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20.06.06
マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)から東京オリンピックへ
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今週の「Athlete News」は、日本陸連のマラソン強化・戦略プロジェクトリーダー、瀬古利彦さんをゲストにお迎えしました。

瀬古利彦さんは、1956年生まれ。三重県のご出身。
早稲田大学時代は、箱根駅伝で、4年連続で「花の2区」を走り、3、4年の時は区間新記録をマークするなど、スーパーエースとして活躍。
また、大学時代からマラソンでも活躍され、現役時代は国内外のマラソンで戦績15戦10勝と、圧倒的な強さを誇られました。
現役引退後は指導者の道に進み、横浜DeNAランニングクラブチームの創設時より総監督を務め、
現在はエグゼクティブアドバイザーとしてチームを見守る他、日本陸連のマラソン強化・戦略プロジェクトリーダーとして、日本マラソン界の発展に尽力されています。

新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、今回はお電話をつないでお話を伺っていきました。



──まずは、オリンピックのマラソンの代表選考方法をガラッと変えた、MGC(マラソン・グランド・チャンピオンシップ)について。これは大成功だったんじゃないですか? 注目度も高かったですし、みんながわかりやすい選考の仕方だったのかなと思うんですが。

終わってみれば大成功でした。
現場の監督や選手たちのやる気を促したというか、やっぱり“わかりやすい”ということが一番、モチベーションが上がるみたいですよ。タイムと順位もしっかり決めていましたから、その目標が選手たちにモチベーションを与えたんだと思います。

──僕も現地で取材をさせていただいたのですが、スタート地点にお客さんがいらっしゃらなくて、異様な緊張感がありましたよね。

設楽(悠太)選手の飛び出しも、ビックリしましたね。

──“このまま行くんじゃないか”と頭を過りましたから。あの日は天気も良くて、気温が上がったという影響もありましたよね。

それ(気温が上がること)も、我々のオリンピックに向けた1つの狙いでもあったんです。オリンピックは夏ですから。夏に走れない人は、やっぱり(オリンピック代表には)選べませんからね。

──MGCでは順位で勝負、そして残りはタイム…という選考方法は、色々なタイプの選手が現れそうですよね。

だから本当に、うまく(選考システムを)作りましたね。
強化陣が私と一緒に作ったんですけど、やはりブレーンが良かったですよね。私はなかなか細かいことは出来ませんでしたが、そこを私のブレーンが作ってくれて、こういうシステムになりました。

──そして今、マラソン界で大ブームですけれど、“厚底シューズ”。これについて瀬古さんはどうお考えですか?

藤木さんは、“厚底シューズ”は履いたことがあります?

──僕は持ってます(笑)。

履いた瞬間に、“前傾”というか、フォームが“前のめり”になるでしょ? あれで、ケニア人の走りを日本人が出来ちゃうんです。
あのシューズは、日本人に有利だと思います。私は1回履きましたが、平地なのに転がるように前に進みますから。このシューズが(現役時代に)あったら、私なんか(2時間)3分台かもしれないよ(笑)。

──瀬古さんは現役時代、勝負に徹してましたよね。最後のラストスパートの切れ味は素晴らしかったですけど、1回は、最初から記録を目指すレースをしてほしかったなと思います。

今みたいにペースメーカーがいて、ちゃんと引っ張ってくれて…というレースがあれば、あと2〜3分は(タイムが)良かったかなと思いますけどね。

──東京オリンピックが1年延期になりました。延期になることによって“選手選考をやり直すかどうか”という話があった中、瀬古さんはいち早く、今回選ばれた6人について「変更しない」と仰いましたよね。

3年かけて自分で獲った権利ですから。それを失わせるというのは、してはいけないことですよね。
40年前にモスクワオリンピックがボイコットになりましたが、(選手側は)オリンピックの2ヶ月前まで、ボイコットになるかどうかも知らされていなかったんです。そんな中で、集中した練習なんか出来ないですよ。
(今回のオリンピック延期に関しても)選手たちは自分が選ばれるかどうかわからない状態で、本当の、真剣な練習なんて出来ない。だから、自分の経験もあって、なるべく早く(東京オリンピック出場選手に変更はないと)伝えてあげようと思ったんです。

──選手の皆さんにとっては本当に心強い言葉だったと思います。

現場の人が一番、“自分はどうなるんだろう”と心配していたんだと思います。

──瀬古さんご自身、モスクワオリンピックにもし出場していたら…と考えたことはないですか?

勝負の世界では、「たら」「れば」の話はダメなんだよね…。
まだ24歳で若かったし、当時は本当に負ける気がしなかったんですよね。それぐらい自信があった。まだ早稲田大学を卒業して1年目だったからね。

──ヱスビー食品に入られて。

そうです。藤木さんは小学生ぐらいかな? “瀬古選手”のことなんか全然知らないでしょ?

──そんなことないですよ! 父が陸上競技を好きだったこともあって、ヱスビー食品のチームが大好きでしたから。それで僕は瀬古さんに憧れて、早稲田に入ったんですから。

ほんと? ありがとう。私がなぜヱスビーに入ったかと言うと、「カレー(華麗)なる走りがしたかったから」。

──(笑)。監督から「入れ」って言われたからでしょう?

そうだけどね(笑)。「コショー(故障)しないでカレー(華麗に)走りましょう」なんて(笑)。

──今日も絶好調ですね(笑)。
オリンピック代表に選ばれた6人にかける“想い”を、改めて伺いたいです。


彼らは自信を持って選んだ6人なんですよ。必ず、オリンピックで良い成績を出してくれると思っています。MGCのあのプレッシャーの中で戦ったんですから。多分、MGCはオリンピックよりも緊張したと思いますよ。

──今までの陸上界ではなかった試みですものね。

実は、僕らも“どうなるか”と本当は心配していました。でもうまくいってくれて嬉しいです。

──この番組では、毎回ゲストの方にcheer Up Songを伺っています。瀬古さんの心の支えになっている曲を教えてください。

スピッツの「優しいあの子」です。朝ドラ(NHK朝の連続ドラマ)の曲で、朝から元気の良い歌を聴いていると、“よし、今日も頑張ろう!”という気持ちになりました。
スピッツは大好きなんですよ。コンサートには行ったことはないけど、いつも聴いてます。

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