互いに作用し合うクリエイティビティ
森本千絵(アートディレクター、コミュニケーションディレクター)×近藤良平(振付家、ダンサー)
2022
06.10
森本さんは、博報堂を経て、デザインチーム「goen°」を設立し、Mr.Childrenなどミュージシャンのアートワーク、NHK大河ドラマ『江 〜姫たちの戦国〜』や朝の連続テレビ小説『てっぱん』のタイトルデザイン、さらには、映画「海街diary」の宣伝ビジュアルなど多岐にわたる仕事で知られています。
一方、学ラン姿でダンス、生演奏、人形劇、映像、コントを展開するダンスカンパニー「コンドルズ」の主宰を務める近藤さん。今年、彩の国さいたま芸術劇場の芸術監督にも就任されました。
今回は、現在、「Dear Mr.Children展」が開催されているギャラリーの上にある、森本さんの事務所「goen°」で対談が行われました。
衝撃的な出会い
- 近藤
- どうも、こんにちは。
- 森本
- こんにちは。ここに来るのは久しぶりですね。
- 近藤
- 出会いは、「goen°」という名前をつける頃かな。
- 森本
- 2006年にミュージシャンの坂本美雨さんがミュージッククリップを作る時に、「近藤さんを出演させたいから会ってみて欲しい」と言われ、美雨さんはミュージシャンなのに身体性を非常に大事にしていて、近藤良平さんという人に憧れていて。
- 近藤
- ワークショップに普通に参加しに来ていた。
- 森本
- それで、高田馬場で初めてお会いして、私は代理店出身なので、一生懸命だったんですが。
- 近藤
- その時に初めて「プレゼン」という言葉を知りました。
- 森本
- 近藤さんに会うまではちゃんとしていたので、ちょうど近藤さんが、「情熱大陸」に出られ、日本を代表するコンテンポラリーダンスの主宰の人だから、企画書をちゃんと作りました。美雨さんのミュージッククリップは、水を張ってそこに映像を映し出し、その中で近藤さんに踊ってもらうことを一生懸命、緊張して伝えたんですけど、一瞬にして「OK」って。
- 近藤
- でも、よく覚えていますよ。
- 森本
- 今、プロジェクションマッピングは当たり前になったけど、あの頃は先端でした。
- 近藤
- 僕も半分わかったようなわからない感じで「いいよ」と言ったのを覚えている。
- 森本
- 私としてもずっとコマーシャルフィルムしかやってなかったので坂本さんのミュージッククリップを初めて作る時は、広告のスタッフたちがみんな気合を入れていました。近藤さんは、水の中に入って来るまではふわふわしているんですよ。何を言っているのか全然わからない。でも水に入って一筋の映像の光が水に映し出された瞬間、水がフラットになるのを待って、ちょっと動くと波紋が起こるじゃないですか、その瞬間にすごい集中力に圧倒され、みんなが釘付けになるような静かな中で、本当に繊細な体の使い方や動きが始まり、あんなに近くでそんな瞬間を見たのは生まれて初めてだった。ダンスは、賑やかに踊ることしか知らなかったからすごいびっくりして、なんてかっこいいんだろうと思って感激して、本当に感動して、すごい震えて、ちょっと泣きそうになって、それで終わってから近藤さんの楽屋に改めてご挨拶に行ったら、また元通りの近藤さんに戻って、ヘルメットを持って、普通にバイクで帰って行ったんですよ。
- 近藤
- 多分その時はあまりに寒かったのでこれで終わらせようと思ったんじゃないかな(笑)。
相乗効果を発揮するコラボレーション
- 森本
- それから近藤さんに自分がやってきたことを知って欲しくて、私の周りの面白い人を近藤さんに会わせたくなったり、近藤さんのことをもっと知りたくなって、コンドルズを観るようになったら、面白くてびっくりして、日本人で男の人たちがかっこつけずに楽しむことをかっこつけていると言うか、自分よがりでなくて誰でも踊れるようで踊れない。そういう世界に魅了されて、近藤さんに「私もダンスできますか?」と聞いたら、私みたいな当時、代理店の固いアートディレクターに近藤さんは握手してくれて、すごい手を振られたんですよね。そういうのでもいいというか、美雨ちゃんが「ワークショップはそういう感じ」と言っていて、こういう感じで普通に綺麗に踊るとか、かっこよく誰もが踊れるとよりはその人が持っている身体性、育ちや性格みたいなものを生かして解放していくことを知り始めた、そこからですね。もう一気に私、コンドルズの全公演ほぼ全部を観に行って、何かと私の仕事に近藤さんを巻き込むようになって、CMやテレビ番組を作ってみようと思って一緒に企画してみたりしました。
- 近藤
- NHKの番組の時もお好み焼き屋に行ってね。
- 森本
- 連続テレビ小説「てっぱん」ですね。
- 近藤
- 動きのあるオープニングを作りたいということで。
- 森本
- あれも先端でしたよね。みんなが踊ることは、その後、増えたけど、その時も、監督の中島信也さんと私と近藤さんでお好み焼き屋に行って、振り付けが生まれましたね。