2007年11月29日
薬害エイズ事件とは
12月1日の世界エイズデーに向けて、エイズウィークでお届けしている『Hummingbird』、
今日のゲストは「薬害エイズ事件」当事者でいらっしゃいます、参議院議員、川田龍平さんです。
19歳のときの実名公表であまりにも有名な川田さんですが、
実際にお目にかかってお話をうかがえるのは初めて。
ハチドリ高柳も、少し緊張して川田さんのご到着をお待ちしておりました。
(でも川田さんは、穏やかで落ち着いた物腰としゃべり口調。痛みを知っている方に特有の、
深い人間性のようなものを感じました。)
まずはこのブログを読んでくださっている方のために、もう1度、「薬害エイズ事件」について、
簡単にご説明しましょう。
1970年代後半から1980年代にかけて、血友病の治療用に使われた、
「非加熱の血液製剤」というものにHIVウィルスが混入しており、その血液製剤を投与された、
世界中の患者の方が、HIVに感染した、という事件です。
そして川田さんは、生後6ヶ月で血友病と診断され、そのときに治療のために投与された、
「輸入血液製剤」によってHIVに感染。
10歳のときに、お母様である川田悦子さんから、HIV感染を告知されました。
17歳のときにHIV訴訟の原告団に加わり、19歳で実名を公表。
HIV訴訟では先導的な役割を果たし、ついに国側の大幅譲歩による和解、という、
事実上の勝訴を勝ち取りました。
そして今年の夏、東京都から無所属で立候補され、当選。
現在は、参議院議員として活躍されていらっしゃいます。
ここまで、長い長い道のりを戦い続けていらした、強い精神力を持つ川田さん。
でも、10歳のときに感染を告知されたときには、
やはり相当ショックだったのではないでしょうか?
「そうですね。今は全然そんな風に思っていないですけど、当時は母親に、
『僕はエイズだったら自殺するよ』って言ってしまったんです。
当時はやはり、死の病っていう印象も強かったですし、僕はもう長く生きられないんだ、と思って、
その日が楽しければいいや、みたいな生活をしてしまったときもありましたね。
母親は、とても苦しんでしまったみたいです。」
そうですよね・・・。10歳の幼い子には、あまりにもつらい宣告ですよね。
でも、そこから気持ちを切り替えて、戦う気力を付けてくれたのは・・・?
「僕は幸いなことに、友達に言うことが出来たんです。
そしたらその友達が、『僕は気にしないよ。昨日のお前と今日のお前と、
違うところなんかないんだから。』と言ってくれた。
また、『でも、同情もしないよ』とも言ってくれたんです。その言葉が、とても大きかった。
同情されるのが、一番つらいんです。」
本当に、素晴らしいお友達がいらしたんですね!
やっぱり、HIVに感染した方が身近にいたとき、そしてその方からカミングアウトされたとき、
その方をどうやって受け入れ、支えたらいいのかが、
私たちとって大きな課題のような気がします。
でも、1日におよそ4人ずつの感染者が発覚している日本では、
すぐ隣の友人から、または会社の隣のデスクの方から、
そういう告白をされる日が来ない、とは、絶対に言えないのです。
同情はしない。でも、きちんと理解し、受け入れ、支える。
言葉にすることは簡単でも、実際に相手を絶対に傷つけないように出来るのか?
正直言って私も不安です。
でも、そのための努力は最大限にしていきたい。
そして、少しでも悩んだり苦しんだりしている感染者の方たちが、
カミングアウトしやすい社会を作るために、私に出来ることは全てしたい。
でも、そのために出来ることは何なのか?
川田さんにお目にかかったのをきっかけに、何度もぐるぐると考えてしまった、
今日のハチドリ高柳でした。
今日のゲストは「薬害エイズ事件」当事者でいらっしゃいます、参議院議員、川田龍平さんです。
19歳のときの実名公表であまりにも有名な川田さんですが、
実際にお目にかかってお話をうかがえるのは初めて。
ハチドリ高柳も、少し緊張して川田さんのご到着をお待ちしておりました。
(でも川田さんは、穏やかで落ち着いた物腰としゃべり口調。痛みを知っている方に特有の、
深い人間性のようなものを感じました。)
まずはこのブログを読んでくださっている方のために、もう1度、「薬害エイズ事件」について、
簡単にご説明しましょう。
1970年代後半から1980年代にかけて、血友病の治療用に使われた、
「非加熱の血液製剤」というものにHIVウィルスが混入しており、その血液製剤を投与された、
世界中の患者の方が、HIVに感染した、という事件です。
そして川田さんは、生後6ヶ月で血友病と診断され、そのときに治療のために投与された、
「輸入血液製剤」によってHIVに感染。
10歳のときに、お母様である川田悦子さんから、HIV感染を告知されました。
17歳のときにHIV訴訟の原告団に加わり、19歳で実名を公表。
HIV訴訟では先導的な役割を果たし、ついに国側の大幅譲歩による和解、という、
事実上の勝訴を勝ち取りました。
そして今年の夏、東京都から無所属で立候補され、当選。
現在は、参議院議員として活躍されていらっしゃいます。
ここまで、長い長い道のりを戦い続けていらした、強い精神力を持つ川田さん。
でも、10歳のときに感染を告知されたときには、
やはり相当ショックだったのではないでしょうか?
「そうですね。今は全然そんな風に思っていないですけど、当時は母親に、
『僕はエイズだったら自殺するよ』って言ってしまったんです。
当時はやはり、死の病っていう印象も強かったですし、僕はもう長く生きられないんだ、と思って、
その日が楽しければいいや、みたいな生活をしてしまったときもありましたね。
母親は、とても苦しんでしまったみたいです。」
そうですよね・・・。10歳の幼い子には、あまりにもつらい宣告ですよね。
でも、そこから気持ちを切り替えて、戦う気力を付けてくれたのは・・・?
「僕は幸いなことに、友達に言うことが出来たんです。
そしたらその友達が、『僕は気にしないよ。昨日のお前と今日のお前と、
違うところなんかないんだから。』と言ってくれた。
また、『でも、同情もしないよ』とも言ってくれたんです。その言葉が、とても大きかった。
同情されるのが、一番つらいんです。」
本当に、素晴らしいお友達がいらしたんですね!
やっぱり、HIVに感染した方が身近にいたとき、そしてその方からカミングアウトされたとき、
その方をどうやって受け入れ、支えたらいいのかが、
私たちとって大きな課題のような気がします。
でも、1日におよそ4人ずつの感染者が発覚している日本では、
すぐ隣の友人から、または会社の隣のデスクの方から、
そういう告白をされる日が来ない、とは、絶対に言えないのです。
同情はしない。でも、きちんと理解し、受け入れ、支える。
言葉にすることは簡単でも、実際に相手を絶対に傷つけないように出来るのか?
正直言って私も不安です。
でも、そのための努力は最大限にしていきたい。
そして、少しでも悩んだり苦しんだりしている感染者の方たちが、
カミングアウトしやすい社会を作るために、私に出来ることは全てしたい。
でも、そのために出来ることは何なのか?
川田さんにお目にかかったのをきっかけに、何度もぐるぐると考えてしまった、
今日のハチドリ高柳でした。
投稿者: 高柳恭子
コメント
いつも、会社帰りの電車の中で聴いております。
さて、28日(水)のゲスト、川田君ですが、実は私、大学の同期生なのです。
(私も東京経済大学の出身です。)
もう10年近く前の話になりますが、何回かお話をしたことがあります。私も彼も教職課程をとっており、同じ授業を受けていたことがありました。
とても忙しかったみたいで、ほんとに数回しか話ができませんでしたが、困難に負けない姿を見て、見習うところがたくさんありました。
久しぶりに彼の声を聞きましたが、とても元気そうで、よかったです。
放送を聴いていて、川田さんが幼少のときにお母様に言ってしまったお話。 衝撃を感じました。
そして川田さんはすばらしい友人に恵まれましたね。 これも運命だったのでしょう。
今回は薬害エイズをテーマにしていますが、薬害問題や新薬の認可など、果ては公害問題まで、
日本はアクションが遅いと感じることがときどきあります。
しかし、川田さんが自ら参議院議員でいらっしゃるので、これからに期待ができそうですね。
また、エイズの治療は研究が盛んにされています。 これにも期待しましょう。