1996年アトランタ、あたりがすっかり暗くなった午後9時。
オリンピックスタジアムは、8万人を超える満員の観客で、異様な熱気に包まれていた。
男子200メートル決勝。
世界中の視線がこの男に注がれていた
3レーン、金色のシューズと金色のピアスが光るマイケル・ジョンソン。
場内が静寂へと変わり、緊張の一瞬。
号砲と同時に、8人が一斉に飛び出した。
最大のライバルとみられていたナミビアのフレデリクスが抜けだした。
しかし、コーナリングでジョンソンは、そのライバルを交わすと一気に引き離した。
上体が反り返りダチョウのようなフォームで足を誰よりも早く回転させる。
グングンとスピードを上げ、直線コースでは完全に抜け出した。
スタンドからのカメラのフラッシュすら、彼を追いきれない。
2位のフレデリクスを4メートル以上離してゴールに飛び込んだ。
ジョンソンは、すぐさま左後方の電光掲示板を確認。
『19秒32』
自身が出した世界記録19秒66を大きく上回る走りだった。
両手を上げ、全身で喜びを表すと、観客全員が総立ちになって祝福の拍手を送った。
ジョンソンは、過去、オリンピックで二度、苦い思いをしている。
ソウルでは大会前の疲労骨折でチャンスを逃し、バルセロナでは優勝候補金メダル確実と言われながら、食中毒のため準決勝で姿を消した。
挫折がジョンソンを強くした。
『19秒32』
「向こう100年は破られない記録」、「不滅の記録」とまで言われたこの圧倒的な記録は、12年後の2008年、北京オリンピックで、マイケル・ジョンソンが見つめる中、ウサイン・ボルトが出した19秒30という記録によって破られた。