1998年、長野オリンピック。
清水宏保は、男子スピードスケート500mの金メダルの最有力候補だった。
95年、97年のワールドカップで総合優勝を果たし、96年には世界距離別選手権を、世界記録で優勝した。まさに敵なし。
だが、このシーズンはスケート界に変化が起きた。
オランダの長距離選手などが使用していた、踵の部分のブレードが離れる、スラップスケートを、短距離選手も使用するようになっていたのだ。
それまでの、「ノーマルスケートとは違う技術」も必要となる。
清水もそれにいち早く対応したが、パワーのある外国人選手には、より有利だった。
その効果によって大きなライバルが現れた。
前シーズンワールドカップ総合12位だった、カナダのジェレミー・ウォザースプーンが、
オリンピック前のワールドカップで6戦中4勝。
一気に力をつけてきたのだ。
迎えた長野オリンピック本番。
1本目、スタートでミスをしながらも、100mは9秒66の最速タイムで通過し、35秒76のオリンピック新記録でゴールした。
2位とは0秒02差で、3位とは0秒05差。
最大のライバル、ウォザースプーンは、第2カーブでバランスを崩し7位。
翌日の2本目、清水は、ライバルの予想外の不振に、気持ちを緩めることなく、「攻め抜く」と決意し、更に集中力を高めた。
プレッシャーのかかる最終組でのスタート。
100mは、前日を上回る9秒54で通過。
バックストレートで加速すると、そのまま第2カーブに突っ込んだ。
まるでオリンピックでのプレッシャーを楽しんでいるかのような滑りだった。
そのままきれいに直線にでると、自らのオリンピック記録を更新してゴール。
最後の意地を見せて、2位に上がってきたウォザースプーンに、0秒49差をつけての金メダル。
「自分の長所は小さいこと。おそらく世界一小さいスケーターだろう」と自負する清水。
表彰台で中央に立った清水の頭は、2位のウォザースプーンよりも低い位置にあった。