちゃったんですよね。
だからクスノキも伐採されることなく、
そのまま残っているという形。
高橋:じゃあその時はここはクロマツとクスノキが混在しているような森だったんですよね

山崎:一般の人が入れないので写真もないんですけど。
それで、だんだんそれがクスノキばかりが育って
今では一番目立つのがクスノキですね。
大体お林の中で大きな木はクスノキです。
30メートルくらいあるんですかね。
この中心にあるのはクロマツですよね。
小田原藩のクロマツを象徴するようなクロマツで、
だからこの交差点のところにあるんですね。
そしてその後は自然に生えてきたスダジイが増えました。
いまは本数で言えばスダジイが一番多いです。
高橋:お話聞きながら歩いているときに、最初はクロマツを植えたとおっしゃっていましたが、クロマツはあまり見かけないと思いました。
山崎:だんだん植生が変わってきているんですよね。
クロマツは何しろ植えてから350年ぐらい経っているわけじゃないですか。
どんどん枯れちゃったんです。
大体自然に生えているクロマツは400年前後から寿命じゃないかと言われていて、
もうほぼ全部が寿命の時期なんですよね。
あとは松食い虫という虫の被害もあって、
年間40から50本のクロマツが立ち枯れしている。
クロマツは日光が100%当たる場所じゃないと育たないんです。
だから森の中ではまずは育たないんです。
高橋:今の状況を見ると日光が入ってきていないですもんね

山崎:だからこの森、お林のコアの部分では増えないんですけど、
ただ海岸のほうに行くと横から日光が入りますよね。
そういうところでは増えています。
自然の生態系の移り変わりなんですが、
奇しくも明治神宮の森と一緒なんですね。
そこの森は人工的に作られたもので、1920年にできたのかな。
だからちょうど100年なんですよ。
最初に松を植えて、針葉樹が主木だったんです。
そこからシイやカシやクスノキを同時に植えるんですが、
そっちの方が育ってきて、50年後100年後には主木になると。
150年たったらそれが自然に、連続して移り変わるような植生になるだろうと想定して、
当時設計をした森、人口の森なんですよね。
今ちょうど100年でそろそろ自然に生え変わるような時期になっているんですが、
ここはクスノキを植えて150に立っています。
だから明治神宮の50年先を行っているんですよ。
自然の移り変わりの場所になっています。

今回は、300年以上の時間をかけて育った大きな森、「お林」のレポートお伝えしました。
【今週の番組内でのオンエア曲】
・I Ain't Worried / OneRepublic
・夏の光 / キリンジ