2020年02月22日
今週ゲストにお迎えしたのは、先週に引き続き
女優、作家としてもご活躍中の室井滋さんです。
富山県生まれ。早稲田大学在学中に、1981年「風の歌を聴け」で、デビュー。
映画「居酒屋ゆうれい」「のど自慢」などで、多くの映画賞を受賞。
ディズニー映画「ファイディング・ニモ」や「ファイディング・ドリー」の日本語版で、
ドリーの吹き替えなど、多くの作品に声の出演もされています。
また、絵本「しげちゃん」シリーズや、自身が絵も手がけた、てぬぐいあそび絵本、
「ピトトト トン よ〜」や、エッセイ集「むかつくぜ!」「東京バカッ花」、
「おばさんの金棒」、「すっぴん魂」シリーズ他、電子書籍化含め、ご著書が多数ございます。
また、全国各地でしげちゃん一座絵本ライブを開催中でいらっしゃいます。
──父の愛
茂木:室井さんのお父さんは小説家志望だったんですか?
室井:早稲田の仏文を出て、早稲田文学という同人誌みたいなものに書いていて。
父は昭和7年生まれだったので、富島健夫さんとか、野坂昭如さんの一級下で、周りにそういう人も多くて。“自分は期待されている”と思っていたんですけど、うちが商売もやっていたので「早く帰ってこい」と言われて、富山に帰って英語の教師をしながら、小説を書いていたんです。
茂木:それでも、小説家をやりたかったんですね。
室井:ずっと書いていたんですけど、なかなか上手くいかず、時々大学の同級生だった友人の教授のところや、出版社に見せに行ったりしていたみたいなんですけど。
茂木:室井さん、ひょっとしてファザコンでしたか?
室井:ものすごくお父さん子でした、小学校の高学年の頃に両親が離婚して、父と祖母と3人暮らしだったのでお父さん頼りでした。
茂木:お父さんは旧家の方で、小説を書いていて、まるで太宰治みたいな…やっぱり、太宰治みたいだったんですか?
室井:太宰治みたいではないですけど、父は太宰治が大好きだったと思うんですよ。
だから、私が上京する時に太宰の「斜陽」の初版本を父から持たされて、父が「もし仕送りが滞ったら、古本屋に行って売ってしばらく暮らしなさい」と言われて、もらったんですよ。
茂木:ドラマチックと言うか、文学的というか、それはどうされました?
室井:今も持っているんです。その後、私は大学7年で中退でして、父はその途中で亡くなるんですけど。
父が亡くなってから、友達が私の部屋に遊びに来て「これ、太宰の『斜陽』じゃん! 初版じゃん!」と言って、開けたら太宰っていう印鑑が押してあって、「コレすごい高いよ!」って言われたんですよ。
そのへんに埃かぶって投げてあったから(笑)、それからは桐の箱に入れて貸金庫に預けました。
茂木:父の愛をその時に知ったわけですね。
お父さんと同じ早稲田に行かれたっていうのもお父さんの影響ですよね。お父さんのことがとても好きだったんですね。
室井:そうですね、やっぱり父が好きだったと思います。
茂木:お父さんは急に亡くなられたんですよね?
室井:父はお酒もひどかったし、全然モノにならない自分にイライラしていたし…大学4年生の頃、当時600万くらいを持って東京にやって来たんですよ。
「俺は今日から少し遊ぶぞ」と言って、毎日、競馬とか競輪とか競艇へ行って、100万ずつ“すって”帰ってくるんですよ。
“何やってんだろう?”と思って、私もその頃付き合ってたボーイフレンドがいるから、お父さんがずっとアパートに泊まっていたら会えないし、イヤだったから早く帰ってほしくて。
茂木:そうですよね。
室井:そのうちに風邪っぽくなったから、「もう帰って」って言ったら、「よく遊んだし、じゃあ帰るか」って言って帰ったんですよ。
父は風邪もひいていたし、2枚で1000円のマフラーを買って首に巻いてあげて新宿駅で別れたんですよ。そして、その次の日の朝に亡くなったっていう知らせが…。
茂木:どこでですか?
室井:富山の実家で。
茂木:だけど、室井さんの活躍が見れなかったですよね?
室井:自主映画とかは見ていました、文芸座がシネ研に出資してくれた16mmのものがあったので、それは見ていました。
茂木:「自主映画の女王」と呼ばれていた頃ですよね。
その後の大活躍は見てないですよね?
室井:テレビにバンバン出ているとか、そういうのは見てないですね。
茂木:「やっぱり猫が好き」とかの大ブレイクも見せたかったんじゃないですか?
室井:でも、父が見てたら恥ずかしくて出来なかったかも(笑)。
茂木:やっぱりお父さんの前だと恥ずかしかったですか?
室井:今思うと、母とも早く離ればなれになってるし、身内がそばにいないから…場面によっては濡れ場みたいなこともやっていますし、そういうことができなかったかなと思います。誰もいないから田舎にも帰らなくてもいいし、祖母も父の直後に亡くなったので、家とお墓しかないから。帰っても自分一人じゃ何もできないじゃない。
茂木:世間では、室井さんはコメディエンヌというか、面白い女優さんと思われていますけど。
人生を聞いてると、むしろ悲劇というか…。
室井:そんなに明るくないんですよ、今の方が明るいかも。
私は不細工だし、絶世の美女みたいな役は来ないじゃないですか……振り返ったら変な顔の女が笑ってたとか、そういう役が来てもね。
一生懸命頑張ってやっていたんですけど、その時の笑い方って、やっぱり自分としてはひきつっていたというか…明るいところもあるけど、弾けるような明るさじゃなかったと思うんです。
カッコつけて言えば「アンニュイ」というか、暗めだったと思うんですけど、それがどこかから明るくなっちゃって(笑)。
茂木:どこかで切れちゃったんですかね。
室井:電波少年の頃は明るかったですね(笑)。
茂木:いい話ですね。
■プレゼントのお知らせ
本日のゲスト、室井滋さんのエッセイ本、「ヤットコスットコ女旅」に、室井さんの直筆サインを入れて、3名さまにプレゼントします!
ご希望の方は、必要事項を明記の上、
メッセージフォームより、ご応募ください。
茂木さんに聞きたい事や相談したい事など、
一緒にを添えていただけると嬉しいです。
尚、当選者の発表は、
商品の発送をもってかえさせていただきます。
たくさんのご応募、お待ちしております。
●ヤットコスットコ女旅 / 室井 滋 (著)
(Amazon)
●株式会社ホットロード
●しげちゃん一座 オフィシャルサイト
●小学館
女優、作家としてもご活躍中の室井滋さんです。
富山県生まれ。早稲田大学在学中に、1981年「風の歌を聴け」で、デビュー。
映画「居酒屋ゆうれい」「のど自慢」などで、多くの映画賞を受賞。
ディズニー映画「ファイディング・ニモ」や「ファイディング・ドリー」の日本語版で、
ドリーの吹き替えなど、多くの作品に声の出演もされています。
また、絵本「しげちゃん」シリーズや、自身が絵も手がけた、てぬぐいあそび絵本、
「ピトトト トン よ〜」や、エッセイ集「むかつくぜ!」「東京バカッ花」、
「おばさんの金棒」、「すっぴん魂」シリーズ他、電子書籍化含め、ご著書が多数ございます。
また、全国各地でしげちゃん一座絵本ライブを開催中でいらっしゃいます。
──父の愛
茂木:室井さんのお父さんは小説家志望だったんですか?
室井:早稲田の仏文を出て、早稲田文学という同人誌みたいなものに書いていて。
父は昭和7年生まれだったので、富島健夫さんとか、野坂昭如さんの一級下で、周りにそういう人も多くて。“自分は期待されている”と思っていたんですけど、うちが商売もやっていたので「早く帰ってこい」と言われて、富山に帰って英語の教師をしながら、小説を書いていたんです。
茂木:それでも、小説家をやりたかったんですね。
室井:ずっと書いていたんですけど、なかなか上手くいかず、時々大学の同級生だった友人の教授のところや、出版社に見せに行ったりしていたみたいなんですけど。
茂木:室井さん、ひょっとしてファザコンでしたか?
室井:ものすごくお父さん子でした、小学校の高学年の頃に両親が離婚して、父と祖母と3人暮らしだったのでお父さん頼りでした。
茂木:お父さんは旧家の方で、小説を書いていて、まるで太宰治みたいな…やっぱり、太宰治みたいだったんですか?
室井:太宰治みたいではないですけど、父は太宰治が大好きだったと思うんですよ。
だから、私が上京する時に太宰の「斜陽」の初版本を父から持たされて、父が「もし仕送りが滞ったら、古本屋に行って売ってしばらく暮らしなさい」と言われて、もらったんですよ。
茂木:ドラマチックと言うか、文学的というか、それはどうされました?
室井:今も持っているんです。その後、私は大学7年で中退でして、父はその途中で亡くなるんですけど。
父が亡くなってから、友達が私の部屋に遊びに来て「これ、太宰の『斜陽』じゃん! 初版じゃん!」と言って、開けたら太宰っていう印鑑が押してあって、「コレすごい高いよ!」って言われたんですよ。
そのへんに埃かぶって投げてあったから(笑)、それからは桐の箱に入れて貸金庫に預けました。
茂木:父の愛をその時に知ったわけですね。
お父さんと同じ早稲田に行かれたっていうのもお父さんの影響ですよね。お父さんのことがとても好きだったんですね。
室井:そうですね、やっぱり父が好きだったと思います。
茂木:お父さんは急に亡くなられたんですよね?
室井:父はお酒もひどかったし、全然モノにならない自分にイライラしていたし…大学4年生の頃、当時600万くらいを持って東京にやって来たんですよ。
「俺は今日から少し遊ぶぞ」と言って、毎日、競馬とか競輪とか競艇へ行って、100万ずつ“すって”帰ってくるんですよ。
“何やってんだろう?”と思って、私もその頃付き合ってたボーイフレンドがいるから、お父さんがずっとアパートに泊まっていたら会えないし、イヤだったから早く帰ってほしくて。
茂木:そうですよね。
室井:そのうちに風邪っぽくなったから、「もう帰って」って言ったら、「よく遊んだし、じゃあ帰るか」って言って帰ったんですよ。
父は風邪もひいていたし、2枚で1000円のマフラーを買って首に巻いてあげて新宿駅で別れたんですよ。そして、その次の日の朝に亡くなったっていう知らせが…。
茂木:どこでですか?
室井:富山の実家で。
茂木:だけど、室井さんの活躍が見れなかったですよね?
室井:自主映画とかは見ていました、文芸座がシネ研に出資してくれた16mmのものがあったので、それは見ていました。
茂木:「自主映画の女王」と呼ばれていた頃ですよね。
その後の大活躍は見てないですよね?
室井:テレビにバンバン出ているとか、そういうのは見てないですね。
茂木:「やっぱり猫が好き」とかの大ブレイクも見せたかったんじゃないですか?
室井:でも、父が見てたら恥ずかしくて出来なかったかも(笑)。
茂木:やっぱりお父さんの前だと恥ずかしかったですか?
室井:今思うと、母とも早く離ればなれになってるし、身内がそばにいないから…場面によっては濡れ場みたいなこともやっていますし、そういうことができなかったかなと思います。誰もいないから田舎にも帰らなくてもいいし、祖母も父の直後に亡くなったので、家とお墓しかないから。帰っても自分一人じゃ何もできないじゃない。
茂木:世間では、室井さんはコメディエンヌというか、面白い女優さんと思われていますけど。
人生を聞いてると、むしろ悲劇というか…。
室井:そんなに明るくないんですよ、今の方が明るいかも。
私は不細工だし、絶世の美女みたいな役は来ないじゃないですか……振り返ったら変な顔の女が笑ってたとか、そういう役が来てもね。
一生懸命頑張ってやっていたんですけど、その時の笑い方って、やっぱり自分としてはひきつっていたというか…明るいところもあるけど、弾けるような明るさじゃなかったと思うんです。
カッコつけて言えば「アンニュイ」というか、暗めだったと思うんですけど、それがどこかから明るくなっちゃって(笑)。
茂木:どこかで切れちゃったんですかね。
室井:電波少年の頃は明るかったですね(笑)。
茂木:いい話ですね。
■プレゼントのお知らせ
本日のゲスト、室井滋さんのエッセイ本、「ヤットコスットコ女旅」に、室井さんの直筆サインを入れて、3名さまにプレゼントします!
ご希望の方は、必要事項を明記の上、
メッセージフォームより、ご応募ください。
茂木さんに聞きたい事や相談したい事など、
一緒にを添えていただけると嬉しいです。
尚、当選者の発表は、
商品の発送をもってかえさせていただきます。
たくさんのご応募、お待ちしております。
●ヤットコスットコ女旅 / 室井 滋 (著)
(Amazon)
●株式会社ホットロード
●しげちゃん一座 オフィシャルサイト
●小学館