1989年、日差しの強い初夏のパリは、1人の少年の話題で持ちきりになった。
テニスの全仏オープン、台湾系アメリカ人のマイケル・チャンが、男子テニス4大大会史上最年少となる、17歳3カ月で優勝を果たしたのだ。
チャンは、1972年、台湾から移民した両親のもと、アメリカ・ニュージャージー州に生まれた。
テニスのきっかけを与えたのは母親だった。
6歳の時、1ドルで買ってきたラケットを与えられたチャンは、レンガの壁を相手に、テニスの練習を繰り返した。
当時から負けん気が強く、8歳の時、父親にテニスの試合で負けると、悔しさのあまり、ラケットを折ってしまったこともあった。
16歳でプロテニスプレーヤーとしての道を歩き始めたチャンは、翌年の全仏オープンに挑み、テニス史にその名を刻むことになる。
ベスト8を掛けた4回戦、チャンに最大の敵が立ちはだかった。
相手は、当時の世界ランキング1位、イワン・レンドル。圧倒的王者だ。
チャンは、早々と2セットを落とし、足の痙攣が止まらない。
限界…。
誰もがレンドルの勝利を疑わなかった。
しかし、チャンの顔のどこにも諦めの表情は無かった。
超スローボールを返して相手をいら立たせる作戦と、意表を突くアンダーサーブ。
泥臭く、貪欲に戦い続けたチャンに対し、レンドルは完全に自分のペースを乱し、世紀の大番狂わせが実現した。
勝利の瞬間、チャンはその場で泣き崩れた…。
決勝の相手は、世界ランキング3位のステファン・エドバーグ。
身長で15センチ、体重で15キロ以上下回るチャンは、緻密な戦略と粘り強さで勝負する。
どんなに攻められてもコートを縦横無尽に走り、拾い、打ち返す。
緩急をつけたチャンの巧妙なストロークにエドバーグはミスを連発した。
初夏の強い日差しの中での3時間42分の熱闘。
フルセットの末、チャンがエドバーグを下し、大会最年少で優勝を果たしたのだ。
スタンドをうめた、1万6000人の観衆から喝采を浴びたチャン。
決して諦めず、ピンチでも冷静につなぎ、勝負所では一気に反撃に出るチャンのテニスを、地元の新聞は、「東洋の精密機械」、そう表現した。
現在、錦織圭のコーチを務めるマイケル・チャン。
劣勢で決して諦めない気持ちと粘り強さは、確実に受け継がれている。