ボサノバが生まれた背景
小野リサ(ボサノバシンガー)×渡辺真理(アナウンサー)
2021
07.02
ブラジル・サンパウロ生まれ。ナチュラルな歌声、リズミカルなギターでボサノバを日本中に広めた小野さん。ボサノバの神様アントニオ・カルロス・ジョビンや、ジャズ・サンバの巨匠ジョアン・ドナートら著名なアーティストとの共演や、ニューヨークやブラジル、アジア各国での公演も積極的に行い、海外においても高い評価を得ています。
一方、TV局の看板アナウンサーとして活躍した後、フリーに転身され、報道番組など数多くの人気番組に出演してきた渡辺さん。
おふたりのお付き合いは、30年に渡ります。
30年来の仲
- 小野
- お元気ですか?
- 渡辺
- リサから「お元気ですか?」と言われたことない。面と向かって話さないじゃないですか。
- 小野
- 最初にテレビ番組に出させて頂いた時に、司会をしていたじゃない?
- 渡辺
- その時以来ですよ、こうやってちゃんと話すの。
- 小野
- その後、久米さんの番組でジョビンの息子さんとお孫さんを連れて行って、
- 渡辺
- あれは、2000年。私たちの付き合いは、20年前から?30年前?温泉に行ったのが2002年か3年とか。その前に、オーストラリアに行ったじゃない。
- 小野
- オーストリアがオーストラリアに!「どこか行きたいね」と言って、オーストリアに行くことになっていたんだよね。
- 渡辺
- ちょうど、リサの夏休みが取れるから、ザルツブルク音楽祭に行こうと言ってくれて、『サウンド・オブ・ミュージック』の世界だから、こんなラッキーで素敵なことがあるのかしらと。でも、翌日、リサから電話があって、歌うような声で「オーストラリアにしない?」と。一音だけ違うけど、「すごい遠いよ」と言ったのよね。
- 小野
- あの時、寒かったのよね、だから、暖かいところがいいなと思って。
- 渡辺
- いいよ、別にとなって、 夏休みにオーストラリアに行って、ただゆっくり過ごしたんだよね。海辺でご飯を食べたり、散歩をしたりとか。お部屋で、のんびりしていたら、リサがギターを持ってきていて、なんとなく弾いて、「すごく素敵な曲ね」とか、そういう感じだったよ。今度、ザルツブルクに行こうね。
- 小野
- 30年とか40年経ってね。
ボサノバの魅力
小野さんといえば、2013年にブラジル政府より、リオ・ブランコ国家勲章を授与されるなど、日本におけるボサノバの第一人者として、その地位を不動のものとしています。
- 渡辺
- 以前、ブラジルに誘ってくれていたじゃない。サッカーのワールドカップの時は、混んでいるから別の時とか言って、実現していないけど、ブラジルにリサと行ってみたいな。
- 小野
- 本当に行く時があれば、「リサと行こうブラジルツアー」をやりたいですね。
- 渡辺
- もちろんアフターコロナだけど。アントニオ・カルロス・ジョビンのファミリーの方々はどう?
- 小野
- お元気そうで、ちょっと浮世離れした家族よ。
- 渡辺
- どんな感じなの?
- 小野
- 彼らがピアノをジャンと弾いただけで、もうジョビンの音楽になる。そういうDNA。日本だと歌舞伎座や能みたいに、家族でどんどん受け継いでいく芸術みたいなところが彼らにはある。
- 渡辺
- ボサノバは、なんでこんなに軽やかで、優しくて柔らかで、だけど少しドライなところもあって、本当に似ているものがない。あの場所であの気候であの湿度であの食べ物ではないときっと生まれなかったんだろうね。
- 小野
- やっぱり生みの親であるジョアン・ジルベルトさんがそういう人だったね。ジョアンは瞑想が好きだったので、バッキングを生み出すまでに、すごい何ヶ月もかかっていた。よくブラジルの黒人のサンバを演奏している人たちが住んでいる山の上に行って、彼らの音楽を吸収して、歌っていた。この前、エルヴィス・プレスリーの特集を見ていた時に同じような感じだったんだけど、エルビスもすごい貧しかったから、黒人の音楽に魅せられて、自分のロックンロールのスタイルを身体の中に取り込んで、だからジョアンも多分そういう黒人の音楽の一番、大元のところを自分が吸収して、ギター一本でそれを表現したことで、ボサノバが生まれた。ジョアンのお父さんも牧師さんでエルビスも教会に行って、歌は祈りだという。ジョアンもそういうところがあって、祈るように歌を歌っていたのかな。エルビスはロックだけど、ブラジルの大地でジョアンが生まれたのは、何か不思議だけど、神様からの贈りものなのかもしれない。
- 渡辺
- 代々、私たちがもらっていく宝物よね。
小野リサ "Fly me to Brazil…”は、7月9日から12日まで、場所は、Blue Note Tokyoで開催されます。