1985年、夏の甲子園決勝。
“甲子園の申し子”桑田・清原のKKコンビを擁するPL学園対力と力の真っ向勝負を挑む宇部商。
この試合の影の主役は、宇部商の背番号11、古谷だった。
先発が告げられるとスタンドがどよめいた。
山口大会から甲子園準決勝までリリーフのみで、この大舞台が初先発。
エースの不調による抜擢に、控え投手が躍動する。
強力PL打線を抑え、中盤までは宇部商が3対2でリード。
しかし、6回裏ワンアウト、前の打席でレフトのラッキーゾーンに運ばれていた清原を打席に迎える。
渾身の力で投げ込んだ高めのストレートをとらえられ、打球はバックスクリーン左で大きく弾んだ。
「甲子園は清原の為にあるのか」
実況アナウンサーの声に力がこもる。
3対3の同点。試合は振り出しに戻った。
実はこの回の表、今大会4本のホームランを放ち大会新記録を作っていた宇部商の4番藤井が
あわやホームランというセンターオーバーの三塁打を放っていた。
それが清原のライバル心に火をつけ、一大会5本のホームランという大記録につながった。
そして主砲の一発は、9回裏、PLのキャプテン、松山のサヨナラヒットの呼び水となった。
一方、敗れた宇部商は決勝までの6試合で34三振、
バントを好まない玉国監督の指導のもと、選手たちは思いっきりフルスイング。
さわやかな旋風を巻き起こしたミラクル宇部商が甲子園ファンの記憶に刷り込まれた。