日本サッカー史上に残る鉄人がピッチに別れを告げた。
「ボンバーヘッド」のニックネームで親しまれた中澤佑二、40歳。
プロ生活20年、横浜F・マリノスや日本代表の守備の要として活躍し、
代表通算17ゴールは、ディフェンダーとしては日本歴代最多を誇る。
身長1メートル87センチ、ヘディングや1対1に強く、
日本最高のディフェンダーとも称される中澤だが、
高校時代まではほぼ無名。
それでもプロサッカー選手になる夢を捨てきれず、
1年間ブラジルにサッカー留学を果たした。
しかし、貧しい環境の中、サッカーに夢を求めるブラジル人の中で、
海を渡ってきた日本人への対応は冷たかった。
試合どころか、まともに練習さえもさせてもらえない。
それでも、中澤は決して腐らず、辞書を片手にポルトガル語を覚え、
地元の子供達に混ざってボールを蹴ったこともあった。
やがてチームメイトも中澤を認め、試合にも出られるようになる。
ブラジルでのキツイ経験は、中澤のサッカー人生の礎となった。
帰国後は、Jリーグの各クラブに自らを売り込み、
練習生としてヴェルディ川崎に参加。
いつクビになるかも分からない中、死に物狂いでボールを追い、
翌年の1999年、ついに念願のプロ契約を結んだ。
2002年に横浜F・マリノスに移籍すると、
翌年からのリーグ連覇に貢献するなど、中澤は、クラブの顔となった。
日本代表としては、ワールドカップ、
ドイツ大会、南アフリカ大会と、2大会連続で出場。
日本のサッカー史にその名を刻んだ。
「1ミリの後悔もなくピッチを去ろうと思う」
埼玉の無名のサッカー選手から日本代表まで駆け上がった中澤佑二、
努力の鉄人が静かにスパイクを脱いだ。
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