Athelete News
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18.08.11
1998年 夏の甲子園 決勝
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今週の「Athlete News」は、夏の甲子園100回記念大会ということで、先週に引き続き、甲子園にゆかりのある方をお呼びしています。
1998年”怪物”松坂大輔投手を擁する横浜高校と対戦し準優勝をした、京都成章高校のキャプテン・澤井芳信さんをゲストにお迎えしました。

澤井芳信さんは1998年、京都成章の「一番・ショート・主将」としてチームを率い、春夏連続で甲子園出場。夏には決勝まで駒を進め、”怪物”松坂大輔投手を擁する横浜高校と対戦し準優勝。
高校卒業後は同志社大へ進み、3年の時には関西学生リーグベストナインに選出。
大学卒業後は、社会人野球「かずさマジック」(元新日鉄君津硬式野球部)に入団。4年間の現役生活を経て引退。
現在はアスリートのマネジメント会社を設立し、巨人 上原浩治投手や元新体操日本代表 畠山愛理さん等が所属する株式会社スポーツバックス 代表取締役を務めています。


──伝説の決勝戦、“すごいピッチャーがいる”ということでテレビで観ていました

伝説の試合になってしまいましたけどね(笑)。

──決勝戦でノーヒットノーランをされてしまった方ですよね

されてしまった方で覚えていただいていますね。

──負けたチームが甲子園の土を持って帰るというシーンがありますが、澤井さんは持って帰られましたか?

それがですね、決勝まで行ったのですぐ表彰式なんですよ。ベンチをすぐに空けるので荷物を全部持って行っちゃったんですよ。
だから砂を入れる袋がなくて、で、横浜高校は袋だけみんな置いているんですよ(笑)。僕らはポケットになけなしの砂を入れて、本当に少ないですけど今でも実家に置いてあります。

──1998年夏の甲子園、京都成章のレベルは当時どうだったのでしょうか?

僕たちが中学3年生の時に京都成章高校が初めて甲子園に出場して、一回戦で負けてしまったんですけど。
僕たちはそれを見ていた学年で、一応進学校だったので当時はスポーツ推薦とかがなくて、ガッツリ練習してその代わり練習もせーよっていう学校だったので。
テストで赤点をとると練習に出させていただけないんですよ。

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──なぜ決勝まで勝ち進めたんですか?

当時僕らは学校自体が若かったので、今では当たり前ですけど監督がメンタルとか、体幹トレーニングとかコンディショニングですね、強豪校に勝つために新しい取り組みを20年前にやっていまして。

──メンタルトレーニングってどういうことをするんですか?

イメージトレーニングですね。腹式呼吸とかをして、イメージの話をされて、僕たちは自分たちでイメージする。空気を吸う時はいいイメージを吸って、息を吐く時は悪いイメージを吐く、そういった取り組みをしていました。

──それは試合中もされるんですか?

はい、初回始まる前とか5回の整備中とか、メンタルリーダーっていうのが決まっていてそいつがボールを持って円陣の中に立つんですよ。
そのボールを見て打つイメージを持ってボールを見てる、それでもう一回集中をする。

──みんなでルールみたいなものを決めていたんですか?

例えば炭酸飲料を飲まないとか、僕ら試合中にガッツポーズをしないっていうのもルールだったんですね。
勝つまで隙を見せるなっていう、ガッツポーズしてる時間があったら次を狙えよっていう。

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──ニュースを見ても新聞を見ても松坂フィーバーになっていましたが、決勝の前日成章ナインはどういう感じだったんですか?

みんなそれぞれが違う気持ちだったと思うんですけど。
例えばエースの古岡、彼はやっぱりこれまで投げ切って、“決勝で横浜にいっぱい点をとられたらどうしよう”とか、とてつもなく強いチームだったので不安はあったと思います。野手に関しては特にそういう緊張ってなかったと思います。
松坂が「PL、明徳の方が強いと思うので明日は気を抜かないようにします」と、熱闘甲子園で言ってたんですね。
それを聞いて僕らは「それはそうだな」と(笑)。

──決勝の舞台はどうでしたか?

決勝戦に行くとひとつだけ特典があるんですよ。甲子園球場でバッティング練習ができるんですよ。
それが印象に残っていて、その中に客が入っていくので始まる前には満員でしたね、入れなかった方もいらっしゃったみたいなので、ちょっと雰囲気がいつもと違うなと思いました。

──決勝戦 京都成章が先行ということで澤井さんは1番バッターなので、いきなり松坂投手と対戦じゃないですか?どうでしたか?

実は初回一球を見た時にそんなにすごさを感じなかったんですよ。ゆくゆく後でテレビで見たら球速出てなかったんですよね、僕は2球目をジャストミートしてサードが弾いてファーストに投げられてアウトになったんですけど、完全に捉えたんですよね。

──あれはいい当たりだったので、三遊間を抜けていたらノーヒットノーランというよりかは試合の行方自体もどう転んでいたかわからないですよね

そうですね、古岡も試合終わってみれば3失点だったのでワンチャンスでどうなったかっていうのは正直ありましたね。

──松坂投手の対策として、何を狙っていくかとかテーマはあったんですか?

だいたい毎回チームの相手を見て決めていたんですけど。松坂に関しては打席の選手任せでした。
要は全部すごいんですよ(笑)監督もお手上げだったと思うんですよね。

──ヒットが出ない状態が続くわけじゃないですか?いつ頃から“ヒット打ってないな”って思ったんですか?

だいたい5回くらいですね。整備の休憩でメンタルトレーニングするんですけど。

──どういう感じだったんですか?“まだ追いつけるぞ”っていう感じだったのか、“ヒット出ないとどうしよう”みたいな

なんとか攻略しようとは思っていました。7回か8回くらいにフォアボールでノーアウトランナー1塁出たんですよ。
まだ「3-0」か「2-0」で。そのノーアウト1塁のときに……。

──送りバントですね

そうです、渡辺監督がタイムとったんですよ。
まだ試合がどう転ぶか分からない状態だったので、うちのバッターがいいバントしたんですけど。
今でも忘れられないんですけど3塁ベンチから見てて、いいバント決まってランナー2塁だと思ったら、松坂選手がバーッとおりてきてセカンドに投げたんですね。そのボールが絶対に150キロ出てるんですよ(笑)。
僕らの反撃の火をパッと消されたっていう感じですね。

──「3-0」ノーヒットノーランで試合終了、試合が終わった直後に思われたことは?

悔しかったんですけど、みんなパッと涙は出たんですね。ただ、僕たちは達成感っていうのがすごくきました。
僕たちは甲子園出場を目標にしたチーム、横浜は連覇を目指したチーム、その差が達成感と…横浜高校は僕たちに負けていたら悔しさなんか、僕たちよりもっと悔しい思いをしていたでしょうし。その差が決勝の差なんだろうっていうのは思いましたね。

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──番組では、ゲストの方にCheer Up Songを伺っています。澤井さんの心の支えになっている曲や思い出の曲を教えて下さい

エレファントカシマシの「風に吹かれて」です。
僕たちの「熱闘甲子園」のテーマソング全部がエレファントカシマシだったんですよ。この1曲は、「熱闘甲子園」僕らの世代やった中で1回だけ挿入歌で使われた曲なんです。
すごくインパクトが残っていて、ベスト8のときの延長17回の時に流れた曲なんですよね。すごく心に残っている曲なんです。

──松坂投手もケガがあって今年復活しました、一方では村田修一さんが契約できずに“これからどうするか…”ということで
だんだん、そういう年齢に差し掛かってくることに対してはどういう思いがありますか?


すごい面白いなと思うのは、僕みたいにプロ野球選手になれずに社会に出て仕事を頑張っている世代が、もうすぐ40歳になる。
要は仕事盛りじゃないですか?これからどんどんやっていく世代で、一方では20代プロで一線で頑張ってきた選手がそういう状態になっている時に…僕たちは応援したいし、頑張ってほしいし、いろんな意味で混じり合う時期なのかなと思いますね。

──甲子園は澤井さんの人生にどのような影響を与えてくれましたか?

今でも成長させ続けてくれてるものですかね、松坂世代っていうのもありまして、彼がまだ現役でやっていますし。
大学の同期なんですけど、PLのキャプテンだった平石が楽天の監督代行していますし。

──監督代行になられてから、楽天の調子いいですよね

彼が引退する時から絶対に監督になると言っていたんですけど、野球脳と言いますか、野球の見方は一番尊敬する男ですね。


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