Legend Story
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14.10.04
カール・ルイス

オリンピック走り幅跳び4連覇と、9個の金メダル獲得し、世界のスポーツ史にその名前をクッキリと記したカール・ルイス。
ヒューストン大時代から注目されていた彼が、世界でそのベールを脱いだのは1983年に開催された第1回世界選手権。
100mと走り幅跳びで優勝し、アンカーとして走った400mリレーも驚異的な加速力で37秒86の世界新記録をマークして、3冠獲得を果たしたのだ。

その存在感は翌年の地元開催だったロサンゼルスオリンピックではさらに光り輝いた。
100mでは2位に0秒10差の9秒99で優勝すると、走り幅跳びは2位に30?差で圧勝。
200mも19秒80のオリンピック新記録で優勝し、400mリレーも37秒83の世界新記録で制して4冠を獲得。
世界中の人たちの頭の中に、カール・ルイスという名前を深く刻み込んだのだ。

だが、強力なライバルの登場に苦しむ時期もあった。
1987年世界選手権ではロサンゼルスオリンピック3位だったカナダのベン・ジョンソンが、
爆発的なスタートダッシュを活かして9秒83で走り、ルイスは0秒10差をつけられた。
そして翌年のソウルオリンピックではジョンソンがその記録を9秒79にする。
レース終盤のルイスは絶望の表情を浮べるほどだった。

しかしその後、ジョンソンの薬物違反が発覚し、優勝は剥奪で記録も前年の世界選手権までさかのぼって取り消し。
ルイスは金メダルを獲得し、その記録9秒92は世界記録と認定されたのだ。

そして1991年世界選手権では、ソウルオリンピックで23?差を付けてオリンピック連覇を果たした走り幅跳びでもライバルが浮上した。

大会2日目の100mを9秒86の世界新で制して迎えた走り幅跳び決勝。
4回目の跳躍でルイスは1968年メキシコオリンピックでボブ・ビーモンが出した不滅の世界記録を、
追い風参考ながら上回る8m91を跳んだ時は優勝を確実にしたかに見えた。
だが5回目に同僚のマイク・パウエルが公認で8m95という世界記録をマーク。
ルイスはその後、8m87、8m84を跳んだが追いつかなかった。
大喜びするパウエルの横で、呆然とした顔をして立ち尽くしていたのだ。

翌年のバルセロナオリンピックでは3?差ながらパウエルに雪辱を果たし、
400mリレーでのアンカーでは8秒85の驚異的なラップで駆け抜けて37秒40の世界新記録の立役者となったルイス。
4回目のアトランタオリンピックではシーズンベストが8m30と、力の衰えは明らかだった。
それを示すように、予選は3回目にやっと8m29を跳んで通過。
だが決勝では3回目に8m50を跳び、史上2人目の4連覇を達成したのだ。