テニスの4大大会で9度の優勝を誇り、女子テニス界に一時代を築いた、モニカ・セレシュ。
「天才少女」、「テニス界のマドンナ」、数々の称賛を得た彼女は1973年12月、ユーゴスラビアで産声を上げた。
5歳の時から、父親に手ほどきを受け、9歳で国内ジュニアのチャンピオンに。
15歳でプロに転向すると、フォア、バックとも両手打ちの強打を武器に、セレシュはすぐにめざましい活躍を見せた。
1989年、初出場の全仏オープンでいきなり準決勝進出を果たし、敗れはしたものの初対戦のシュテフィ・グラフに善戦。
翌年のドイツ・オープンでは、グラフの「66」という連勝記録を止め優勝を果たした。
セレシュ時代の到来を強烈に印象づけたまま挑んだ1か月後の全仏オープン。
決勝で待ち受けていたのは、世界ランキング1位のグラフ。
セレシュは、第一セットから積極的にグラフのバックを狙う作戦に出て、グラフの武器である強打のフォアを封じる。
第一セットはタイブレークにもつれるも、粘り勝ってセットをものにした。
第二セットもセレシュがパワーで押した。
グラフのパッシングショットが外れ優勝が決まった瞬間、セレシュはラケットを高々と放り上げ、目頭を押さえた。
モニカ・セレシュの四大大会、初めての優勝。
「16歳6ヶ月」は、当時の4大大会最年少での優勝記録で、現在も全仏オープン女子シングルスの大会最年少優勝記録として残っている。