日本にプロサッカーリーグ、Jリーグが誕生する20年近く前、
まだ、男子サッカーの人気が定着していなかった1970年代、
女子がサッカーをやることが、どれほど珍しかったかは、想像に難くない。
1968年、福島県に生まれた高倉麻子(たかくら・あさこ)は、
10歳の頃から男子に交じってサッカーを始めた。
地元には、女子がサッカーに打ち込める環境が無かった為、
中学生になると、週末は1人で東京へ出てきて、
女子のチームに加わり、練習や試合に参加させてもらった。
当時は、東北新幹線が全線開通しておらず、特急電車で上野まで3時間。
長期の休みには、東京の友達の家に泊めてもらいながら
サッカーに打ち込んだ。
高校は、授業が終わると自転車で30分かけて男子校へ行き練習。
女子のクラブチーム「読売ベレーザ」では、
巧みにパスを操る攻撃的ミッドフィルダーとして活躍した。
1989年から始まったなでしこリーグの前身、日本女子サッカーリーグで、
記念すべき第1号のメモリアルゴールを挙げ、
92年、93年には、2年連続でMVP。
96年には、女子サッカーが初めて正式種目に採用された
アトランタオリンピックに出場するなど、
順風満帆なサッカー人生を歩んでいた。
しかし、31歳で移籍した松下電器は、不景気の影響から2か月で廃部。
活躍の場を求めてアメリカへ渡ったが、
練習中に右膝を怪我して半年で帰国した。
2004年、36歳で現役を引退し、その後は、指導者の道へ。
アンダー世代の監督としてワールドカップを制覇するなど実績を積み、
2016年から、なでしこジャパンの監督に就任。
日本のサッカーA代表で女性が監督を務めるのは高倉が初めて。
日本女子サッカーのパイオニア、高倉麻子。
ベスト16で終わったワールドカップ・フランス大会の悔しさを糧に
来年の東京オリンピックでの雪辱を誓った。
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
過去1週間分の番組が無料でお楽しみいただけるradikoタイムフリー
番組を聴いて気に入ったら、SNSで友達にシェアしよう!
「7月6日(土)OA分の放送はこちら」