仕事との向き合い方

豊田エリー(俳優)×寺本りえ子(料理研究家、フードディレクター)

2024

03.01

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寺本さんは、現在、料理のワークショッフ゜を行ったり、メニューの監修や発酵食の普及にも努めるなど、食の世界に身を置かれていますが、実は、以前は、音楽業界でミュージシャンやDJとして活動。海外でもライブを行っていました。

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仕事は一つに絞る必要はない!



豊田
りえ子さんは、食のケータリングから発酵食の方に移られていったと思うんですけど、音楽も若い頃からやられていましたよね。

寺本
20代から30代まで音楽1本だったかな。

豊田
音楽とは、どう出会ったんですか?

寺本
私が小さい頃からやり続けたものが音楽しかなかったんですよ。最初の職業もピアノを教える仕事で、でも田舎だとこのまま結婚しかないのかなと帰ってみて、気づいて、もっと私やりたいことがなかったかなと思い、音楽しかないし、もう1回、東京に出て、事務所に入ることになって、そこから音楽生活が始まって、90年代、渋谷系といわれる音楽に関わっていました。

豊田
私、りえ子さんとの出会いはお味噌からだったんですけど、音楽をやられていた頃の話にすごく興味があって、聴いてきました。すごく素敵。

寺本
20何年ぶりに配信が始まって、

豊田
今ちょうどそういうタイミングだったんですか!それで聴けるようになった。

寺本
そうなの。

豊田
90年代のサウンドもかっこいいし、りえ子さんの声もすごく好きです。

寺本
ありがとうございます。ピチカートファイブに野宮真貴さんが入ったときにコーラスをしたり、スピッツとか、ORIGINAL LOVEさんとか、大好きな音楽がいっぱいある時代でしたね。

豊田
音楽のお仕事をされた後、食へと、お仕事としてはどうやって選んできたんですが?

寺本
音楽に関しては、何か形にするまではやり抜こうという思いで東京に2回目出てきて、父親の反対もあったというのもあるんだけど、食に関しては「料理を作ってくれる?」みたいな流れから自然に入っていって、東日本大震災の炊き出しに行き続けたのがきっかけで完全に食に行って、音楽とはそこで1回離れているんだよね。そして、ここに来て、何かまたやるのもいいのかなという感じ、今やりたいことが全部やれている感じがあるから。

豊田
最高!何か決まった目標があってそこに向かってずっと歩んでいるというよりは、その時々で、

寺本
流れが変わっていくのかも知れない。

豊田
いい出会いと共に、お仕事をされている感じがしますね。

寺本
変わってもいいと思うし、いくつあってもいいと思う。昔は、本業は何?とすごく言われていたけど、今やみんないくつもやっていてそれが普通になっている。

豊田
本当に時代先取りです。今みんなだって、むしろ仕事は1個ではない方がいいっていうことも言われているぐらいだし。


“好き”な気持ちを大事にする



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豊田さんは、21歳で俳優の柳楽優弥さんとご結婚し、出産されるなど、20代前半にして、早くも人生の節目を迎えました。ライフステージが変化する中で、キャリアについてはどのように捉えているのでしょうか。

寺本
エリーちゃんは、元々は役者さん?モデルさん?

豊田
始まりはモデルですね。でも本当に元々をたどると子どものときから、お芝居がすごく好きで、学校はすごく嫌いなのに、学芸会だけはもう私の場所みたいな!絶対主役に名乗り出ていて、今ふと思い出すと不思議ですけど。なので小学生の頃とかミュージカルのアニー役を受けて、受からなかなかったですけど。中学のときに、スカウトされて、初めはモデルの仕事がメインだったんですけど、自分としてはお芝居の方にはずっと行けてなくて、離れていっているなという感じはあって、その当時、「ハーフだからそもそも役が少ないし、難しいよ」とずっと言われていて、それもあるし、でもそれでもやっている方もいるし、それこそ出会いだったり、タイミングの問題だったんだろうなと思うんですけど、それで、結婚と出産も割と早めで、芸能界の方々は、もうキャリアがある方が、結婚して出産されて、また元のところに戻ってきたり、再開する印象なので、私は全部同時進行でやっていくんだなっていう感じがあって、その戻っていくキャリアもないし、子どもも育てつつ、野心ではないけどすごくやりたいことは多かった。でも時間的な問題もあって、すぐにお芝居にはならないんですけど、27歳のときにオーディションを見かけて、それで当時の事務所の方にも「挑戦してみたいです」と、それが舞台のオーディションだったんですけど、それも、本当駄目だったらもう、そっちの道はやめといた方がいいかもというぐらいの感覚で受けて、それで、受かって、舞台の世界が始まったので、そのときの稽古期間も楽しいですし、クリエイティブ、それこそもう本当にみんなで作り上げていくのもすごく性に合っているなって思ったのと、ずっとどこにいても、なんだか居心地が悪いなっていう感覚が子どものときからずっとあったのが、舞台の世界で、初めて自分がいられる場所だなと思った感覚があって、それで今、毎年1本、2本やらせてもらっているんですけど、

寺本
すごい天職だったんだね。

豊田
子どものときに思っていたことが舞戻ってくるタイミングがあるんだなって。りえ子さんのお話もそうだし。

寺本
料理をするとは思ってなかった。不思議だね。私何も考えずやったことにヒントがあったりするかも。

豊田
その子どもの頃に好きだったことを大人になってもできているってすごく幸せで、

寺本
子どもがあんなに好きだった私が今やっぱり子どもたちと過ごせているし、料理もやっているし、音楽もやれたらいいけど。

豊田
今こう言いつつも、何か好きっていう気持ちって大事だと思っていたのですけど、あんまり好きが強くなると今度はもう自爆っていうか、苦しくなるじゃないですか。好きなものとの距離感の取り方もちょっとずつわかってきた今、30代中盤ですね。

寺本
若い。


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