かつてのライバル?!

水野良樹(いきものがかり)×狩野英孝(お笑い芸人)

2022

08.05

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アマチュア時代にニアミス



「いきものがかり」として数々のヒット曲を生み出している水野さんですが、最近では「清志まれ」名義で小説を執筆するなど幅広く活動しています。一方、ナルシストキャラでブレイクし、テレビ番組のドッキリ企画がもとになり、歌手デビューも果たした狩野さん。最近では、ゲーム実況などを行うご自身のYouTubeチャンネルも人気になっています。「ミュージシャン」と「お笑い芸人」、一見すると接点がなさそうですが実は遡ること、20年ほど前。アマチュア時代に、お互いの存在を意識する出来事があったそうです。

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狩野
よろしくお願いします。

水野
やっとお会いできましたね。

狩野
1回リモートで、少しだけお話させていただいたことがあったんすけど、初めてですね。

水野
ちゃんと面と向かってお話するのは初めてで、緊張しています。

狩野
ジャンルも違うし、なかなかの組み合わせと思って、僕も戸惑いを隠せないんですけど、嬉しいです。

水野
本当ですか? 僕らからすると、狩野さんは、かつてのライバルで、僕らにとっては本当に超えられない壁だったんですよ。

狩野
(笑)。ちょっと説明をお願いします。

水野
いきものがかりは路上ライブからスタートしたグループで、当時、神奈川の小田急線沿いの駅で路上ライブをして、いろんな駅で人を集めていたんですけど、新百合ケ丘駅だけはどうしても人が集められなくて。というのも、新百合ケ丘駅にはめちゃくちゃ人を集める2人組のグループいて、勝てなかった。その2人組の1人が…。

狩野
あ、どうも、狩野英孝です!

水野
(笑)。

狩野
いきものがかりさんは、僕とほぼ同級生ぐらいですよね。

水野
82年生まれ。

狩野
僕も! 僕も上京してきて、新百合ヶ丘に日本映画学校という専門学校があったんですよね。そこに通っていたから、学校帰りにやってみようかみたいな流れで駅前でやっていて、自分でもびっくりするぐらいお客さんがいる感じでした。それからだいぶ時を経て、何か巡り合わせというか。

水野
ラジオや番組で狩野さんがちょいちょい触れてくださって、ある種ネタにもしてくれて、その度に僕のTwitterにいろんなファンの人が「あれは本当ですか?」、「事実確認をしたい」とコメントが来ました。

狩野
僕はその話、自分からは一切しないんですよ。周りから聞かれた時に、「あるらしいっすね」ぐらいで、自分から言うとどんどん嘘くさくなるから。それが水野さんの口から言っていただけるなんてめちゃくちゃ光栄ですよ。

水野
なんで音楽からお笑いに行ったのですか?

狩野
僕、小学校の時からずっとテレビっ子で音楽番組もドラマもお笑いも大好きだったんですよ。音楽で言ったらお小遣いやバイト代全部をCDに回すぐらい本当に好きだったんですよ。日本映画学校では、ダンスも音楽の勉強もあるし、もちろん演技の勉強もある。3年制の学校で3ヶ月だけカリキュラムで漫才実習があって、プロの先生たちが教えてくださるので、そこで何か、自分がやりたいことを見つけられるかなと思って。路上ライブをやっている時は俺、音楽でいこうとは別に思ってない。その時はお笑いに行こうとも思ってなくて、そういうふわふわした状態だったんですけど、卒業の時に、僕が所属するマセキ芸能社のお笑いライブを見て、「これがやりたかったんだ!」みたいな感じで、その道を目指しました。

水野
番組の中で、狩野さんが「50TA」として音楽をやられていて、芸人さんだから、ある種、面白みにもなっている中で、僕はやっぱり、「やったんだ! すごい」と思っていました。

狩野
僕、ギターも歌も独学レベルで、やっぱり実際にやってみても、すぐに行き詰まるし、幅がなくて。「50TA」をやっている時もコントのキャラクターみたいだから堂々とできるんですけど、俺ミュージシャンだぜという気持ちは一切ないですし、お恥ずかしい。


路上ライブ全盛期!



水野
新百合ヶ丘駅でやっていた頃は、フォークですよね!

狩野
フォークでハーモニカを使ったり、ゆずさん、19さんに憧れて、ちょっとポップな感じにやりましたね。元々、ゆずさんが、大好きで、名曲がたくさんあるんですけどアルバムに1曲、下積みの時、バイトしていた店の歌とか19さんも地元の曲があって。

水野
あの頃は、そこの街を通る人もゆずさんのファンが多くて、ちょっとコアな曲をやることが、意外と引きになったりするんですよね。

狩野
ゆずさんの曲、僕もやりました。「いつか」も「嗚呼、青春の日々」もやっていましたね。

水野
全く同じような道をたどっていますね。

狩野
自分のオリジナル曲をやっても、コピー曲には敵わない。売れている曲をやって、お客さんが集まってきて、「自分らの曲やるぞ!」と歌っている最中に何人か帰っていく姿を見ると、やっぱ駄目だな。プロはすげえなと、凹んだのを思い出しましたね。

水野
すごい共感ポイントですね。

狩野
僕いつも、いきものがかりさんに限らず、いろんなバンドで思うんですけど、僕は正直、高校生の時にシンプルに女の子にモテたくて、ギターを始めたんですが、バンドでやってく中でもっと俺を見ろと思わないですか?

水野
それは思っていますよ。

狩野
(笑)。

水野
10代の頃はなぜ、自分が作った曲なのに自分は歌えないんだろうって。もう辞めてしまった山下と2人で最初に始めたんですけど、男性2人組で始めた時はもう本当に、モテたいという、よこしまで健全な気持ちでした。相模大野駅でスタートしたんですが、その駅は女子高が近くにあるんです。

狩野
なるほど。結構、栄えていますよね。

水野
女子高の生徒さんが、帰る頃を狙って、路上ライブをやって、最初は自分を見てほしい気持ちが強かったけど、ただ、あの頃は、狩野さんもそうだと思うんですけど、男性2人組が路上ライブでめちゃくちゃ多くなかったですか?

狩野
多かった。

水野
だからそこに埋もれるみたいな気持ちがあって、それでちょっと目立つことやろうと思ったら、近くに男女混合グループがいなかったので、歌のうまい子を入れたら、この駅で目立てるんじゃないかと山下に話したら、同級生の妹に吉岡がいたんですよ。


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*水野さんが清志まれ名義で執筆された初の小説「幸せのままで、死んでくれ」が、文藝春秋より発売中です。

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