90年代のテニス界を代表するプレーヤー、アンドレ・アガシ。
16歳でプロ転向。
当初は、派手な格好が話題となった。
長髪にピアス、蛍光色の柄のウエアにデニム地の短パン、ラケットは黄色。
「ウエアは白」と伝統を重んじるウィンブルドンと対立した革命児だった。
プロデビュー後、
瞬く間にトッププレーヤーの仲間入りを果たしたアガシだったが、1990年の全仏、全米オープンは、ともに準優勝。
リベンジに燃えた翌年の全仏も準優勝に終わり『万年準優勝男』と呼ばれた。
そんなアガシが4大大会初優勝を成し遂げたのは、1992年。
舞台となったのは、ウィンブルドン。
サーブの威力がものをいうと言われていた時代にあって、
アガシは、相手のサーブに対し、ベースラインより前に侵入して叩く
リターンがウリのベースライン・プレーヤー。
ウィンブルドンのグラスコートは球足が速く、
アガシのようなベースライン・プレーヤーにとっては不利とされていた。
さらに、決勝の相手は、歴代最強と評されていた高速サーブの持ち主、クロアチアのイワニセビッチ。
しかし、アガシは、自らのプレースタイルを崩すことなく、イワニセビッチのサーブをことごとく返し続けた。
最後は、イワニセビッチが得意のサーブで自滅し勝利。
ビッグサーバーやサーブ&ボレーを得意とする選手以外には
ウィンブルドンを優勝できないという常識をアンドレ・アガシが覆した瞬間だった。