Legend Story
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20.04.04
田中マルクス闘莉王
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気迫あふれるプレーで、サッカー日本代表でも活躍した「闘将」田中マルクス闘莉王が、昨シーズン限りで引退した。
Jリーグで、ディフェンダー登録史上最多となる通算104ゴールをあげ、浦和レッズと名古屋グランパスでは、リーグ制覇を達成。
優勝請負人と呼ばれるほどの活躍を見せた。

闘莉王は、1981年、ブラジル・サンパウロ生まれ。
15歳の時、千葉県の渋谷教育学園幕張高校へ留学生として来日し、高校校卒業後の2001年、サンフレッチェ広島でプロデビュー。
185センチの身長と強靭なフィジカルを生かし、攻守に渡り活躍。
特に、空中戦では、圧倒的な強さを誇った。

2006年は、浦和レッズで優勝を果たし、MVPを獲得。
2010年に名古屋グランパスに移籍した際には「優勝できなければ来た意味はない」と語り、
その言葉通り、1年目にチームをリーグ優勝に導いた。

20歳の時、日本国籍を取得し、日本代表でも活躍。
2010年の南アフリカ・ワールドカップで、ベスト16に進出した日本だが、その立役者こそ闘莉王だった。
大会前、不調が続いた日本は、壮行試合の日韓戦で、0対2と完敗、岡田監督の進退問題にまで発展した。

その後行われたスイスでの合宿中、ミーティングで闘莉王は、
「俺たちは弱い。もっと泥臭くやらないとダメなんだよ」と檄を飛ばした。
実力で劣る日本が主導権を持ち、理想とするサッカーなどできるはずがない、もっと走って、全力でやるしかないと強く訴えたのだ。
その後、チームは、守備を重視した堅守速攻にスタイルを変え、下馬評を覆し、見事決勝トーナメント進出を果たした。

19年間の現役生活、最後まで闘志を燃やし続けた、田中マルクス闘莉王。

闘将の姿は、我々の記憶に深く刻み込まれている。



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