人生の岐路での決断

松浦 弥太郎さん(ウェブメディア「くらしのきほん」主宰、エッセイスト)×水野 仁輔さん(カレー研究家)

2018

02.25

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フリーで仕事をはじめ、のちに、雑誌「暮らしの手帖」の編集長を務めたり、クックパッドへ移籍された松浦さん。一方、サラリーマン生活に終止符を打ち、独立を果たした水野さん。毎月、レシピ付きのスパイスセットを届けるサービス「Air Spice」をスタートさせるなど、カレーをハブにした活動をさらに広げていらっしゃいます。

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食べていけるか、いけないか



水野
弥太郎さんは、長いことサラリーマンをやっていたのではなくて、スタートが本。

松浦
水野さんと逆なんですよ。僕はどこにも所属しないでやってきて。40歳になって、はじめて「暮らしの手帖」という老舗の出版社に就職したんですよ。

水野
よく「それって食べていけるの?」みたいなことあるじゃないですか。どこかのタイミングで、本で食べていくと考えたんですか?

松浦
そもそもコンプレックスで、17歳、高校2年で学校を辞めているので、普通の人と同じように仕事はしていけないんだ、違う歩み方をしないと世の中の役に立てないと思ったので、はなから最初に会社に入るというドアの前に立つ事さえしないというか。

水野
ここまでにくる途中の弥太郎さんに「本で食えるの?」と聞いてきた人もいたんですよね?その時はどんな気持ちだったんですか?

松浦
食えるよ!というか、食っていくしかないね、その覚悟ですよね。

水野
僕はサラリーマンで月給がある状態でやってきたので、カレーで食っていけるかという考え自体があまりないというか、会社を辞めて独立すると決めた時に応援してくれた人もいっぱいいたし、一方で大丈夫か?40歳過ぎて会社辞めてという人もいっぱいいたんですよ。でも僕、不安は全くなかったですね。お金は結果的に入ってくるかもしれないもので、入らなければ入らないで、いいやという気持ちで会社を辞めている。なんで辞めたかというと、時間という物理に我慢ができなくなったんですよね。僕のカレーでやりたいことが月曜から金曜を他のことにまわしていられなくなったというか。だからその時にお金が大丈夫だろうかという考えがないというか。

松浦
僕もある種、どこにも所属しないで自分が好きだったり、自分が信じたことをやり続けていて、いくばくかのお金を稼いで生きてきているんですけど、その道には大変な時もいい時もあるし、普通の時もあったりして、ある時、人は何に対して時間とお金を使いたいのかに向き合った時があって。僕は本を売ったり自分の文章を誰かに買ってもらうことで自分の生計が立つわけです。そこの根本、原理原則みたいのを知りたいと思ったの。その時、ひとつわかったことは、自分を助けてくれるものに対しては、わずかながらのお金であろうと払う。

水野
時間にしてもね。

松浦
そう。自分の貴重な時間を使うことは、きっとそれによって自分が助かる。食べるものにしても洋服にしても趣味のものにしてもそれを払って手に入れることで、何かしらの自分が助かる。気分なのか、心の状態なのか。それに気がついた時に最終的に世の中の人を助ける事ができるのかと考えた時にできるなと思ったことをやっていればぜったいに食っていけると思った。

水野
なるほど。


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仕事における信念



水野
自分の中での判断基準として、時間とお金という物理的なものを一回取っ払うんですよね。この話はお金が全くもらえなくても僕はやるかどうか、時間がものすごくかかるものでも、やりたいかどうかというのが判断基準なんですよ。それでもやるって思ったら、提示してくれたお金をもらってやる。でもお金がもらえないんだったら、もしくはそんなに時間がかかるんだったらちょっと僕はやらないかもと思ったら断るんですよね。それがどんなに大きなお金を提示されていても。

松浦
それは大事ですね。悩むことは僕らの日々の中ではしょっちゅうあるんです。なぜ悩むかというと、僕らの毎日は何かを選択することばかりじゃないですか。仕事にしても取り組んでいることについても必ず自分の心に聞く感じですね。金額や条件を抜きにしてほんとうにそれをやりたいのか?人間ですから、いろんな欲とか気の迷いがあって、心からやりたいと思わないことを引き受けてしまうこともあるんですよ。でも必ずそれは後悔するんです。その後悔が一瞬だったらいいんですけど、けっこうダメージが大きいというか、残る。

水野
それはわかる気がする。僕もきちんと判断してやれているわけではないから、誰かに会った時に「あれ見ました」とか「○○の水野さんですよね」とか言われた時の○○やちょっとでもそういう気持ちが介在していた時は、そこの水野って言われなくないっていうのが

松浦
あるよね。

水野
そこの水野って言われたくないのはできるだけ外したいですね。逆にいうと、なんの水野さんですかとか、聞かれた時に、これをやっている水野です、という”これ”のところは、自信をもって言えるのは増やしたいと思います。

松浦
結局自分のビジョンがあると思うんですよ。そのビジョンにこだわれるかどうかだと思うんですよ。ただそのビジョンを見つけるのが並大抵のことではないんです。

水野
そうなんですよ。僕はまだ明確なビジョンを見つけられていないので。今僕の中ではビジョンにたどり着くかもしれないから大事にしているのは”なんとなく”という感覚です。なんとなくこれはよさそうな気がするとか、なんとなく嫌だなという、このなんとなく思う事にはけっこう従うようにしていて、なんとなくの塊が明確になってわかりやすい言葉に自分の中で置き換えるようになると、おそらくそれがビジョンだと思うんですけど、今はなんとなくと感じるものを優先して活動しようと思っています。

松浦
それいいらしいですよ。

水野
そうなんですか。

松浦
○に近い△っていうらしいですよ。

水野
へー。

松浦
世の中の人は、○か×に分けがちではないですか?だけど実は○と×の間に△があるんだよねということをみんな忘れていない?○と×で全て分けていたら苦しいし辛いではないですか。人間ってなかなか○にいけないだもん。いつもわたしは×だねみたいな生き方ってしんどいでしょ。でも△って生き方が間にあって、そこに僕は個性とか魅力とかいろんなおもしろみがあるんじゃないかなと思っていて。

水野
△をちょっとずついっぱい重ねていって○っぽくみえる。

松浦
それでいいじゃないみたいな感じで、僕や水野さんはいろんなこと乗り越えているんじゃないかな。


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