2004年のプロ野球開幕戦、中日対広島、
先発投手がコールされると、ナゴヤドームは、どよめきに包まれた。
中日の監督に落合博満が就任し、初めての指揮を執ったこの年、
開幕投手に指名したのは、川崎憲次郎だった。
2000年のオフ、ヤクルトからフリーエージェントで移籍したが、
右肩の故障で、この3年間、1軍での登板は1度もなし。
ヤクルト時代は、鋭いシュートを武器に“巨人キラー”として活躍、
98年には17勝を挙げて、最多勝と沢村賞をダブル受賞した。
しかし、移籍1年目のオープン戦で右肩を痛めて2軍落ち。
様々なリハビリを試み、アメリカにまで渡ったが、
復活には至らなかった。
そんな川崎にファンの目は厳しかった。
「給料泥棒」などとヤジられ、
登板実績がないのにオールスター戦のファン投票で、
先発投手部門の1位に祭り上げられた。
外様の川崎は、チーム内でも次第に居場所がなくなっていく。
「もう辞めようかな」、そんな考えが脳裏をよぎった。
3年間もがき苦しんだ男の背中を落合新監督が押した。
1274日ぶりの登板、そして開幕という晴れ舞台だったが、
川崎は、2回に集中打を浴びて5点を失い、途中降板。
しかし、チームは、終盤で試合をひっくり返し、開幕戦を白星で飾った。
川崎の先発は、1月3日の時点で決めていたという落合新監督。
ケガからの復活に向けてひたむきに努力する男の姿を開幕戦で見せ、
野球ができる幸せをチームメイトに感じさせることが、
“オレ流”と言われた指揮官の狙いだった。
その狙いが見事にハマり、中日は、開幕からの勢いをそのままに、
5年ぶりのリーグ優勝。
そして、川崎憲次郎は、この年を最後にグラウンドに別れを告げた。
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