写真の喜び
UA(歌手)×若木信吾(写真家)
2022
07.22
若木さんがカメラを持ち始めたのは、子供のころ。写真家の今につながる原体験を語っていただきました。
生まれながらの写真家!
- UA
- 小さい時からカメラマンになると決めていたんだっけ?
- 若木
- 小学校に入ってから。
- UA
- クラスの子に写真を売っていたとか?
- 若木
- それは小5ぐらい。商売ですよ。遠足にカメラを持って行ったんですよ。僕らの頃は、すごく小学生が多いでしょう。そうすると、1学年800人とかいるんですよ。それを近くの写真店のおじさんが撮るけど、全員の顔は無理。俺はカメラが好きだったから、みんな1人ずつ顔を撮ったり、3人で撮ると1枚で、3家族に売れるから3倍儲けがあるとか、バランスを考えながら撮っていました。
- UA
- 写真に取り憑かれているね。もっと原体験は何かあるの?
- 若木
- 仕切られたお菓子の箱に折り鶴を入れて、近所の家に持って行くと、「信吾ちゃん、よく折れたね」と言って買ってくれるわけ。物作りはお金に換えられると子供心にあった。
- UA
- うちの子たちも、マーケットに持って行って、ブースに折り紙を並べて、100ドルぐらい売って帰ってきた。すごいのね、おじいちゃん、おばあちゃんはそういうのを見ると喜んで、20ドル札を置いたりしてくれちゃってさ。
“モノ”として残す
- UA
- 私も写真は大好きだった。8ミリフィルムにまで発展して、フィルムもこだわって、アメリカに現像を送ったり。実を言うと、イメージフォーラムという学校に行った時の16ミリの作品を取りに行かなかったので、いまだに多分イメージフォーラムにはあるの。過去のものは、全部もうない。私、火事にあったから。全然平気だけど私の写真は良かったけど、虹郎くんの幼い頃の写真がなくなったのが一番つらかったかな。あと彼が学校で作ったものとか、シュタイナー学校だったから手の仕事のものがいっぱいあって、笛まで作って。だけどね、自動断捨離というか、皆さんが思うほどは、自分の中でトラジェリーではないというか、イニシエーション的な感覚。
- 若木
- どうやって記憶に留めておくか、逆に今だんだん物忘れがひどくなっているので。
- UA
- 多分わざとなんだと思う。全部を覚えていたら病気になるんじゃないかな。
- 若木
- 確かに。
- UA
- 私も本が大好きだけど、アナログレコードのような存在に本がなりかねない。
- 若木
- もうほぼなっていますよね。
- UA
- なっている? やっぱり。
- 若木
- でも必要だと思う。記憶が飛ぶからどんなに大事だと思っていても忘れるんですよ。残っていないとあれは夢だったんじゃないかなと思うようになってきた。
- UA
- それまさにあれじゃない?「我思う、故に我在り」」みたいな、本当に今私はいるのだろうかとか思うわけでしょ。哲学的に。これ全部夢じゃないのかなとか。それを疑っている私がいるから私だという。忘れている場合はちょっと違うか。