Legend Story
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15.11.28
野村忠宏

あまりにも呆気ないほどの、オリンピック3連覇達成だった。
1996年アトランタ、2000年シドニーで金メダルを獲得し、迎えたアテネオリンピック競技初日の柔道男子60?級。
2回戦から登場した野村忠宏は準決勝まで全て1本勝ち。
「豪快にぶん投げる」というその柔道スタイルで、圧倒的な強さを見せつけた。
決勝では変則的な組み手から技を仕掛けてくるグルジアのヘルギアニになかなか技を出せなかったが、
完璧な防御で相手に付け入る隙を与えず判定勝ち。
3個目の金メダルを手にしたのだ。

幼い頃は体が小さく、女子にも負けていたという野村。
彼の3連覇はその屈辱が生み出したものだった。
初めて出場したアトランタオリンピックは、出場選手の中では最もノーマークの存在。
背負い投げで一本勝ちし、金メダルを獲得したが、注目されたのは同じ日に試合が行われた田村亮子が、北朝鮮のケー・スンヒに敗れて銀メダルに終わったことだった。
そして、膝の故障などで苦しみ、「最後のオリンピック」と思い出場したシドニーオリンピックでも、オール一本勝ちで、柔道軽量級史上初の連覇を達成したが、新聞の一面で報じられたのはやはり、3度目の挑戦で金メダルを獲得した田村だった。

軽量級は世界でも登録選手が多く、厳しい競争が強いられる。
また技術的にも高度なものを追求しているという自負もあった。
だが、「柔道の世界で一番強いのは?」という問いに対する答えは、やはり重量級の勝者になってしまう。
野村はシドニーオリンピックの後、自分の心の中の疑問を解決するには、まだ誰も成し遂げたことがないオリンピック3連覇しかないと考えた。
最強になるために。

野村忠宏、現役最後の試合は、
開始26秒での豪快な腰車での一本負けだった。
清々しいまでの一本負け。その終わり方に、野村は勝負を超えた幸せを感じた。
それは、本当に最強の柔道を追求した者にしか分からない、最強の感覚なのかも知れない。