Legend Story
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15.06.06
リディア・シモン

不屈のランナー、リディア・シモン。

シドニーオリンピック銀メダル、大阪国際女子マラソン3連覇、世界陸上エドモントン大会優勝と、輝かしい戦歴の持ち主だが、決して簡単なレースばかりだったわけではない。

足にできたマメがつぶれ、血だらけのシューズでゴールしたこともあった。
また、急性盲腸炎に苦しみながらも走り抜き、3位になったことも・・・。
そんな彼女の強靭な精神力は一体どこから来るのか。

1973年、ルーマニア北部の田園地帯で産声を上げたシモン。
農業を営む両親のもと、5人兄弟の長女として育った。
決して裕福とはいえない生活の中、母親の絨毯織りの手伝いをしながら、シモンは時間を見つけては走っていた。
シモンの才能は貧しさの中から見いだされ、開花したのだ。

大阪国際女子マラソンを3連覇し、世界にその名を轟かせたシモンは、「自分のすべてを見せたい」と2000年、シドニーオリンピックに臨んだ。

シモンと高橋尚子を含む20人の先頭集団がレースを引っ張る中、レースが動いたのは18キロ過ぎ。
高橋が満を持してのスパート。
選手がひとりふたりと脱落し、27キロ付近からは、シモンと高橋の一騎打ち。

高橋の後ろにぴたりとマークするシモン。
34キロ、再び高橋が仕掛ける。
少しずつ二人の距離が開く・・・。

40キロ地点で高橋とシモンの差は28秒。
絶望的な差かと思われたが、ここから驚異的な追い上げを見せた。
シモンがゴールテープを切ったのは、高橋がゴールしてからわずか8秒後。

猛追も実らず、結果は2位。シモンは悔し涙を流した。
それでも、最後まで諦めず粘りに粘った彼女の走りには賞賛の声が送られた。

苦しさに耐え走り抜く精神力でマラソンの歴史にその名を刻んできたリディア・シモンの走りは、彼女の人生そのものだった。