19歳で出場した北京オリンピック個人総合で銀メダルを獲得した後は、世界選手権個人総合3連覇を果たしていた絶対王者の内村航平。
ロンドンオリンピックを前に彼は「個人総合と団体の金メダルのどちらかを選べと言われたら、迷わず団体を選びます。今は団体しか頭にないから」と話していた。
彼が牽引する、若き日本代表チーム。
彼らの脳裏に残るオリンピックといえば、2004年アテネオリンピック。
日本団体が28年ぶりに金メダルを獲得したからだ。
だが絶対王者といえど、その強い意識が
ロンドンオリンピックの本番では空回りを呼び込んでしまった。
大会2日目の団体予選では
最初の鉄棒で1番手の田中和仁(かずひと)が演技中断のミスを犯すと、3番手の内村はF難度のコールマンで落下してしまい流れをさらに悪くしてしまった。
そして3種目のあん馬でも田中に続いて落下。
予選9位通過になってしまったのだ。
そのため決勝はいつものゆかからのスタートではなく、つり輪から。
「スタートの種目いつもと違って感覚が狂ったし、演技でも自分の形にはめようとし過ぎていた」と話す内村は、調子に乗れなかった。
その上、2種目目の跳馬(ちょうば)では、日体大のチームメイトでもある山室光史(こうじ)が着地で失敗して左足を骨折する危機も襲いかかった。
「自分の形にはまらない。何故だろう」という思いは頭の中から消えず、最後のあん馬でも着地直前の倒立で手を滑らせて、崩れるように着地するミスもでた。
ライバル中国を追い詰めることも出来なかった上に内村の得点は13・466点とされ、場内の掲示板には4位というショッキングな順位が表示された。
その後日本チームの抗議で得点は14・166点に変更され、結局は2位にはなったが、悲願達成には遠かった。
「やっぱり五輪には魔物がいましたね。今まで何をしてきたのだろうと思いました」と苦笑した内村。
それでも続く個人総合では底力を見せつけた。
団体で失敗した最初のあん馬を15・066の高得点で滑り出すと、3種目目の跳馬では『伸身ユルチェンコ2回半ひねり』を着地までピタリと決めて16・266点を獲得。
合計でもトップに立つと、そこから92・690点まで得点を伸ばして見事金メダルを獲得したのだ。
その後、種目別ゆかで銀メダルを獲得して安堵の表情を浮かべた内村。
彼はその瞬間、4年後のリオデジャネイロへ向けて再び実績を積み上げていく決意をした。