2000年9月24日、午前9時。
オーストラリア・シドニーは、曇り空の下、風がそよいでいた。
スタートラインに立つ53選手、号砲一発。
シドニーオリンピック女子マラソン、42・195キロのドラマが始まった。
その5時間前、午前4時に目覚めた高橋尚子。
彼女は、走りたくても走れない悔しさを強さに変え、ここまで辿り着いた。
オリンピックの前年に行われた世界選手権では、左足付け根外側のじん帯を故障、「どうしても出たい」と涙ながらに小出監督に直訴したが、監督は、首を縦に振らなかった。
「今回は諦めよう。その代わり、どんなことをしてでもオリンピックに連れて行ってやる。」
高橋は、こぼれ落ちる涙を何度も手で拭った。
世界選手権の2か月後にはハーフマラソンで転倒し、手首を骨折。
絶望的な状況から何度もはい上がって、高橋はシドニーの舞台に立った。
レースは、27キロ過ぎからルーマニアのシモンと一騎打ち。
そして、35キロ手前で高橋が仕掛けた。
父親と兄が声援を送る場所で、おもむろにサングラスを捨てると、ピッチを上げスパート。
粘り強いシモン選手もたまらず、じわじわと後退。
大歓声のオリンピックスタジアムに、トップで姿を現したのは高橋。
最後の直線で二度後ろを振り返り、シモンとの差を確認。
残る力を振り絞り、栄光のフィニッシュ!
両手を天に突き上げながら、ゴールテープを切った。
2時間23分14秒のオリンピック新記録で、日本女子として陸上で初めての金メダルを獲得。
ゴール後、監督から「よくやった」と声を掛けられた瞬間、高橋の瞳から大粒の涙がこぼれた。
幼い頃からかけっこが大好きだった女の子と40年以上、走ることにこだわり続けてきた“おやじ”が掴んだ、オリンピックでの金メダル。
「すごく楽しい42キロでした」。
高橋尚子の笑顔がシドニーで輝いた。