長野オリンピックが開催された1998年、18歳の女子高生に日本中の視線が注がれた。
フリースタイルスキー女子モーグル、上村愛子。
アルペンスキーからモーグルに転向して、3年でオリンピックに出場し7位入賞。
“愛子スマイル”と呼ばれるその晴れやかな笑顔で、瞬く間にシンデレラガールとなった。
2002年のソルトレークオリンピックでは6位、2006年のトリノでは、難易度の高い大技エア「コークスクリュー」を成功させたが、得点が伸びず5位。
その後、膝の怪我から復帰した2007年から2008年のシーズンは、ワールドカップで日本モーグル界初となる年間優勝を達成。
世界ナンバーワンの称号を手にした。
さらに、オリンピックの前年となる2009年の世界選手権では優勝。
着実に実績を積み上げた上村は、競技生活の集大成として2010年のバンクーバーオリンピックに臨んだ。
しかし結果は、4位。
長野から12年、モーグル界のアイドルからエースへと成長し、「必ずメダルを」と臨んだ大会だったが、あと一歩届かなかった。
オリンピックを終えて、上村は、長期休養に入った。
引退の理由を探し続けたが、決め手は見つからず、スキーのかわりに打ち込めるものも見出せなかった。
湧き上がってきたのは“もう一度スキーを通じて人を喜ばせたい”という思い。
上村は、一年のブランクを経て復帰を決意した。
そして、ソチで迎えた5度目のオリンピック。
決勝3本目、上村は、積極果敢に攻めた。
タイムはここまで残った6人の中で最速。
自身が「オリンピック史上最高」という会心の滑りだったが、20.66ポイントで4位。
3位のカーニーとの差は0・83点。
メダルへの最後の一段を上ることはできなかった。
それでもレース後は、「本当にすがすがしい」と最高の“愛子スマイル”を見せた上村愛子、モーグルを初めてから20年、最後と決めていたオリンピックに笑顔で別れを告げた。