12月1日の世界エイズデーに向けて、エイズウィークでお届けしている『Hummingbird』、
今日のゲストは「薬害エイズ事件」当事者でいらっしゃいます、参議院議員、川田龍平さんです。
19歳のときの実名公表であまりにも有名な川田さんですが、
実際にお目にかかってお話をうかがえるのは初めて。
ハチドリ高柳も、少し緊張して川田さんのご到着をお待ちしておりました。


(でも川田さんは、穏やかで落ち着いた物腰としゃべり口調。痛みを知っている方に特有の、
深い人間性のようなものを感じました。)

まずはこのブログを読んでくださっている方のために、もう1度、「薬害エイズ事件」について、
簡単にご説明しましょう。
1970年代後半から1980年代にかけて、血友病の治療用に使われた、
「非加熱の血液製剤」というものにHIVウィルスが混入しており、その血液製剤を投与された、
世界中の患者の方が、HIVに感染した、という事件です。

そして川田さんは、生後6ヶ月で血友病と診断され、そのときに治療のために投与された、
「輸入血液製剤」によってHIVに感染。
10歳のときに、お母様である川田悦子さんから、HIV感染を告知されました。
17歳のときにHIV訴訟の原告団に加わり、19歳で実名を公表。
HIV訴訟では先導的な役割を果たし、ついに国側の大幅譲歩による和解、という、
事実上の勝訴を勝ち取りました。
そして今年の夏、東京都から無所属で立候補され、当選。
現在は、参議院議員として活躍されていらっしゃいます。

ここまで、長い長い道のりを戦い続けていらした、強い精神力を持つ川田さん。
でも、10歳のときに感染を告知されたときには、
やはり相当ショックだったのではないでしょうか?

「そうですね。今は全然そんな風に思っていないですけど、当時は母親に、
『僕はエイズだったら自殺するよ』って言ってしまったんです。
当時はやはり、死の病っていう印象も強かったですし、僕はもう長く生きられないんだ、と思って、
その日が楽しければいいや、みたいな生活をしてしまったときもありましたね。
母親は、とても苦しんでしまったみたいです。」

そうですよね・・・。10歳の幼い子には、あまりにもつらい宣告ですよね。
でも、そこから気持ちを切り替えて、戦う気力を付けてくれたのは・・・?

「僕は幸いなことに、友達に言うことが出来たんです。
そしたらその友達が、『僕は気にしないよ。昨日のお前と今日のお前と、
違うところなんかないんだから。』と言ってくれた。
また、『でも、同情もしないよ』とも言ってくれたんです。その言葉が、とても大きかった。
同情されるのが、一番つらいんです。」

本当に、素晴らしいお友達がいらしたんですね!
やっぱり、HIVに感染した方が身近にいたとき、そしてその方からカミングアウトされたとき、
その方をどうやって受け入れ、支えたらいいのかが、
私たちとって大きな課題のような気がします。
でも、1日におよそ4人ずつの感染者が発覚している日本では、
すぐ隣の友人から、または会社の隣のデスクの方から、
そういう告白をされる日が来ない、とは、絶対に言えないのです。

同情はしない。でも、きちんと理解し、受け入れ、支える。
言葉にすることは簡単でも、実際に相手を絶対に傷つけないように出来るのか?
正直言って私も不安です。
でも、そのための努力は最大限にしていきたい。
そして、少しでも悩んだり苦しんだりしている感染者の方たちが、
カミングアウトしやすい社会を作るために、私に出来ることは全てしたい。
でも、そのために出来ることは何なのか?
川田さんにお目にかかったのをきっかけに、何度もぐるぐると考えてしまった、
今日のハチドリ高柳でした。