Legend Story
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20.07.04
松岡修造
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1995年、テニスの4大大会、ウィンブルドン選手権で、松岡修造がベスト8入りという歴史的な快挙を成し遂げた。

10歳から本格的にテニスを始め、高校時代は、インターハイでシングルス、ダブルス、団体戦の3冠を達成。
その後、アメリカへ渡り、86年にプロ転向。
92年のクイーンズ・クラブ選手権では、準決勝で世界2位のステファン・エドバーグを破る大金星を挙げた。
決勝では敗れたものの、世界ランクは自己最高の46位に上昇。
これは、錦織圭に抜かれるまで日本人男子の最高位だった。

順風満帆と思われた松岡のテニス人生だが、両ヒザの半月板損傷やウィルス性の病気で長期離脱するなど、その後は、世界ランク100位を前後する状態。

そんな中で迎えた、自身6度目のウィンブルドン、3回戦は、3時間45分のフルセットマッチの末に勝利。
そして、ベスト8が懸かった4回戦。
松岡は、2セットを連取し、迎えた第3セット。
マッチポイントまで、あと1本。
この大事な場面で、松岡はこんな言葉を叫んだ。
「この一球は絶対無二の一球なり」
これは、全日本選手権の初代王者に輝いた、福田雅之助の言葉だった。

偉大な先輩の言葉で自身を鼓舞し、そこからポイントを連取。
ストレート勝ちで、日本人男子として62年ぶりの4大大会ベスト8入りを果たした。
勝利が決まると、松岡はラケットを放り出し、両手をあげて自陣のコートを一周、最後はコートで大の字になって天を仰いだ。

世界ランク100位以下からのウィンブルドン、ベスト8。
熱い男がストレートに感情を爆発させたこの場面は、今なお、ウィンブルドンの名シーンとして語り継がれている。


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