“書く”ことは“編む”ことに似ている

平松洋子(作家、エッセイスト)×三國万里子(ニットデザイナー)

2022

11.11

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三國さんは、この度、初めてのエッセイ集『編めば編むほどわたしはわたしになっていった』を発表。学校になじめなかった少女時代からニットデザイナーになるまでの自らの半生が綴られています。

言葉を編む



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平松
今回、書かれたご本が本当に素晴らしくて。

三國
ありがとうございます。

平松
本当に引き込まれて、まずタイトルが素晴らしく、これは三國さんが決めたのですか?

三國
はい、今回初めてのエッセイ集だったもので、今までの方に届きやすいように「編む」という言葉を一語入れるのが出版社からの提案でした。私の曲がりなりにも成長してきた道を込めたいとなった時に、あっちに行ったり、こっちに行ったりした感じがある、横に振られるリズムと、どんどん編んで、編んで、私になっていく。編み物そのものですよね。編まないと私にはならない、生きないとやっぱり私にはならない。私というものは最初からあるわけではなくて、あっちこっち行ったり、ほどいたりしているうちに私になった、そういうことかなと。

平松
自分の時間というか体の中から出てきた言葉ですよね。確かに編むというのは時間が入っている行為ですよね。本の中で、「わたしにとっては打ち込む価値のあるとても好きな仕事で、それは本当にそうなのですが、ただ、その作業に没頭するほど編む動物のようになってしまい、”自分から言葉が消えてしまいそう”。と、はっとすることがありました。」と書いていらっしゃって、”編む動物”という感じはすごく官能性も含めて伝わってくるんだけど、言葉が消えてしまいそうとは、ちょっと衝撃だったんですね。

三國
人間は、人と関わることで、人間になっているところが大きいと思うんです。ただ子供も段々大きくなっていきますし、夫は昼間、家にいなくて大変無口な男でして、そうして手仕事を仕事にしてしまうと本当に感情みたいなものはあるんだけれどその取り出し方がわからなくなるっていうんでしょうか。

平松
何かしまい込み過ぎて、使わなくても、その箱は開けなくてもやっていけるみたいな感じですかね?

三國
そうですね。編み物自体が文章を書くことと似てなくもないのです。1本道というところも似ているし、だけれども、やっぱり私、言葉でも編まないと病気になるみたいに思って。

平松
すぐそのことには気が付かれたんですか?

三國
それは書かせてもらい始めてから、私、淀んでいたなと気づいた感じがします。平松さんはどうですか? 書くことで健康になるような感覚はありますか。

平松
ずっと座り続けていると思うと、健康から程遠くなっていくという変な矛盾があり、そうすると、とりあえず散歩に行ったり、体を動かさないと、段々気持ち悪くなっていって、さっきおっしゃったように誰かと話をしてなくても自分と対話している感覚はやっぱり強いし、自分の中から言葉を掘り起こしていきながら書くことは当然あるわけで、そうするとやっぱりどんどん、自分の中でぐるぐるぐるぐる回路が回って、それが健康かどうかっていうと、どうなんだろう。季節が変わるから毎日風景が変わりますでしょう。だから、自分の意識の外に出るとして、歩いたり、運動したりするのですごく大事です。


編み目の中に日常が



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三國さんのエッセイの中で、平松さんが特に印象に残ったエピソードは三國さんが23歳の時、東京での生活に別れを告げ、秋田の山奥の温泉街で住み込みの仕事をしていた時のこと。年齢も経験も大きく離れた人たちの中で仲居として働いていました。

平松
秋田の温泉に半年でしたっけ?

三國
はい。半年で放棄して帰ってきた話。こんな恥ずかしい話を書いて外に出すことになるとは。

平松
私、声を上げました。なぜかというと、私がいつかしてみたいことの一つだったんです。

三國
そうなんですか!

平松
身一つで体を動かして働くのは、私にとっては意味と価値のあることで、ちょっとそれはドキドキしながら読みました。

三國
ありがとうございます。いいところだったんです。

平松
お部屋で、お布団を敷いて、隙間風が入ってくる感じとか、朝4時に起こされて、朝ご飯のために並んだお皿に盛り付けて、とかね。

三國
私のお部屋は、ガタガタいう薄い木の壁で、暮れに行った時、最初のうちは外の景色が見えたんですけど、数週間したら雪が積もってしまって、窓にへばりついて全然外の景色も見えなくなるし。

平松
でも、きっとその時に見た景色とか寒さとか冷えとか、露天風呂に浸かった感じとか、そういうのはどこか、編むセーターの編み目の中に入っているんですよね。

三國
入っていると思います。きっとそうだと思います。

平松
やっぱり日常のなんでもないことは、どこかに入っているんですよね。

三國
書いている時も頭だけで書いている感じがしなく、体のどこかに何かが溜まっていて、それが出てきている感じがありました。


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三國さん、初めてのエッセイ集『編めば編むほどわたしはわたしになっていった』を新潮社より、また、平松洋子さんの著書「いわしバターを自分で」は文春文庫より、それぞれ発売中です。

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