石田えりさんが企画した舞台「おもいのまま」が6月30日より、東京・東池袋 あうるすぽっとにてスタート!!さらに、7月15日〜8月10日まで、愛知、大阪、熊本、兵庫、山口、佐賀、長崎、東京、茨城、北海道、岩手でも講演を行います。そんな石田えりさんが感謝しているかたとは・・・
「私を傷つけたりした人たちすべてに感謝したい。」
(イヤミではありません!)
すぐ影響を受けて、何日もメソメソ、イジイジと悩んだり苦しんだりする
自分が大嫌いで、何とかしようという気持ちにさせてくれました。
相手を憎むという簡単で賢くない方向ではなく、
事実だけをありのままに受け入れて、よい方向に使うことを教えてくれました。
そして、おかげ様で、より強く、自由になることが出来ました。
リスナーの方から寄せられた「あの人へ届けたい“ありがとう”」
ラジオネーム : TOMOさんからのメッセージ
6月4日が誕生日でその前日に44年間、勤めた会社を定年する父へ。
定時制高校に通いながら16歳から60歳になるまでの44年間、同じ会社で働いた父。
性格がよく似ていて、素直にやさしく出来ないわがままな私に、いつも優しくしてくれる父。
長い間お疲れ様。そしてありがとう。
まだまだ、嘱託で働くとの事‥これからも元気で、がんばってね。
アニメ「ルパン三世」の音楽を担当しているジャズピアニスト大野雄二さんが感謝しているのは
もちろんルパン三世。
最初に仕事の依頼が来たときは、面白いことができそうだとは思っても
こんなに長い付き合いになるとは思ってなかったとか。
一番最初のルパンはよみうりテレビ制作で作られ、パート2以降から日本テレビ制作となり、
そこから大野さんが音楽を担当されるようになりましたが、
その時大野さん達が変えたのが、ルパンをお茶の間的にすること。
モンキーパンチさんや最初のルパンのブラックなテイストを減らし、少しおっちょこちょいで、
ユーモアのあるルパンにしたこと。
音楽もそういったテイストにしたこと。
それが、結果的にルパン三世という国民的アニメを生みだすことになったんですね。
リスナーから寄せられた「あの人へ届けたい“ありがとう”」
ラジオネーム:しばのすけさんからのメッセージ
「私の母親はエステをしています。
今度、化粧の大会があるのですが、とても派手な化粧をする予定です。
その練習台が私。いつもは5分くらいで化粧を済ませる私には、つきあうのが面倒くさいし、
濃い化粧なんて正直いやでした。
しかし、ある日仕事に行くと「あれ?今日きれいじゃない」と数人に声をかけられ、
とてもうれしい思いをしました。
私は化粧に付き合ってあげているとばかり思っていましたが、
私が化粧を施してもらい、きれいにしてもらっていたんですね。
お母さん、ありがとう。大会もがんばって、色々な人をきれいにしてあげてください」
今日のゲストは…昨日(5月25日)にニュー・アルバム『ニッポンの唄〜あいのうた〜』をリリースされた岡平健治さん! 健治君が感謝しているのは・・・
「人生のターニングポイント。大阪梅田。ここは忘れられません。僕が広島から家出して、初めてみた大都会でした。よくここで、弾き語りをしてました。そしてもう一つは音楽を生業として、ご飯食べられてる事に感謝です。やはり、いまのレコード会社の15歳の時に拾ってくれた、ディレクターの高田さんにものすごく感謝しています。今の生活できているのも、高田さんのおかげです。かなり、厳しかったです。。。涙。」
リスナーの方から寄せられた「あの人へ届けたい“ありがとう”」
ラジオネーム : かこちゃんからのメッセージ
「5月26日は私たちのスイート10!これまで二人三脚で歩んできた私の最愛の旦那様にありがとうを伝えたいです。私が結婚式のスピーチで言ったこと、覚えてますか?今でもその気持ちに変わりはありません。好きで、好きでしかたなかったあなたと結婚できて本当によかった。これからも二人のかわいい子供と4人5脚で仲良く楽しく人生を歩んでいきましょう。」
今日、歌手デビュー20周年記念アルバムをリリースした観月ありささん。
観月さんが感謝したいのは小泉今日子さん。
「今回もアルバム曲で詞を書いてくれていますが、実は20年来の友人というかお姉さんで
私が中学のときから可愛がってくれていました。
当時、学校や仕事の悩みを聞いてもらったりしていました。」
リスナーから寄せられた「あの人へ届けたい“ありがとう”」
ラジオネーム:いざんこさんからのメッセージ
「お母さんが旅行に行ったとき、自分が旅行に行ったような落ち着かない気分になった。
いつも当たり前に家にいるお母さんだけど、
それがどれほどありがたい事なのか身にしみて分かった。
そりゃ嫌なところもあるけど、あるからこそのあたしのお母さんだし、
そんなお母さんがなんだかんだで好きなんだと思います。
居てくれるだけでありがとう(^^)」
今日のゲストは、ユージさんが感謝しているのは、次郎君!
「次郎君」とは、幼馴染のコウちゃんのお兄さんで、地元・東村山で有名だった憧れの先輩。最初はヤンキーだった次郎君がかっこよくて、お金を貯めて同じバイクを買ったりもしたし、コウちゃんの家で遊んでいるときに次郎君が帰ってくると、何も言わずに自分の部屋に入っていく次郎君を見るだけで近づけた気がしてうれしかった!
そんな次郎君が、ヤンキーを辞めたことが、その時は寂しかったけれど、コウちゃんを通じて、次郎君が「ユージがグレてるらしいけど、そんなの全然かっこよくない。何を目指してるのか全然わからない。小学校のときのユージはかっこよかったよ」と言っていると聞いてハッとした。
そして、次郎君が高校の学園祭に誘ってくれて、ギターを弾きながら懸命に歌う姿を見たら、最高にカッコよくて、しかも、かわいい女子にキャーキャー言われてる!!!自分も即行ギターを買って、その時に次郎君が歌っていたモンゴル800を夢中で練習。今もたまに仕事でギターを弾くことがあるけれど、それもこのときの次郎君の姿を追っかけたからこそ。
リスナーから寄せられた「あの人へ届けたい“ありがとう”」
ラジオネーム: スカイさんからのメッセージ
主人へ
結婚して、子供も元気に育ち、毎日幸せです。毎日仕事頑張って、休みの日には家事もしてくれて、そして、本当に優しい。私には、もったいないくらいの旦那さんです。毎日感謝しています。あなたと結婚できて幸せです。これから、恩返しできるよう、私も頑張ります。おじいちゃん、おばあちゃんになっても、ラブラブ夫婦でいようね。いつもありがとう。 妻より
今日は、先日新しいアルバム「HATSUKOI」をリリースしたばかりの
坂本美雨さんをスタジオにお招きしました!美雨さんが感謝しているのは・・・小室哲哉さん!
7歳の時に、とあるCDショップで見かけた小室さんのポスターに一目ボレ!
頭のよさそうな、線の細い・・・華奢な姿に釘付け!
その後、小室さんが奏でる音楽とも出会い、
美雨さんのデビューのきっかけとなった歌も小室さんの作品だそうです。
そんな人生のたくさんの場面を彩られた小室哲哉さんの音楽に
今度は、美雨さん自身が参加されたそうです。
それは、20数年振りにリリースされた小室哲哉さんのソロアルバム
『Digitalian is eating breakfast 2』。
前作の『Digitalian is eating breakfast』は、当時まだ10歳ぐらいだった
美雨少女が熱心に聞いていた1枚でもあるそうです。
そんな少女だった自身に・・・大人になったら小室さんの音楽に参加するよ!
生きていればこんないい事があるんだよって、言ってあげたいそうです。
そして、本日ご紹介したリスナーからのThanksメールは、
東京都のぼんさんから、
「毎日家事お疲れ様です。いつも笑顔で家族を支えてくれて、ありがとう。
その太陽のような笑顔で我が家や、回りのみんなを明るくしてあげてね。
いつか私がお母さんになった時、おかんみたいになるのが夢です。」
今年、デビュー15周年を迎えられた高嶋ちさ子さん。
そして、先月ニュー・アルバム『アダージェット 〜マイ・ベスト・クラシカル・メロディーズ』を
リリース!!そんな高嶋ちさ子さんが感謝している人とは?
アメリカのオーケストラにいた時の指揮者のマイケル・ティルソン・トーマスさんに感謝しています。
日本でデビューしたての頃、クラッシックでないCDを作った事で悩んでいたら、
「君にしかできない素晴らしい事だから、がんばれ」と認めてもらえた事で自身がつきました。
クラックというジャンルにとらわれていた私の気持ちを察して
前向きに考えられるようにしてもらえて、本当に助けられました。
恩返しが出来るならば…
私の作ったオーケストラを指揮して欲しいです。
リスナーから寄せられた「あの人へ届けたい“ありがとう”」
ラジオネーム: あいさんからのメッセージ
お母さん、いつも、いつも、ありがとう。東京に来て半年が過ぎたよ。
色々なことがあっという間に過ぎ、いつまでも迷惑をかけ続けていることに、
泣けてくることも度々あります。でも、その支えに本当に感謝しています。
お母さんが笑って、元気でいることが何よりの支えだから、健康でいてよ!
まだ何も親孝行できてないけど、近いうちに必ず喜んでもらえることをしたいと思ってるよ。
もう大人だからね、今度は支える側になれるように、がんばります。
今日のゲストは、現在フォトブック「マオミノカラダ」を発売中の優木まおみさんをお迎えしました。
そんな優木まおみさんが影響を受けた人は・・「高校時代の担任、北村先生」
先生は、東京でアナウンサーになりたいという夢を真剣に親身になって考えてくれました。
先生は東京学芸大学・英類国語科の卒業生。
佐賀に住んでいた優木さんがどうすれば、アナウンサーになれるか道筋をたててくれたそう。
先生の勧めで「甲子園に憧れる」をテーマに作文を出したら賞を受賞、東京で『俵万智さん』と『養老孟司さん』に表彰されました。
アナウンサーになる事は叶わなかったけど、常にチャレンジする事を学んだと思います。
リスナーからのありがとうメッセージは、岩手県「こまち」さん。
こんにちは。
初めてメッセージします。
私の住んでいる岩手は3/11に起きた震災に遭いました。その時は本当に驚きましたし、妊娠中だったのでとても不安でした。
旦那さんはすぐ帰ってきてくれて、私と家族の安否を確認した後、すぐ私の実家に車で走ってくれました。
結婚してまだ半年ですが、この時私の家族も自分の家族のように大切に思ってくれる彼にとても感謝しました。
仕事で忙しい彼なので寂しさを感じることもありますが、先日の母の日にはもうすぐ母になる私へ花束をくれました。本当に嬉しくて涙が出そうでした。
これからもこんな素敵な彼を支えられる妻として一緒に生きていけたらと思います。
彼と出会えたこと、結婚できたこと、彼との子供を授かったことに感謝感謝です。
本当にありがとう(*v_v)
これまでに5度のヨーロッパツアーを敢行し、欧州、とくにフランスでは絶大な人気を誇る
シンガーソングライターKOKIAさん。
感謝してるのはもちろんヨーロッパ。特にフランス、アイルランドだそうです。
「旅は私にいつも何かささやいてくれます。
仕事でもプライベートでも日常を離れて非日常の中に自分を置くのが大好きです。
それはどこか音楽と似ています。
自分の心を豊にそしておおらかなものにしていってくれます。
パリは5年間毎年コンサートを行っている場所。たくさんの出逢いがあり、
毎年行く中で私の中のパリはとても身近に感じられるものになっていきました。
そしてアイルランド・・・。
昨年は短期留学をしたり、大分前になりますが一人旅をして以来、
縁があって、何度も足を運んでいる場所です。
仲良しのミュージシャンも多くなり、私にとって間違いなく、深呼吸のできる場所です。
自然と共にゆったりとながれる時間の中で笑い、語らい、歌い、奏でる彼らの暮らしに、
いつもハッとさせられます。」
リスナーから寄せられた「あの人へ届けたい“ありがとう”」
ラジオネーム:りんごちゃんさんからのメッセージ
「お姉ちゃんへ
いつも私の心の支えであるお姉ちゃん、有難う。
大学生のとき、失恋した私を車に乗せて一晩中湘南の海沿いを走ってくれたね。
私が大きな病気をしたときは、パジャマと野菜スープのレシピを送ってくれたね。
感謝!!の一言です。貴女の妹で本当に幸せです。
離れていてもいつもそばにいる気持ちだよ。
お互い子育てが一段落したら、日向ぼっこしながらお茶でもしようね。」
西本智美さんが感謝している人は・・・元宝塚トップスターの大浦みずきさん。
同じ舞台人として本当に尊敬出来る友人で、自分が悩んでいるとき、いつもやさしく
「きっと出来る、大丈夫」と背中を押してくれたそうです。
もう亡くなられてしわれましたが、今でもいつも自分のそばにいてくれている、と語ってくれました。
そして、本日ご紹介したのは、
愛知県にお住まいの「ごんぎつね」さんからのメッセージです。
「こんにちは、私の父は今年88歳の米寿を迎えました。いつもテレビニュースを見ては「世の中不景気、不景気と言っているがうちは全く不景気じゃない。と言うんです。
私は父に、「お父さんどうしてそんな事を言うの」と聞くと父は、見てみろ我が家にはテレビも洗濯機も、その上冷蔵庫もある。昔は大金持ちしかなかたんだぞ。今の世の中は便利すぎる。
これ以上の贅沢は敵だ。と言われ父には、これまで贅沢な事が言えませんでした。
でも私がマイホームを建てた時、父がこれまでコツコツと貯めたお金を、新築祝いとして
援助してくれました。
これまで贅沢は敵だと言って節約しお金の大切さを教えてくれた父にとても感謝しています。
お父さん本当にありがとう。」
今日のゲストは、旅人!たかのてるこさん!
たかのさんが感謝している事と言えば・・・
ずばり「旅」です。
「旅が人生の師匠」とまでおっしゃるたかのさん、
旅を始めたきっかけは、自分をあまり好きになれず
自身との折り合いが付かなかった時期、世界を旅する事で
大きな人間になれるように思ったからだそうです。
今では30数ヶ国を旅してまわる旅人OL♪
世界中にお世話になっている分、
親切にする心を「旅」から培ったそうです。
そして、本日ご紹介したのは、
神奈川県にお住まいの「みきてぃ」さんからのメッセージです。
『大好きなお母さんへ。
4年前、私は大阪の実家を離れ上京しました。
あれから丸3年が経ちます。電話をするとお母さんは「1人で楽やわー!」と言っていますが
本当は一人で淋しい思いをしていると思います。
3年経ったら大阪に帰るつもりでいましたが、昨年の夏に私は旦那さんを見つけて東京で結婚しました。
新婚生活の家を見たいと遊びに来てくれました、
白無垢で前撮りをしたときも見たいと言って来てくれました。
自分の事よりもいつも私の事を1番に考えてくれるお母さん。
親元を離れて初めて親の愛情を感じました。本当にありがとう。
私は大丈夫なので自分の身体を1番に考えてちゃんと定期健診に行くようにしてね!!』
今日、セカンドアルバム
「ADVENTURE」をリリースされたナオト・インティライミさんが感謝している人とは?
自分の夢を応援してくれた高校の恩師に感謝しています。
高校1年生の2者面談で
「歌手になりたいんだけど無理ですよね〜」って感じで話したら
「どれだけ高く見える壁でも目の前に行ったら自動ドアかもしれないやんけ!」って
背中を押してくれた。
あの一言が無ければアーティストになるという夢に進んでなかったと思うので
本当に感謝しています。
去年の12月に行った、日本武道館のライブに招待したら、
もの凄く喜んでくれたので、今度は母校でのLIVEがしたいです。
リスナーの方から寄せられた「あの人へ届けたい“ありがとう”」
ラジオネーム:神戸ままさん からのメッセージ
幼稚園の時、運動場のすみっこでちじこまっていた娘。
不安で心配する私に「焦ることはないです。ゆっくり見守っていきましょう」と
言ってくれた担任の先生。そんな娘もこの春から小学生になりました。
先生の言葉を信じて、くよくよせず、娘を見守っていきますね。
その先生が、もうすぐ結婚です♪おめでとうございます!
映画「それでも花は咲いていく」で、原作・脚本・監督を務めた前田健さんをお迎えしました。
前田健さんが感謝しているのは、【ニューヨーク】
小学生の頃から、演劇部に入っていた前田さんは、”ブロードウェイっていうのはニューヨークにあるらしい!そこに住みたい!!”と思っていたんだそう。そして、20歳のころから約4年間ニューヨークでダンスのレッスンを受けました。いろんなカルチャーショックを受けたのもニューヨークだったし、いろんなものの見方、アイデンティティが固まったのもニューヨーク。
いろんな民族が暮らす場所で過ごしたからこそ、日本のいいところも分かったし、地下鉄のガラスに映る自分はアジア人のにいちゃんだということも分かった。
ニューヨークのいいところは?と聞かれて答えるのは、『世界の縦幅が分かるところ』。最高のモノと最低のモノが同居している街だから、自分は上のあそこまでいける可能性があると同時に、下手すると下のあっちまでいっちゃう可能性だってある。だからこそ、善悪とかライフスタイルとか、自分で線引きをしようと思えた!とのこと。
ニューヨークは、これからも心の故郷として、年代ごとに訪れたい街。自分を原点に帰らせてくれる、そんな場所!
リスナーの方から寄せられた「あの人へ届けたい“ありがとう”」
ラジオネーム:虹と桜のお父さん からのメッセージ
お父さんへ
最近、孫のために本棚を作り、その時に手を12針も縫う大怪我をしましたね。
そんな優しいお父さん、私も二児の父親になり、お父さんのこころの広さがわかる年になりました。
若い頃は、よく反発もしたしケンカもしたけれど、結局は何をしても応援して後押ししてくれた、その大きな人柄に感謝してます。
今は兄弟が全員家を出て、お母さんと二人で寂しそうだけど、怪我をしたようにもう若くはないんだから、仕事もそこそこにしてゆっくり好きな畑でもしてください。また孫連れて遊びに行くから。
今まで照れくさくて、まともに伝えたことなかったけど、この場をお借りして・・・「お父さん、いつもありがとう!」
来月、デビュー30周年を迎えられ、ベストアルバム『1998〜2010』をリリースされた角松敏生さん。
角松さんが感謝している人とは・・・
高校時代、家出していた時偶然出合った廃品回収業者のおじさんに感謝しています。
高校時代に家出してぶらぶらしていた時に、
リヤカーを引いていたおじさんの手伝いをした。
その時に、そのおじさんがふと言ってくれた言葉
「前を向いて走らず、歩いてみてごらん。
そうすると色々なものをみることができるよ。」
この言葉を聞いて家に帰ろうと思った。
このおじさんにもし、恩返しができるとしたら、
今でも自分が前を向いて、しっかり生きている様をお見せすることだ思う。
リスナーの方から寄せられた「あの人へ届けたい“ありがとう”」
ラジオネーム: みちこさんからのメッセージ
私の4歳の娘へ
いつも、小さな弟を大切にしてくれて、ありがとう。
あなたの弟は、自閉症と知的障害を抱えています。
他のお友達のようには言葉も出ないし、遊んでいても手が出てしまうよね。
あなたの弟は、あなたのことをたくさん叩きます。
だけどあなたは、そんな時に、とても優しい言葉をかけてくれました。
「いいよ、全然痛くないよ。だから10回も叩いてもいいんだよ。20回でもいいんだよ」
あなたの小さな体から、大人よりもずっと大きな優しさが溢れているのを感じました。
ありがとう。たくさんたくさんありがとう。ママは、あなたを抱きしめます。
小さな弟のために頑張るあなたと、ただただあなたのことが大好きです。
今日のゲストは昨日に引き続き…今年、デビュー40周年を迎えられる“海援隊”のボーカルであり、リーダーでもある武田鉄矢さん! 武田さんが感謝しているのは・・・『母の言葉』
「私の姉が、阪神・淡路大震災の時、被災して地元福岡に帰って来た時、母は姉に…
母: 帰りなさい。神戸に戻ってお店をあけなくてどうするの?
ショックだったと思うんです。地震の起きる半年ぐらい前に、1億円貯金パーティーというのをやっていて、少しずつ貯めた貯金が…現実に1億円貯まったんです。小さな小料理屋を営みながら…でも その後の震災で、お店も、マンションも傾いてしまって、全て失ってしまったので…すると姉が、、、
姉: もう神戸から帰るわ…
母: 帰ってきたらつまらんたい。もう一回、神戸に戻って働かないと…なんでもよかけん店で売りなさい。
姉: のれんがかからへんねん…柱傾いてるねん母ちゃん。
母: のれんかからんならチョウチン提げればよかたい。どこでもまっすぐさがるけん…あんたたちは震災、震災ばかりいうとるけど、震災の時は炊き出しの飯がもらえるそうじゃない…
姉: そんな、毎日毎日にぎり飯ばかり食べれないわ…
母: 何を言うとるか…戦争負けた日の、日本の事を話してやろうか…なんも無かったとばい。博多の町は何にも無かった…B-29にやられて…300万人死んだとばい…日本人が…原爆 2つ落とされたとばい…でも、次の日の夕方“豆腐売り”がきたばい。小商いの人々はみんな夕方から働き始めた、戦争に負けた日から…持ち場、持ち場で商売がある。あなたも商売持ってるんだから自分の商売しないと…店がだめだと思って灯りを消したら真っ暗闇でしょう…なんでもいい、白湯でもいいから売りなさい。明かりを灯しておけば、灯した明かりが表に出て街頭になるんだから…そうして通り場作るったい。昭和の苦労を考えれば、出来ないことはなかばい…
リスナーの方から寄せられた「あの人へ届けたい“ありがとう”」
ラジオネーム : ちりさんからのメッセージ
『私が「ありがとう」を伝えたいのは遠い九州に暮らす両親。高校卒業まで実家に暮らしていましたが、両親から与えられていた深い愛情のそのありがたみに当時は全く気付いていませんでした。実家を離れ一人暮らしを始めて、両親が私を寛大な心でいつも見守ってくれていたことを知りました。3月11日に起きた震災でもそうですが、日々のなかで「当たり前」と感じている多くの物事は、実は「当たり前ではない」のだと思います。生まれてこのかた、両親に愛情一杯に育ててもらったことに感謝しつつ、今あらためてこのメッセージに想いをのせて伝えたいと思います。「お父さん、お母さん、いつも私にたくさんの愛情を注いでくれて、ありがとう。』
今日と明日、2日間にわたってゲストにお迎えするのは…今年、デビュー40周年を迎えられる“海援隊”のボーカルであり、リーダーでもある武田鉄矢さん! 早速、感謝されている事を伺うと・・・『坂本龍馬&司馬遼太郎』
『世界を動かす理屈って“勝者”の理屈では無く、敗れた人の理屈が、やがて人間を動かす理屈になる。それで、坂本龍馬を突き詰めると“敗北”と“失敗”の人。だけれど、彼の背中は勝利者の背中。だからファンが多い…坂本龍馬はいつも、絶望に向かって真直ぐ走る。絶望に向かって走っていく人の背中は、後ろから来る人間にとっては“希望”と呼べる。彼の色々な資料を読むと、どんな状況でも絶対に希望を語る。龍馬の一点スゴイ所は、故郷のお姉さんに宛てた手紙の文章の中に…“自分の将来の目標”という項目で、「日本を今一度、洗濯致したく、そうろうとの心願にござそうろう」と書いている。こんな事を書く人ってなかなかいないですよね?というように、この坂本龍馬の言葉使いの大きさ。単純だけど強い言葉。それは、彼から学んだことで、彼にいつも感謝していることです。
そして…坂本龍馬を紹介した日本の大作家、司馬遼太郎。私は、司馬遼太郎さんの記念館などを訪れると涙が出そうになる時がある。それは、司馬さんが生涯かけて集めた資料が、本棚に並べてあるんだけど、3〜4F建てのビルの壁面全部に資料が収められている。ただひたすら、日本人に、かつての歴史上の人物を楽しんでもらうために、本当に本を読み調べられている。その事を思うと、司馬遼太郎さんにも感謝の念を忘れてはならないのです。』
リスナーの方から寄せられた「あの人へ届けたい“ありがとう”」
ラジオネーム : 陽子さんからのメッセージ
『母の日と重なった68才のお誕生日、本当におめでとう。お母さんが最愛の夫を看取ってからもう2年半ね。ツライツライ闇の日々を彷徨いながらも寂しさを乗り越えたお母さんを尊敬しています。私だったらそうできるだろうかと思うのです。そして、いつも私の心のよりどころでいてくれて本当にありがとう。幼い頃から、私が心の奥でもがいている時に「うん、うん」と向き合って受け止めてくれるお母さんに救われてきました。そしてそのたびに、いつも深い愛情を感じていました。これからもずーっと、天真爛漫で朗らかに、そして元気でいてください。お父さんの写真を持って、お父さんを肩に乗せていろいろな所へ行きましょう♪』
宮城県気仙沼在住のシンガーソングライター、熊谷育美さん。
彼女が感謝したいのはもちろん、
日本全国の皆さんからむけられた、被災地・被災者へ向けた思いに対して。
「3月11日の震災を目の当たりにしたとき一瞬で壊れてしまった町を見てとてもショックでした。
何百年という歳月をかけて作り上げてきた歴史が粉々になっていく姿はあまりにも残酷でした。
そんな私たちに日本全国の人たちが手を差し伸べてくれました。
本当に嬉しくて、あったかくて、涙が溢れました。
ひとりひとり、名前や性別さえ分からないけれど「あなた」の思いは確実に被災地へ届いています。
その気持ちに応えられるように私たちは頑張ります。
日本全国の皆さんへありがとう。」
リスナーから寄せられた「あの人へ届けたい“ありがとう”」
ラジオネーム:メコリンさんからのメッセージ
「この4月、高校三年生になりました。
今年度がお昼にお母さんの作るお弁当を食べる最後の年です。
それと同時に、末っ子の私が高校三年なのでお母さんがお弁当を作るのも最期の年ですね。
一番上のお兄ちゃんが高校生になってから12年間、
毎朝誰よりも早くお弁当を作ってくれたお母さん。
本当にありがとう。
最期の一年間も残さず全部食べるからね。
美味しい美味しいお弁当よろしくね。
来年は私がおごちそうするから。
一年も先の話だけれども、楽しみに待っててね。」