Legend Story
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14.10.18
ジョイナー

女子100mと200mの世界記録保持者であるフローレンス・グリフィス・ジョイナーは、僅か2年間だけ大輪の花を咲かせ、世界陸上界に強烈なインパクトを残して消えた名花だった。

1983年に第1回世界選手権ヘルシンキ大会の200mに出場して22秒46で4位になって世界デビューを果たした彼女は、
翌年のロサンゼルスオリンピックでは200mで22秒04の自己ベストを出しながら、同じアメリカのバレリー・フックスに0秒23及ばず2位に止まった。
そして1987年の世界選手権ローマ大会では世界歴代9位の21秒96まで記録を伸ばしたが、東ドイツのシルケ・グラディッシュに0秒22及ばず2位。自分の種目と意識する200mで、なかなか頂点にたどり着けなかった。

だがソウルオリンピック・イヤーの1988年には、大きく変貌した姿で登場した。
「世界選手権ローマ大会の男子100m決勝のビデオをコーチと研究して、ベンジョンソンのトップスピードに入るまでの素早い反応は、極度に強力な筋力パワーによるものだと言う結論になった。
だから冬季練習は脚力強化に重点を置いた」と、見事に鍛え上げられた体に。さらに長く伸ばした爪にマニュキアを施し、レースごとにタイツなどのユニフォームを変える艶やかな演出も。
7月の全米選手権100mでは2次予選でいきなりエベリン・アシュフォードが1985年に作っていた10秒76の世界記録を10秒49にまで更新すると、
決勝ではアシュフォードを0秒20抑える10秒61で優勝し、初の100mオリンピック代表を勝ち取ったのだ。

そして9月のソウルオリンピックでは、予選から驚異的なオリンピック新記録を連発し、決勝ではアシュフォードに0秒29の大差をつけて完勝。レース中盤から笑みを浮かべながら走る姿は、余りにも強烈だった。

200mでも21秒85に止まった全米選手権優勝後に「世界新記録はソウルにとっておく」と話した通りに準決勝、決勝と世界新記録を連発して21秒34の驚異的な記録で優勝。
さらには3走を勤めた400mリレーでも優勝して、アンカーで走った1600mリレーでは2位と、金3つ銀1つのメダルを獲得したのだ。
100m10秒49は同年の男子日本ランキング8位相当で、200m21秒34は14位相当という、想像を超えた記録だった。