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2024.08.31

初戦敗退の春から甲子園優勝投手へ…「甲子園には神がいる」

今週の「SPORTS BEAT」は、甲子園ではエースで4番、そしてプロ野球の選手としてご活躍なさってきた金村義明さんをゲストにお迎えし、お話を伺っていきました。
金村義明さんは、1963年生まれ、兵庫県のご出身で、1981年、報徳学園高等学校在学中に春夏で甲子園連続出場。
エースで4番として、春は初戦で槙原寛己さん擁する大府に敗れましたが、夏の甲子園では、荒木大輔さん擁する早実、工藤公康さん擁する名古屋電気(現在の愛工大名電)などを下し優勝。
高校卒業後は、近鉄バファローズに入団し「いてまえ打線」の中軸として活躍。
中日、西武を経て1999年に現役から退かれ、現在は野球評論を中心に、幅広い分野で活躍なさっています。



──甲子園での活躍、すさまじいですね。

今になって思うと、あそこが僕の野球人生のピークかなと(笑)。自分でも奇跡のような、あんなに活躍できるとは思っていなかったですね。

──高校3年生の春夏の通算の打率が5割7分7厘。ホームラン3本。夏は全6試合完投して優勝。まさにエースで4番の活躍ですよね。

何か、神ががっていましたよね。予選も兵庫県ですから、高校が多くて7試合あって1人で全部投げたんです。だから甲子園の6試合を合わせて13試合を1人で全イニングを投げたので、一体何球投げたんだろうというね…その時は夢中で、そういうことは一切考えていなかったですけれども。

──それぐらい活躍できるんだ、という自信や手応えを持っていたわけではないんですか?

全くなかったですね。
というのは、(高校3年生の春の)センバツで1回戦で敗退しまして。(当時の報徳学園は)センバツで1回戦敗退は初めてだったんですよ。ぼろくそに怒られまして…。
だから、(甲子園に)出ただけじゃダメなんですよ。出て、“逆転の報徳”という、先輩方が築いた伝統を1回戦で破れて(壊してしまった)。「お前のせいで負けた!」と。だから夏はなんとかリベンジをと思っていました。
僕は中学から報徳学園に入れていただきまして、報徳学園に対する愛着がすごくあって、結局甲子園に出たのが(高校)3年生の春が初めてなんですよ。ようやく叶ってセンバツに出たんですが、槙原 (寛己)くんへのライバル心が強くて、負けずに真っ直ぐ(ストレート)だけ投げて、コンコロコンコロ打たれて(笑)、監督から「お前のせいで負けた、1人相撲で負けた、野球やめろ!」とまで言われました。

──やっぱり、(対戦相手だった大府高校の)槙原 (寛己)投手のストレートに負けたくないという気持ちが勝ってしまった?

そうなんですよ。我が強くて(笑)。
入場行進の時に、「槙原、かかってこい!」みたいなことを本人に言っちゃいましてね。面識は全くなかったですけれども、“エースの槙原”という名前は知っていたんです。わざわざ入場行進のプラカードを持って、予行演習の時に前まで行って、「かかってこい!」って(笑)。
僕もソリコミとか入れてましたし、アイツは、“とんちんかんなヤツが来たな”みたいな顔で見ていましたけど。

──槙原さんもよけい燃えていたんじゃないですか?

いや、“こいつらとは関わらないでおこう”という(笑)。
ただ、僕の場合は(甲子園球場が)地元でしたから、超満員になるんですよ。ファンじゃなくて、OBたちが集まるんです。昔は、6点差をひっくり返して勝ったり、出たら“逆転の報徳”と言われるくらい、地元では人気のある高校だったんです。
だから、夏(の甲子園)は、とにかく監督は1回戦、2回戦を10番や11番(控え)のピッチャーに投げさせようと思うんですけれども、僕が振り切って「嫌です、僕が投げます!」と(訴えた)。
何が起こるかわからないですから、予選で僕が投げていない時に負けたら、僕も悔やみきれないですよ。それぐらい、もう本当に泣いて(両親に)土下座して頼んで入れていただいた高校で、そこまでの思いであの報徳のユニフォームに憧れたので、必死でした。


──本当に気持ちのこもった優勝だったわけですね。
対戦相手もすごいですよね。(当時、早稲田実業高校の)荒木大輔さんは当時もうフィーバーしていたわけですよね?

荒木くんは前年度(1980年)の1年生の時に準優勝だったんですが、決勝でスーパーヒーローになりまして。関西の甲子園の球場で決勝戦が横浜と早実ですよ。愛甲(猛)さんのいる横浜高校が優勝して、僕らはもう指をくわえてテレビを見て、かっこいいなぁと(笑)。1年生で荒木くんが大スター、愛甲さんももちろん大スター!
で、2年生でまた甲子園に荒木くんが帰って来たんです。関西の女子校は、もう舞い上がってましたね。ジェラシーの塊でしたよ。羨ましいというか、雲の上の、テレビで見る存在なので。(そんな荒木くんが)1つ下の学年でスーパースターとして帰ってきたので、荒木くんだけには負けたくないと。
夏はリベンジで1回戦、盛岡工業には何とか勝って、じゃあ2回戦はというと、横浜高校なんです。前年度優勝校ですよ。愛甲さんはもういないですけれども、長尾(和彦)くんというサイドスローピッチャーがいまして。で、なんと奇跡的に、僕が2打席連続ホームランを打って抑えて勝って、今度3回戦が(荒木さん擁する)早稲田実業。強豪ばかりですよ。だからもう、“荒木には負けない!”と。ジェラシーの塊ですから(笑)。
でも、そこでまたセンバツと同じようなピッチングをしちゃって、一人相撲でコンコロコンコロ打たれて。で、1人で諦めて…。その時に、予選では1本もヒットを打ったことがないようなチームメイトが、奇跡的に(ヒットを打った)。「ありがとう!」と。「報徳学園の伝統は生きていた!」と思いながら。

──チームメイトに感謝ですね。

その時初めて、野球ってチームプレーだなと。僕は1人で投げて勝つことばかり考えていて、当時も高野連からは「金村のガッツポーズをやめさせろ!」とすぐクレームが入るぐらい(笑)。
で、前年度優勝の横浜早実を倒したので、「もうあとは負けることはない、もうどことやっても俺たちはいける!」と思ったんです。
だから、(春は)1回戦で負けたチームなのに、夏の大会では1回戦ずつどんどん強くなっていった。

──やっぱりそうやって勝つチームは、トーナメントでどんどん良くなっていくとか、強くなっていくミラクルが?

間違いないです。
あそこ(甲子園)にはやっぱり神がいて、その野球の神を引きつけた者が、最後、運を味方にして優勝する。それしか僕はないと思いますね。

──甲子園の優勝投手になって、プロでもピッチャーでやるぞ、という気持ちは?

全くなかったです。こんなしんどいことはもうこれでこりごりだと。
その時、僕はピッチャーであまりバッティング練習はしていなかったんですけれども、金属バットで気合と根性だけで打ったら、槙原くんからホームランを打ったり、夏も2打席連続で本塁打を打ったり…そうすると高校野球の雑誌で、「今大会ナンバー1打者」とかそういう称号をいただいて勘違いして(笑)。ピッチャーはしんどいからもうやめよう、バッターで行こうと、その時にスッと思いましたね。(ピッチャーには)何の未練もなかったですね。

──この番組では、ゲストの方にCheer Up Songを伺っています。金村義明さんの心の支えになっている曲を教えてください。

甲子園の時はいつも、僕らは専属バスもなかったですから、自転車で駅に行って電車で球場に現地集合、現地解散なんですよ。その時、いつも自転車で歌っていた歌が、布施明さんの「貴様と俺」という歌なんです。
この歌がもう大好きで、1番をずっと何回も繰り返し歌いながら駅まで自転車で行くという、僕の青春時代でした。
この“勝って帰らにゃ男じゃない”というところを1人で声を出して歌いながら、駅まで行って。だいたい4回ぐらい1番を繰り返し歌うと駅に着くんです(笑)。駅に自転車を置いて電車に乗って…ルーティンですね。 

──大谷(翔平)選手の話ですが、40-40(ホームラン40本、40盗塁)、すごいですよね。

すごいですね!でももう、40-40ぐらいじゃ驚かないですね。ちょっと神がかっているというか、もうそんなところを超越してしまって。100年前のベーブルースですからね。ベーブルースって、僕らは伝記で読んだ選手ですから(笑)。その人の記録を抜いていくって、これはちょっとね。
ただ、ちょっと自慢できるのは、僕は大谷くんも1年目から追いかけていて、初めて大谷くんがブルペンに入るのを見たんですよ!
驚きを越えてびっくりしましたよね。18歳から素晴らしいの域を超えていましたよ。

──何がすごかったんですか?

ストレートもカーブも。
今、オリックスで名監督になっている中島(聡)という監督が、その時に日本ハムでコーチをしていたので、(初ブルペンを見て中島さんに)「(大谷選手は)もう今すぐにでもWBCにいけるぞ!」と言ったんです。
で、ブルペンを見た後に紅白戦だったんですが、(大谷選手は)すぐに(ピッチャーではなく)ライトで紅白戦デビューしたんですよ。
僕は、(プロになって)バットを金属から木に変更して、ついていけずにずいぶん悩みましたけど、(大谷選手はいきなり)二打数二安打。それを目の前で見て、とんでもない選手が出てきたなと思いました。
それと、一番驚いたのが足のスピード。ライトがジャックルしたら、もう2塁までゆうゆうセーフで。1年目から足が速い!
その当時、ルーキーの時から、コーチとかが「足がすごいぞ! №1やぞ」と言ってましたから。

──ではもう、当然といえば当然の40-40?

今年は最初からわかっていました。ピッチャーはリハビリ中ですから、バッター1本なんだから、(バッターとして)これはとんでもない数字を残すぞと。
おそらく僕らみたいなプロ野球、日本のOBよりも、メジャーで名だたるスタンディングオベーションを喰らうような選手たちがもっと言っているはずです。
ランディ・ジョンソンとか、サイヤング賞を獲ったようなピッチャーは、アーロン・ジャッジと(大谷と)どちらがMVPかと言えば、みんな大谷やと。ヤツはピッチャーをやりながらバッターもやってるんだぞと。我々はローテーションを守っているピッチャーの大変さをわかっているけれども、彼は投げた後、打って、ダブルヘッダーなって、またバッターとして出てきてホームランを打っている。
だから、アーロン・ジャッジも(ホームランを)60本打ったのはすごいんですけれども、評価はやっぱり大谷の方が上でしょう。

来週も金村義明さんにお話を伺っていきます!


今回お話を伺った金村義明さんのサイン入り色紙を抽選で1名の方にプレゼントします。
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そして今回お送りしたインタビューのディレクターズカット版を、音声コンテンツアプリ『AuDee』で聴くことができます。
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