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22.01.01
“水泳で教わったこと”を「次は私が教える番」
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今週の「Athlete News」は、競泳元日本代表の清水咲子さんをゲストにお迎えしました。

清水咲子(しみず・さきこ)さんは、1992年、栃木県生まれ。
2014年、競泳女子400メートル個人メドレーで日本選手権優勝。
2016年のリオデジャネイロ・オリンピックでは、8位入賞を果たされました。
2021年4月、ご自身の誕生日に現役を引退されました。



──明けましておめでとうございます。去年の4月に現役を引退されて、初めて迎える年末年始ですけれども、選手の時は年末年始のお休みはあるんですか?

おめでとうございます。年末年始は、家にいたことがあんまりないですね。年末年始は一番の強化の時だったので、家にいないです。海外にいました。4月の日本選手権が一番大事…というか選考会があるので、それに向けて3か月前、2か月前というのが強化で一番鍛える時期なので、ほとんど日本にはいなかったですね。なので、今年はちゃんと1月1日にお餅を食べてお雑煮を食べてっていうのはやりたいなと思います。

──そして引退されたのが、2021年4月20日。清水さんの29歳の誕生日。誕生日に現役を引退された?

そうですね。本当にたまたまなんですけど。4月の選考会が終わったのが4月の初めの方で、その後にちょっと1回ゆっくりして、関係者さんと話をして、サポートしてくれた方たちにも話をして、発表というのがたまたま誕生日になったので、すごく縁を感じるというか、この日に発表できて良かったなってすごく思っています。
その時にサポートしてくれていたスポンサーの方や会社の方から「この日に(引退を)提示したい」と言われたのが4月20日で、「私、この日誕生日なんですけど」って言ったら、「え!? じゃあ、なおさらいいじゃん。行っちゃえ行っちゃえ!」みたいな感じで(笑)、「それは色々おめでたいし、じゃあその日にしよう」ということでこの日になったので、本当にびっくりしました。

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──現役を引退するというのは、おめでたい側面もあるんですね。

そうですね。「おめでたい」というか「お疲れさま」というのもありましたし、私なんかは29歳までやっていて、競泳界だと本当に歳が上の方で、ベテラン層なんですよね。他の種目と比べて競泳は年齢層が低いので、29歳までやったことに対しては「本当によく頑張ったよ」という言葉をたくさんいただきました。

──今、現役生活を振り返ってみて浮かぶ言葉というのはやっぱり、「やり切った」という感じですか?

4月の日本選手権で、派遣標準の記録は切ったんですけど、(順位が)3位で代表の選考に落ちてしまったんです。でも、“もう1回やりたい、悔しい”という気持ちよりは、“もう頑張らなくていいんだ”っていう方が降りてきたんですよね。その感覚は本当に私の水泳人生で初めてで、何かそれさえも運命を感じたというか、”あ、辞めるのは今なんだな”というのが降りてきた瞬間だったんですよね。後にも先にもこの気持ちというのは他のことでは得られないんじゃないかなって思ったんです。なので、“今だな”というのはありました。

──念願のオリンピックにも出場されて、リオ大会で8位入賞。

自分が思っていたことが全て出来たレースが、水泳人生を通してあのレースが一番だったんじゃないかなって、本当に今でも思います。
自分の思い通りのレースというのがなかなか出来ないのがオリンピックだと思うんですけど、私もそういう気持ちで行ったんですね。“100%は無理だと思うから、80%の出来ることはやりたい”と思って行ったんですけど、その準備がしっかり出来ていたから100%以上のものが出せた、というのがすごく印象に残っていて。だから多分、東京オリンピックにももう1回出たいと思って続けたんだと思うんです。本当はリオで辞めようと思っていたので。

──そうなんですか!

“(オリンピックは)1回で十分”と思ったんですど、やっぱりあの感覚というのが忘れられなくて、その感覚を5年間追い続けていたのかなと思います。

──よく「オリンピックには魔物が棲んでいる」なんてコメントをされているアスリートの方もいらっしゃいますけど、緊張みたいなものはなかったんですか?

ありましたけど、両親もリオに来てくれたんですよね。リオってけっこうな値段(旅費)なんですよ(笑)。私は4人家族なんですけど、兄も含めて3人来たんですけど、けっこうなお金がかかっているということは聞いていたので、あんまり恥ずかしいレースはしたくないと思ったのと、“こんなにお金をかけたのに!”と思われたくないっていうのが、選考会が終わってからもうずっと頭に残っていて(笑)。
私は栃木県出身なんですけど、新婚旅行以外で海外に行くことなんてないような両親なんですね。なので、わざわざリオまで来るのにがっかりしたような姿は見せたくないという気持ちがあったのが、すごく“源”でした。本当に原動力でしかなかったです。

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──東京オリンピックで400mと200mの個人メドレーで二冠に輝いた大橋悠依選手とは仲が良いんですよね?

すごく仲が良いです。今もずっと連絡を取っていますし、今朝も取っていたぐらい仲が良いです。

──金メダル獲得後に「咲子さんと一緒に取った金メダル」なんてコメントもされていましたけど、本当に素晴らしい泳ぎでしたよね。

嬉しいですね。彼女は本当にハートが強いので。ちょっと私と違う点は、“獲る”と決めたところの執着というか集中力というのがすごいんですよね。なので、“やっちゃうかも”って、私は思っていました。

──大会前から「何かしてくれるんじゃないか」っていう期待感もすごかった?

そうですね。東京オリンピックの400mを獲る前の最後の合宿の時に一度お会いしてるんですけど、その時には「もう不安でしょうがない」って言っていて。「でももう逃げられないので、とにかくやるべきことはやります。ただ、メダルは厳しいと思います」って言っていたんですよ。私も泳ぎを見て“大丈夫かな”っていうのは正直ありました。それはもちろん大橋選手にも言いました。「あんまり浮いてないけど大丈夫?」「疲れてるんじゃない?」ということは言いましたね。本人もそこはわかっていて、「ちょっと泳ぎをみてください」っていうのはありました。ただ、不安になることばかり言っても仕方がなかったので、「あとはその会場に行ってガラっと変わることもたくさんあるから」という話をして。
会場に行って“やっぱりやりたい!”という気持ちが出てきた時の彼女は本当に強いので、「会場入りするまで自分の調子に一喜一憂しないように」と言っていたんですよね。それがその試合の10日ぐらい前だったと思います。

──そんな直前まで、泳ぎ自体の調子は良くなかった?

私が見る限りでもそうでしたし、本人もあんまりしっくりはきていなかったです。

──それでも「やってくれる」という確信みたいなものがあったんですか?

その後は私は会っていなくて、予選を見た時に、“あ、これはいっちゃうかも”って思いました。泳ぎがガラッと変わったし、本人の目も、入場してきた時に、合宿の不安というのも1回取り払ったような感じがあったので。予選を泳いで、彼女も多分吹っ切れたというか、そこまで(調子が)悪くないということがわかったんだと思います。
そこからの彼女の自信に満ち溢れたあの表情は、もう忘れられないですね。“人って1日でこんなに変わるんだ”って思うぐらい、予選が終わってからの次の日の決勝というのは、“獲りにに行くぞ!”という顔に変わっていましたよね。

──二冠を達成した後、お祝いの言葉だったり、お会いして何かお祝いはされたりしたんですか?

しました。「何食べたい?」って聞いたら「とにかく肉が食べたいです!」って(笑)。行きつけのお店に連れて行って、色々話をしました。「おめでとう」というのもそうですけど、「本当にお疲れさま」という気持ちがあって。(オリンピックの前に)「メダルなんて獲らなくてもいいし、何色でもいいし、あなたが満足に泳げればそれでいい」ということは言っていたので、「それ以上のものをやったんだから、これからの水泳人生、何も迷うことなくやりなよ」と言いましたね。

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──さて、この番組ではゲストの方にcheer up songを伺っています。清水さんの心の支えになってる曲を教えてください。

back numberの「水平線」という曲です。
この曲はコロナ禍の2020年に出たんですけど、その年の3月に「日本選手権がなくなります」と私たちは合宿所で言われたんです。その日のために(練習を)やってきて、4月の大会の1週間前ぐらいに言われて、もう“どうしたらいいんだろう”っていう思いしかなくて。またこれを1年間繰り返すその覚悟もなかなかなくて。雑魚寝でみんなで寝てたんですけど、 みんなシーン…ですよね。
その前も、やっぱり“どうなるんだろう”とは思っていて、担当コーチも本当はわかっていたと思うんですけど、でも(試合がなくなるということは)言わないというか、「あると思う」ってずっと言い続けてくれていたんですよ。

──もし試合があったらそこで結果を出さなきゃいけないわけだし、練習を止めるわけにはいかないですものね。

そうなんです。何なら夕飯の時も「いや、あると思うよ」って言っていて、帰って2時間後ぐらいに「なくなりました」っていう。本当に体が冷たくなる感じで、もうあの感覚は忘れもしないんですけど、サーって全てが下りる感じで脱力しちゃって。次の日も、力を入れているのに全然力が入らない泳ぎになっちゃうぐらい。そこから2週間ぐらい休みをもらって。

──その期間中はプールには行けていなかったんですか?

行ってないです。25年の水泳人生で2週間も休んだことなんてなかったんですよ。本当にお先真っ暗で、何ならそこで1回引退を考えました。もういいかなって思いました。“これもこれで運命だな”って感じだったんですけど、でも、その時に“自分じゃない理由で辞めるのってどうなの?”とも思いました。
「水平線」の曲の中で“正しいことを違う正しさで覆ってしまう”みたいな歌詞があるんですけど、本当にそうで、それこそ辞めようと思った時に、「コロナだったから」と言って逃げることは簡単だなと。そういう違う方向に擦り付けるのはすごく簡単だなということをこの歌詞ですごく教えてもらったので。それと向き合うか向き合わないかというのはやっぱり自分自身にしかないし、“オリンピックを狙う”というのは、周りの人の「やってほしい」「頑張ってほしい」という言葉でやれるような領域じゃなかったので、やっぱり自分自身の気持ちで動いて、それが最終的に人のためになることが、私の水泳人生の最後に出来ることだなと思いました。

──引退されて、今後やりたい、目指していることはありますか?

やっぱり指導者になりたいなってすごく思います。私は水泳を始めた頃からわりと熱い先生に当たるというか、すごく熱心に指導してくれる方たちに当たってきたんですけど、最後の平井先生も、本当に最後の最後まで私を支えてくれたんですけど、それを次は私がしてあげたいなというのもありますね。
私自身、水泳で教わったことで人生ですごく良い思いばかりしているので、今水泳をやっている子たちに同じような思いをしてもらえたらすごく嬉しいなと思います。それを次は私が教える番だなと。

──じゃあ、清水さんの教えた選手たちが今度はオリンピックの舞台に出て…。

本当にそうなんですよね。そしてこうやってラジオで話してくれるような選手を私が育てることが出来たら、すごく嬉しいです。

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