新時代の”飲みニケーション”
稲垣えみ子(フリーランサー)×山極壽一(総合地球環境学研究所所長)
2021
12.10
一人飲みの極意
先日、稲垣さんは、朝日出版社から「一人飲みで生きていく」というご本を出版されました。一人飲みを極めることで身につけた独自のコミュニケーション術について教えていただきます。
- 稲垣
- 会社を辞めることは簡単にいうと、肩書きとお金を失うことですけど、例えば居酒屋に言っても、知っている店だったら、予約をする時に「朝日新聞の稲垣です」と言って予約をして、なんとなく所属している自分みたいなところで世間と付き合っていたけど、それをなくして、全然知らない店に一人でぽつんと行った時に自分の肩書きとか一切通用しないので、最初は、どうしていいか分かんなかったのです。だんだん自分の態度をよくしないとみんなに受け止めてもらえないのがわかって、自分が自分がっていくのではなくて、言葉で、私はこういう人間でとか説明するのではなくて、そこで飲み食いしながら、みんなが笑っていたらなんとなく横で楽しそうにちょっと笑ってみたりとかまわりと同調する。変に媚びるわけではないけど、周りの空気を良くするために言葉でなくて、雰囲気でできる努力をしたら世界がめちゃくちゃ広がったっていうか、どこに行っても言葉ができない外国に行っても、なんとなく受け入れてもらえるような能力がちょっと発達してきたとこがあるんですね。
- 山極
- 僕もいろんなゴリラを追って、アフリカ、ヨーロッパやアメリカにも行ったことがありますけど、結局、人に溶け込むのは、自分を主張する事じゃないんだよ。
- 稲垣
- そうなんですよ。
- 山極
- でも無視されたら面白くないじゃないですか、ちょっと面白いなと思ってもらわないといけないんだよね。その部分の振る舞い方は、郷に入れば郷に、でも郷に入れすぎてしまうと、目立たなくなっちゃうから、異文化という物を背負わないといけないし、それは技術だね。場慣れも必要だし、その中で同調し合いながら誰とも交わらない自分を意識しながら振舞っていないといけないとこもあるんですよね。それを僕は人相手でなくてゴリラで覚えたね。
- 稲垣
- ゴリラは、究極の外国人というか、振る舞いのみですよね。
- 山極
- ゴリラと対峙して、絶対にやってはいけないのは、後を向いたらいけない。日本猿相手だと後向いてもいいんですよ、わたしとあなたは関係ないよという表明なんで、それ以上関わってこないわけ。ゴリラの場合は相手によって態度を使い分けないといけないんですよ。
- 稲垣
- 痛い思いをして、これはいいとかだめとかを学んでいくんですか?
- 山極
- 私は2頭のメスに前後挟まれて飛びかかられて、膝の上を噛まれ、頭を噛まれ、相当ひどい目にあいましたね。
- 稲垣
- 2頭合わせて襲ってきたんですか?
- 山極
- そう、でもそれはしつこくゴリラの後を追いかけすぎたんだよね。ちょっといい加減にせいと怒られたんだけどね。その後、2頭のメスが悪いことしたなみたいな雰囲気があって、ちょっと親密度が上がりました。言葉を喋らないだけに相手の気持ちがストレートに伝わってくる。それを人間同士の間でも感じるべきだけど、言葉を前面に出してしまう。
- 稲垣
- 一番手っ取り早いからですからね。
- 山極
- しかも言葉で傷つく。でも向かい合っていろいろやっていると、ひどいことを言ったとしても水に流せるじゃないですか、それが文字化してしまうと、ひどいことになるんです。SNSにしてもインターネットにしても非常に便利なコミュニケーションツールを手に入れたけど、それが故にもっと悲惨に傷つくことになったんですよね。
コロナで知った共鳴することの大切さ
- 稲垣
- 私、コロナ後、自分がどうやって生きるかなと思った時に移動したり、人と交わることがある程度気を使わなくてはいけないことは間違いないと思うんですけど、そういうリアルな世界がなくなるのが、ちょっと嫌な気がしていたんですよ。居酒屋の話で恐縮ですけど、居酒屋に久しぶりに一人で行ったら、パーテーションがあって一人客が、そこに3人並んで、今までだったら気軽に知らない人とお話をしたりするお店だったけど、今は、それもやや憚られる。みんな黙って飲んでいたんですけど、なんとなく隣の人が気になるんですよ。それでも何か話してはいけないと思っていて、ちょうど、秋刀魚がおすすめと書いてあって、食べたいなって思ったんですけど大きすぎると食べきれるかな、どうしようと思っていたら隣の人が「おれ、秋刀魚ね」と頼んだんですよ。ちょうど、醤油が私の前にあったので、「醤油を取ってもらえますか」と言われて、「どうぞどうぞ」と渡した時に秋刀魚をじっと見て、この大きさだったらいけるなって思って、「おいしそうですね」と一言言ったら「おいしそうでしょ」って言われて、「私も秋刀魚」って頼んで、そうしたらの向こうの隣の人もその会話を聞いていて「僕も秋刀魚」って言ったんですよ。私、コロナ後は、これだなって思って、まさに言葉ではない、話さないけど態度となんとなくの共感でリスクは少ないけど言葉以外の会話があって、繋がりあってみんなニコニコと秋刀魚を食べて帰ったという。
- 山極
- 共感でなくて共鳴だよ。
- 稲垣
- そうそう。
- 山極
- 共感というと、心の感じがするのだけど、五感全てを使った共鳴だね。
- 稲垣
- 言葉以外のことを全て使ったんです。秋刀魚を焼く匂いとか、身振りとか、言葉なくてもいけるなとその時思ったんですね。コロナ後はデジタルでなくてこっちなんじゃないかなと。
- 山極
- そうだよ。今、若い人でも日本中を回って、世界も旅して、イベントに参加したり、サッカーや野球、コンサートを見に行ったり、お祭りに参加したり、それはみんな共鳴だよ。
- 稲垣
- その場にいることをこれほど考えたことがなかったというか。
- 山極
- 単純の話だけど、コロナが下火になって、何をするわけではなく、みんな雑踏に出かけるわけでしょ、あの雑踏の中にいる自分がたまらなくいいんです。その本質は動く、集まることにあるんだよ。知っている人に会うことではなくて、なんかの集団の中に自分がいる安心感と自分という存在感を改めて思い起こさせてくれる。
- 稲垣
- 歩いているだけでもですよね。
- 山極
- 電車に乗って、人が降りて、自分も一緒に降りて、改札に向かって歩く。なんかウキウキするじゃないですか、それだと思うね。