人生のタイミングが重なった瞬間
野口健さん(アルピニスト)×藤巻亮太さん(ミュージシャン)
2018
10.26
おふたりは、10年前、藤巻さんからのラブコールで出会い、「登山」がつないだ縁で、これまで、ヒマラヤ、アフリカやアラスカなど世界中を一緒に旅されてきました。
藤巻さんも野口さんとの出会いが、ご自身のターニングポイントとなったようです。
ふたりを繋いだ「旅」と「カメラ」
- 藤巻
- 初めて野口健さんに連れて行ってもらったのが、ネパールですね。
- 野口
- その前に八ヶ岳に行って、僕、いつネパール行こうって言った?
- 藤巻
- 八ヶ岳の後ぐらいに「その年末開けといて」みたいな気軽な感じで、僕は「えーー」と思って、そんなところに行けるんですかって思って、
- 野口
- 出会った年の年末には行っているんだよね。初めて行ったヒマヤラはどうだった?
- 藤巻
- その年は、レミオロメンで47都道府県ライブをやって、それ以外にも結構ライブばかりやっていて、僕も口にヘルペスができるくらい疲れていて。
- 野口
- ヒマラヤ行く前の日に僕の家で合流したでしょ、どっかのライブを終えて、夜遅くに僕の家に来た時に顔がボロボロすぎて。
- 藤巻
- もう疲れ切っていて。
- 野口
- ヘルペスがいっぱいできてて、「顔大丈夫?」って。
- 藤巻
- 僕、もう疲れすぎてて、このままヒマヤラに行けるんだろうかっていうね。
- 野口
- そうだよね。
- 藤巻
- もう行くしかないと思って行ったんですけど、びっくりしたのは自然の中を歩くと、無茶苦茶元気になりますね。びっくりしました。あんなにぼろぼろだったのに、内側から元気になっていくというか。
- 野口
- 歩くことしか手段がないでしょ、1日12時間ずっと歩くでしょ、あと気がいいよね。オーラというのかな。
- 藤巻
- 空気が澄んでいて気も良くて。
- 野口
- 僕、なんで、誘ったのかなと思った時に亮太さんは、レミオロメンが10周年目で、なんとなくそこでどっかで自分の中でモヤというか、このままでいいのかなとか言う、そういう時期だよね。
- 藤巻
- おっしゃる通りですね。
- 野口
- 僕もそれに近くて、ずっと10代からヒマラヤに登って、もう55、56回かな。ヒマラヤにいるのが当たり前すぎるし、僕の場合、清掃活動が始まって、これは趣味というよりも役割でいくでしょ。20代の頃は、まだ、行きたい、やりたい。やりたいからやらなきゃならない事っていうところにシフトしてきて、30歳をすぎるといい大人なので、やらなきゃならないことの方が行きすぎたのね。そうすると自分の中の感情が乾いてくんだよね。なんか疲れてるって言うか、枯渇するというか。
- 藤巻
- 当時、健さんおいくつくらいでした?
- 野口
- 34か35歳とかかな。今の亮太さんよりもちょっと若いくらいか。例えばヒマラヤから帰ってきて、講演とか行くでしょ、すると先生方に「挑戦することの素晴らしさとか夢とかについて語ってほしい」って言われるけどね。
- 藤巻
- まあ学生とかには、そういう風に言ってほしいって言われますよね。
- 野口
- でも本人がワクワクしてないのね。僕自身が僕にね。ヒマラヤにいても同じことを繰り返して、感動しなくなってきてわけね。感動しないのに帰ってくると感動することを求められわけ。
- 藤巻
- そういう話をしてくれと。
- 野口
- しょうがないから学校に行って、マイクを持って一生懸命自分はワクワクして「楽しいよ。夢を追っているよ!」って言うことをしゃべるしかないよね。どっかでドキドキしているとか感動をしてる自分を演じるようになるわけね。演じるようになるとだんだん疲れてきてね、人を騙すのはそう難しくないと思ったのね。でも、自分を騙るのは不可能ね。だから講演をやればやるだけ刃が向かってくる感じで、それで人前で喋るのもしんどいなーって思っていたような時期だった。
- 藤巻
- そのタイミングで僕と一緒に?
- 野口
- そう!それで八ヶ岳に行った時にお互いに写真が好きですね。僕はちょっと写真から離れていたんだけど、亮太さんが八ヶ岳で写真を撮っていて、後ろから見ていたらめちゃくちゃ楽しそうに撮っていてね。
- 藤巻
- 写真に救われた部分もあったと思いますね。
- 野口
- それを見た時に、はっとしてね、僕が子供の頃に人生で一番最初になりたいと思った職業はカメラマンだった。中学高校生の時、写真部で、高校の時から山に登り始めて高3の頃に登山家になるのか、カメラマンになるかで揺れて、登山家を選んでカメラは置くわけ。自分で撮ることはなくなかった。だいぶ時間がたって、八ヶ岳で亮太さんが写真を撮っている時に、俺の夢は、登山家じゃない、カメラマンだったよね、ふと、カメラマンになりたいって。30代半ばの時になりたいものが見えた。
- 藤巻
- 今もそこからすごい撮られていますよね?
- 野口
- 今は完全にカメラマンに向かってまっしぐら。
- 藤巻
- 本当ですか?(笑)
- 野口
- 本当ですよ。だから、家に帰ってカミさんに「おれ、夢がある」って言ったら、「何?」って言うから、おれが「カメラマンになるのが夢だ」と言ったら、ずっこけてた。「30半ばでそれ?」とか言い出して「30半ばでも今からはじめたっていいだろう」と言って、それからカメラ選びからはじまって、亮太さんと取り憑かれたように旅行ったんだよ。
旅を通じて自分を見つめ直す
藤巻さんも野口さんとの出会いが、ご自身のターニングポイントとなったようです。
- 藤巻
- 同じように、僕も写真に目覚めたのが、その頃で、写真にこんなにのめり込むと思わなくてですね、とにかくそのままヒマラヤに行って、一緒に撮るわけですね。僕自身、ちょうどわかりやすくて、20代がレミオロメンで、30代でソロ活動になってくんですけど、そのきっかけになったのがヒマラヤで、その時、2週間ぐらい歩いたのかな?
- 野口
- 2週間は歩くよね。
- 藤巻
- そんなに山を歩くことなんて人生で経験がなかったので、日本で音楽をしている自分は、何に悩んだかわかんないくらいぐちゃぐちゃってなっていくじゃないですか。スケジュールに追われて、自分がしたいことをしているのか、もうなんか歩いているのか、歩かされているのかも分からなくなってくる、で歩かされているんだとしたらも足がもつれてる。その原因もなんだかわからない。みたいなことが20代の後半にあって、そのタイミングで野口健さんと出会って、ヒマラヤに行った時に初めて、物理的にヒマラヤって遠い場所ですよね。
- 野口
- まぁ遠いよね。
- 藤巻
- 初めて、精神的にも、日本で音楽をやってる自分から離れられて、日本で音楽をやってる自分がすごく客観的に見えたんですよ。やっぱり僕自身も例えば「粉雪」みたいな曲をもう1回作んなきゃいけないんじゃないかとか、バンドとしてやっぱりポピュラー音楽をやっていかなきゃいけないんじゃないかとか、こうしなければいけないとか、こうするべきだとか、こうであるべきだとか、っていう思い込みですよね。もともと音楽は、そういうものを崩すために始めたのに、どっぷりそういう中にいる自分自分に気づくというか。
- 野口
- そっちのほうが安心するっていうのもあるの?
- 藤巻
- あります。結局は、そういうものにすがらないと立っていられないような時期だったんですけど、すがるって事はやっぱりその一個、そういう思い込みの箱の中にいなきゃいけなくて、そういう思い込みの箱の中からはやっぱり新しいものが生まれてこなくて、健さんも飽きてるとおっしゃっていましたけど、僕は僕なりにそういうものに詰まりを感じていた時期で、それも誰かが自分に押し付けているものじゃなかったんですよね。自分が作ったものだったんですよ。僕はこういう音楽を作んなきゃいけないとか、こうあるべきだとか、
- 野口
- あとは例えば自分の中でバンドとしてやっているからね、自分が作りたい曲と、レミオロメンで作らなきゃいけない曲のギャップが出てきたとかしました?
- 藤巻
- それもありましたよね。本当にそういう時期に、レミオロメンとして求められているであろう音楽と、その当時のリアリティって若干違ったんですよね。よりパーソナルのものだったんで。でもそれが今僕にとって一番リアリティのあるものだから。その時、10日ぐらいずっと山を歩きながらソロ活動という道もあるのかな、今までバンド以外の活動なんて考えもできなかったんで、初めて客観的に自分を見つめた時にこういう道もあるかもて思えたのが、最初のヒマラヤ登山で、自分はソロ活動するきっかけをもらったのもあの旅だったような気がしますね。