柔道の篠原信一と井上康生がメダルを獲得した2000年のシドニーオリンピック。
もう1人、忘れてならない存在が81キロ級の滝本誠。
男子代表選手7人の中で茶髪は、滝本ただ一人。
古い伝統にとらわれず、先輩後輩が重んじられる柔道界でも、自分がおかしいと思うことには背を向けた。
滝本は、シドニーオリンピックをめざす81キロ級の選手たちの中で、常に”3番手”と言われ続けてきた。
注目度ナンバーワンは、バルセロナオリンピックで金、アトランタで銀メダルに輝いた「平成の三四郎」古賀稔彦。
続いて、左右両方から投げが打てる若手の逸材、塘内将彦。
シドニーオリンピックの最終選考を兼ねた全日本選抜体重別選手権。
古賀と塘内は初戦で敗退し、滝本が優勝。
さらにアジア選手権で3位に入り、オリンピックのキップを手に入れた。
しかし滝本は、
「オリンピックよりこの大会で優勝したかった」と喜んだ表情は一切、見せなかった。
シドニーでの雪辱を誓ったのはその時だ。
初戦となった2回戦、そして3回戦を連続一本勝ち。
準決勝ではアトランタオリンピックの金メダリスト、フランスのブーラから技ありを奪って勝利。
そして、決勝戦。韓国のチョインチョルに得意とするそで釣り込み腰で有効。
勝利が決まった瞬間、滝本は両手のこぶしを突き上げて、「どうだ!」といわんばかりのガッツポーズ。
柔道界の異端児と称された瀧本誠が、笑顔で金メダルを手にした。