「チョウのように舞い、ハチのように刺す」の名言で知られる、伝説のボクサー、モハメド・アリ。
ビッグマウスを叩きつつ、その公約を果たす有言実行男は、リングだけでなく、人種差別や政府の弾圧と徹底して戦った、オピニオンリーダーとしても知られる。
ローマオリンピックで金メダルを獲得後、プロボクサーに転向。
1964年、世界へビー級チャンピオンの座につくと、そこから、3年で9度の防衛を重ね、長期政権を築こうとしていた。
しかし、アリは敗れずして栄光を失うことになる。
きっかけは、ベトナム戦争。
"罪のない人を殺す気はない"と発言し、徴兵を拒否したことで、反逆罪に問われたのだ。
ボクサーライセンスとヘビー級王座を剥奪され逮捕、投獄、罵声、あらゆる逆風がアリを襲った。
しかし、決して彼は諦めなかった。
全米各州を歩き、州知事や議員に掛け合い、戦争の愚かさを話し、ライセンスの再交付を求めたのだ。
その後、ベトナムでの戦局が悪化したことも追い風となり、アリの地道な運動は人種の枠を超え、大衆の心を動かした。
1970年、アメリカ政府はアリを無罪とし、再びライセンスを交付。
25歳から28歳までという、ボクサーとしての絶頂期を犠牲にしたが、アリは、民衆のヒーローとして今まで以上の支持を得た。
1974年10月30日、アフリカ、ザイールのキンシャサ市で、アリは、世界チャンピオン、ジョージ・フォアマンに挑戦する。
当時、フォアマンは、「象を倒すパンチ」と言われるほどの強打で、圧倒的な強さを誇っていた。
25歳の最強ハードパンチャー、フォアマンに対し、アリは、ピークを過ぎた32歳となっていた。
「アリはフォアマンに倒されるだろう」
大方の予想は、ほとんどがフォアマンのKO勝利。
?ジャングルの決闘?と名づけられたタイトルマッチは、まさかの展開となった。
ゴングが鳴ると、予想通りフォアマンの強打がアリを襲う。
アリは、ガードを固めて後ろに下がるとロープを背に防戦一方の展開。
打ち続ける王者と耐える挑戦者。
だが、ラウンドが進むにつれ、フォアマンは倒れないアリに対して次第に戦意を喪失、肩で大きく息をしはじめた。
そして迎えた第8ラウンド、一瞬のすきを突いて、アリはフォアマンの顔面に左右の連打をたたきこんだ。
巨木が倒れるようなダウン。フォアマンがマットに沈んだ。
「キンシャサの奇跡」
圧倒的不利の状況を覆し、アリは、再び世界の頂点に立った。
幾度もの挫折にも負けず、常に挑戦し続け、リングの内外で人々を魅了したモハメド・アリの姿は、今なお多くの人々に勇気を与えている。