2012年、第88回箱根駅伝。
小田原中継所のリレーゾーンで待つ、東洋大学、柏原竜二の涙腺は破裂しそうになっていた。
「新・山の神」が、最後に挑んだ5区山上り。
それまでと違うのは、「追う相手がいない」、ということだ。
先頭を走る、4区の田口雅也の名前を何度も呼んでタスキを受けると、笑みを浮かべて走り始めた。
この年、柏原には心に秘めた思いがあった。
前年の2011年3月11日に起こった東日本大震災で、故郷の福島は原発事故や津波などで甚大な被害を受けてた。
柏原は少しでも復興の手助けになればと、学業や練習の合間を縫って、応援イベントに積極的に参加した。
「福島の皆さんに比べれば、僕が苦しいのはたった1時間ちょっと。全然苦しくない」。
おぜん立てしてくれた仲間に感謝し、走る喜びを体現した。
前半はペースを抑えて、後半に一気にペースアップ。1時間16分39秒。
最後の直線では右手で「4」を作る余裕を見せ、ゴールを駆け抜けた。
それまでの3年間、高低差864メートルの「天下の険」で抜き去った相手はのべ16人。
2006年にコースが最長となってから、1時間18分を切ったのは柏原だけ。
数々の衝撃を残してきたが、過去の自分に打ち勝った最後の年は、それらを凌駕するインパクトだった。
いわき総合高校時代は、貧血の影響で結果を残せなかった。
だが、後に東洋大学の監督となる酒井俊幸は、柏原から溢れ出る、「勝ちたい気持ち」を感じ、自身の母校である東洋大学への入学を導いた。
「秘密兵器」と期待された少年は、大学での食生活の改善などによって大きく花開いた。注目度の高まりで、全てが嫌だった時期もあったが、
普段は監督の子供の面倒も見る優しい青年だった。
チームは10時間51分36秒と、史上最速のタイムで3度目の総合優勝。柏原は、胴上げで3度宙を舞った。
仲間に支えられて見た、新春の東京の空に、神と称された青年の笑顔が映っていた。
2015年、第91回箱根駅伝。5区はコースが一部変更となり、柏原の記録は参考記録となった。
しかし、これからも学生ランナーは「天下の険」と、伝説となった「神の記録」に挑むことに変わりはない。