「正直、あれはものすごくやりづらかった」
日本記録の通算402セーブを誇る中日の岩瀬仁紀が、たった一度だけ守護神としての任務遂行を躊躇したのが、2007年の日本シリーズ第5戦だった。
勝てば53年ぶりの日本一となる一戦。
先発の山井大介が初回から日本ハム打線を封じ込め、8回までパーフェクトピッチングを続けていた。シリーズ史上初の完全試合。
誰もが大偉業を期待していた9回表、ナゴヤドームのマウンドに上がったのは岩瀬だった。
「山井コール」が一瞬にして大きなため息に変わる。
そこにいた選手の誰もが、「今まであんなスタジアムの雰囲気を感じた事はなかった」と口にした。
岩瀬にのしかかるプレッシャー。
だがチームは、これまで3度の日本シリーズで1点も取られていない守護神を信じていた。
快投を続けていた山井は4回から右手のマメを潰していたが、「あと1回なら」と集中力を切らしていなかった。
それでも、森繁和バッテリーコーチの「どうする?」の問いに、「代えてください」と交代の意思を告げたのだ。
自らの偉業よりチームの勝利を最優先に選んだ理由を、山井はこう語った。
「最後は、シーズン通して抑えの役目を果たしてきた岩瀬さんで終わるべきだと思った」
指揮官の落合博満にも迷いはなかった。
「幸か不幸か、山井が目一杯だと言ってきた。9回は岩瀬と決めていた」
マウンドに上がれば、岩瀬はいつも通り平常心を保っていた。
「とにかく3人で抑えよう」。
先頭の金子誠をスライダーで空振り三振に切って取ると、続く高橋信二をスライダーでレフトフライ。
そして、27人目のバッターとなる小谷野栄一をストレートでセカンドゴロに打ち取った。継投ながら日本シリーズ史上初の完全試合。
ベンチの思いを一心に背負った岩瀬は、チームの期待に完璧に答えたのだ。
シリーズ後、継投の是非を巡り周囲が騒いだ。あれは正しかったのか?――。
後日、落合博満は岩瀬に言った。
「オレが批判されるのはいい。それより、お前がいつも3人で抑えることの難しさを、
なんでみんな分かってくれないんだろうな」
これ以上ない指揮官の労いの言葉。
岩瀬は、それだけで十分報われたのだ。