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16.05.28
金メダリスト・岩崎恭子さんから、未来の金メダリスト・高桑早生選手へ受け継ぐバトン
今週で「Athlete Beat」は、放送100回を迎えました!
記念すべき100回目は、「TOKYO FM渋谷スペイン坂スタジオ」で公開録音を行いました!

ゲストに、1992年バルセロナ・オリンピック 競泳女子200m平泳ぎの金メダリスト、岩崎恭子さん。
そして、ロンドンパラリンピックに出場し、今年開催のリオ・パラリンピックを目指す、陸上の高桑早生選手をお迎えして、お話を伺いました。



──人生の中の一番の幸せ


藤木:岩崎恭子さんと言えば、1992年、バルセロナ・オリンピックに当時14歳で出場して、競泳女子200メートル平泳ぎで見事金メダルを獲得されましたね。

岩崎:もう、24年経ったんですよね。

伊藤:あのあと、人生の中の一番の幸せは更新されたんでしょうか?

岩崎:いつもしてます(笑)。娘が生まれると、特別だなと思いましたね。

藤木:”金メダルを獲れそうだな”という、手応えはあったんですか?

岩崎:まったくないです。というのは、当時の世界記録と私のベストタイムが6秒違っていたので。
3ヶ月間の中で急成長してとれたメダルなので、誰もが予想していなかったですね。

藤木:岩崎さんが金メダルを獲得した1992年に生まれたのが、高桑早生選手ですね。

高桑:そうなんです。4年ごとにオリンピック、パラリンピックが来るので計算しやすいんです(笑)。

藤木:高桑選手は、中学生の時は、テニス部に所属されていたんですか?

高桑:小学校からテニスをやっていて、中学生ではソフトテニス部に入って、ずっとテニスをやっていました。

伊藤:陸上は高校からなんですね。

高桑:中学1年生の時に義足になって、そのあと高校に上がってから陸上競技を始めました。

伊藤:高校から陸上を始められて、ロンドンパラリンピックが慶應大学2年生のとき、20歳のときですから。およそ4年間でパラリンピックに出たってことですよね?相当、短くないですか?

高桑:ビギナーズラックというか、運もあったと思うんですけど…ちょうど陸上を始めた年が、2008年の北京パラリンピックの年で、映像で日本人選手が活躍されているのを見て、”この舞台にわたしも立ちたいな”と思いました。そこから、ロンドンを視野に入れていました。

藤木:明確な目標ができたんですね。義足というのは、素材であったり、硬さに選択肢はあるものなんですか?

高桑:基本的に、一番重要になってくるのは板の部分なんですけど、その部分はカーボンファイバーの積層で出来てる板なんです。世界的に流通してるものは、基本的には同じ構造をとってるものが多いですね。

藤木:反発力っていうのは、物によって硬めだったり、柔らかかったり、選ぶものなんですか?

高桑:そうですね。一つのメーカーの一つの種類に、硬さが何段階かあったり、自分の体重や体質、自分が一番走りやすいものを選択して使うというプロセスになっています。

岩崎:義足の中でも規定はあるんですか?

高桑:義足と水泳の水着の話はよく比較されるんですけど、義足の場合、まだ発展途上の分野っていうのもあるんですけど、基本的には全ての人が手に入れられる部品であれば、使用可能となっています。
私の体に特化した義足を一本作ったとして、「これは、あなたにしか履けません」というものだと、大会側から、”ちょっと待って”が入ってしまう場合があるんですね。

伊藤:同じ条件という面で、ずれるかもしれないということですよね。


──8万人の超満員のスタジアムで行われた、ロンドンパラリンピック


藤木:高桑選手が出場したロンドンパラリンピックといえば、スタジアムが超満員で歴史的な大成功でしたよね。いかがでしたか?

高桑:いまでも、あの瞬間のことは鮮明に覚えているんですけど、8万人収容と言われていた会場だったので。特に私のレースは、同じ組にイギリスの有名な選手がいたので、特に注目度の高いレースでした。
今まで出てきた大会の中で”違うな”と感じたのは、来てくれたお客さんみんなが、パラアスリートのパフォーマンスを楽しみに見に来てくれている。
それこそ、”オリンピックで速い選手を見に来たい”と思うのと同じように、パラリンピックに足を運んでくれたんだなというのが、その場に立っていて分かりました。初めてのパラリンピックだったんですけど、素敵な大会に来れたなと感じましたね。

岩崎:ロンドンって、パラアスリートに対しての尊敬度っていうのがすごいな、というのを感じていて。日本もそうなってもらいたいなと思いますね。

藤木:岩崎さんはアメリカに留学して、水泳指導について学ばれた経験があるんですか?

岩崎:そうですね。アメリカって競泳が強いので、”なんで強いのかな?”っていうのを、小さい頃の育成に興味があったんですね。
速い選手の練習方法はいろんなところに知られているんですけど、子どもの頃ってどうやって過ごしているのかなというのに興味を持ちまして、5歳から10歳の子供たちを見させてもらいながら、コーチを学ぶということをしたんです。日本の子供たちの方が速かったりするんですよ。
でも、国際大会とかオリンピックになると、なんで違うのかを考えると、気持ちの部分というのがあって。
アメリカは小さい頃から、自分で考えたり、発言したりっていう機会が多く、教え方も、与えて、答えを出させるんですね。

藤木:なるほど、最初から答えを教えたり、当てはめたりしない。自主性を出すということですね。

岩崎:自分で何かを考えられないと、アスリートとして続けていけない部分があるので。育成が精神的な部分までいくと、もっとさらに強くなっていくと思います。最近はそうなってきたので、競泳も世界で戦えるレベルになってきたと思います。

藤木:毎回、ゲストの方のお気に入りの一曲を伺っているんですけど、まずは、岩崎恭子さんが現役時代によく聞いていた曲、試合前などに聞いていた曲を教えてください。

槇原敬之さんの「どんなときも」です。1991年に発売されたと思うんですけど、その頃、”水泳を一生懸命やる!”っていう時期だったので、記録も伸びて、という時に、さらに頑張れる曲でした。


──岩崎恭子さんから、高桑早生選手に伝えたいこと


藤木:高桑選手は、リオ・パラリンピックでは100m、200mに加えて、走り幅跳びも目指されるんですか?

高桑:ロンドンのときも3種目で出場していたんですけど、その時は短距離がメインで、3種目目に幅跳びという形だったんです。
4年かけて、走りのほうを強化していったら、走り幅跳びも記録が伸びていったので。こちらも目標を持って、より高い位置を目指してやっていきたいと思っているところです。

伊藤:高桑選手は、100mで日本記録を保持してらっしゃるじゃないですか。いま、目標はどのあたりなんですか?

高桑:今は、リオのことしか頭にないぐらいな感じなんですけど。ロンドンは、初心者ながら一生懸命頑張った大会だったので、今度は4年かけてアスリートとして挑む大会なので、ロンドンの自分越えを目標にして毎日走っています。

伊藤:岩崎さんは2度オリンピックに出場されていますが、1回目と2回目は違いますか?

岩崎:私の場合は、知ってる分2回目が怖くなってしまって。

藤木:まして14歳で、何も恐れずに泳いでいた時と、また違っていたと。

岩崎:もう少し心の成長もしながら、オリンピックに出たかったなという思いはありましたね。

藤木:高桑選手、リオ・パラリンピック、2020年の東京パラリンピックでの目標を教えてください。

高桑:リオパラリンピック、まず出場することは最低限なんですけど、4年間しっかり準備してきたので、ロンドンはスプリントは7位で終わっているので、それ以上の結果を残すということ。
走り幅跳びではメダルも具体的な目標としてとらえられてきているので、あまり欲張り過ぎず、スプリントがメインなので、走り幅跳びは肩の力を抜いて、いい記録が出たらそれで良し、悪かったら、それも良しという感じで。でも、出来るだけ高い位置を目指してやることが、リオ・パラリンピックの目標です。
東京は、自国開催のパラリンピックは、なかなか経験できるものではないので、そこで3種目出場する事とメダルを獲得するということが目標です。

藤木:オリンピアン 岩崎恭子さんから、パラリンピアン 高桑早生選手に伝えたいことはありますか?

岩崎:毎日毎日が、いろんなことを吸収できると思うので、いつも通りっていうことが、試合でやるのは一番大変なんですけど。自信を持つことができれば、いつも通りできると思うので、自信を持って頑張ってほしいなと思います。


──高桑早生選手のCheer up Song!は、Acid Black Cherryの「Re:birth」


藤木:高桑早生選手が試合前に聞いている曲や、心の支えになっている曲があったら教えてください。

高桑:Acid Black Cherryの「Re:birth」です。もともとAcid Black Cherryがすごく好きで、試合前とか、アップの時にランニングをするので、テンポの速い曲を選んだり、バンドが好きなので、バスドラがきくような曲が好きなんです。
その中でも、昨年の世界選手権で、走り幅跳びで銅メダルを獲得した前の日にも、やはりAcid Black Cherryをずっと聞いていました。この曲は、ちょっと悲しい歌詞だったりもするんですけど。

藤木:どういう内容なんですか?

高桑:やりたいことが出来ないような、すごく苦しい気持ちが歌詞になっていて、歌詞のひとつに「大好きなことをしたくない」っていう歌詞があって、”できなくて苦しい”という気持ちがすごく出ていて、私も義足になった時って、そういうことがたくさんあったりしたので。
もちろん、陸上やってる中でスランプがあったりもするんですけど。
その気持ちを爆発させたような、それがすごく綺麗なメロディにのって歌われているので、この曲を選ばせてもらいました。





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