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2023.09.16

侍ジャパンのブルペンキャッチャーが語る、WBC優勝の裏側

今週の「SPORTS BEAT」は、9月5日出版『超一流の思考法 侍ジャパンはなぜ世界一になれたのか?』の著者で、侍ジャパンでブルペンキャッチャーを務められた、鶴岡慎也さんのインタビューをお届けしていきました。
鶴岡慎也(つるおか しんや)さんは、1981年生まれ。
鹿児島樟南高校で捕手として甲子園に2度出場。
社会人野球を経て、2003年ドラフト8位で日本ハムに入団し、4度のリーグ優勝に貢献。
2014年にFAでソフトバンクに移籍し、日本一に3度、輝かれました。
2018年から日本ハムに復帰、選手兼任コーチを務めます。
ダルビッシュ有選手、斎藤佑樹選手、大谷翔平選手らとバッテリーを組み、2021年を最後に現役引退。
現在は野球解説者、そして2023年の第5回WBCでは、日本代表のブルペンキャッチャーを務められました。



──栗山監督から、どのようにブルペンキャッチャーへのオファーがあったのですか?

WBCの監督を栗山さんが引き受けるとなった時に、「ピッチャーで世界一になろう」と。もちろんバッターも優秀な選手が多いですけれど、日本のピッチャーは世界的にレベルが高くて、そのピッチャーを軸に戦っていこう、と考えたみたいなんです。
その中で、ブルペンで待機するピッチャー、調整する先発ピッチャーがしっかり気持ちよく投げられるように、ブルペンという場所はすごく大事だと監督が考えてくださったらしくて、そこで誰がそのブルペンキャッチャーをやるかとなった時に、僕がたまたま引退して、体も空いてましたので、お声がけをいただいたんですけれども。

──鶴岡さんが、現役時代に「雲の上の後輩」としている、ダルビッシュ有投手の存在について。

キャンプの初日から合流してくれて、侍ジャパンを1つにまとめて…“まとめて”というか、そういう空気を作って、やっぱり、いろんなチームの主力が集まってきて1つのチームを作るのは時間かかると思うんですけど、ダルビッシュ選手が来てくれたおかげで、大会の前までにしっかりと強固たるチームになりましたので、彼の功績は大きかったですし、その後に、大谷翔平選手やヌートバー選手や吉田選手が合流してきたんですが、メジャーリーグの選手たちも合流してすぐにチームに溶け込みやすいような雰囲気を、ダルビッシュ投手が作ってくれたと思っています。

──鶴岡さんから見ても、今回のWBCでは大きな存在感を示していた ダルビッシュ投手。チームメイトに対し、どのように接していたのでしょうか。

やはり、彼の今まで経験してきたすごさ、素晴らしさを、今の選手はいろんな情報として持っているじゃないですか。YouTubeで見たり、Wikipediaで調べたり。
なので、そのリスペクトの気持ちが、若い選手たちには、ダルビッシュ投手に対して、会う前からあったと思うんです。
それが、会ったらもう、本当に気さくに、ダルビッシュ投手から後輩たちに積極的に声をかけて、いろんなアドバイスをしてくれて、“あ、ダルビッシュさんって、ものすごく話しやすい人だし、素晴らしい人間だな”と、後輩たちは全員感じていたので、本当に、何の時間もかからず、1つのチームになるのが早かったなと感じました。

──今回の侍ジャパンのメジャーリーガーといえば、現役時代に鶴岡さんがバッテリーを組み、プロ初勝利をアシストした大谷翔平選手との再会もありました。

「大谷翔平」ですよ(笑)。緊張しないわけがないですよね。
やはり皆さんと一緒で、僕にとっても、テレビの向こうの人だし、世界的なスーパースターなので、久しぶりに会った時にはすごく緊張しましたし、ものすごく距離があると思っていたんですけれど、彼の方から気さくに来てくれたので、感じていた距離は一気に縮まりましたし、人間・大谷翔平というものは全然変わっていなかった。純粋な、本当に素晴らしい人間でしたし、それを、“やっぱりそうだよな”と思わせてくれるような、何か嬉しい思いが湧き上がってきましたね。

──鶴岡さんは、大谷選手の練習する姿に、「大谷選手なりの侍ジャパンに対する思いが込められていたのでは?」と振り返っていらっしゃいました。

狙っていたと思いますね。栗山さんも言っていたんですが、飛ばして、バッティング練習が終わって、ガッツポーズとかしていたじゃないですか。あんなことをする選手じゃなかったので、彼自身、チームを盛り上げていく、侍ジャパンの雰囲気を機運を上げていく、日本中を侍ジャパンのこのWBCへ向けていく、と、何か彼なりの考えがあったんじゃないかなと思います。
今考えたら、ですけどね。

──侍ジャパンは、東京で行われた1次、2次ラウンドを突破し、マイアミでの準決勝、メキシコ戦へと挑みますが、4回に3点を先制される厳しい展開でした。

マイアミまで行ったら、準決勝じゃないですか。
正直、5回まで3-0で行かれて、負けるかもな、という雰囲気はありました。
メキシコのサンドバル投手が完璧な投球したことをみんなわかっていましたし、正直、僕もブルペンで“負けだ”と思いました。あの時は。
それぐらい重い3点でした。

──鶴岡さんも「負け」を覚悟したという試合展開。その時のブルペンはどんな様子でしたか?

もう、みんながすごい緊張感を持ってましたね。
ああいうシーソーゲームをやったら、佐々木朗希、山本由伸と、そこまでは決まっていますけど、その後に誰が行くかわからない状況なので、ブルペンの電話が鳴るたびに「誰だ誰だ」となるので、みんな共通して顔面蒼白で、気持ちの悪い顔をしてマウンドに向かっていくんですよね。
(いつもプレーしている)チームでは、1-0の痺れた場面でバンバン出ていく、そして、何事も無かったかのように0に抑えて試合を締めるクローザーたちが、(メキシコ戦では)すごい緊張感を全面に出してマウンドに向かっていったので、これから歴史を作っていくようなマウンドに上がる選手たちは、僕が想像できないぐらいのいろんなものを背負っているんだなと感じました。

──みんなが1つになった侍ジャパン。みごと準決勝でメキシコに勝ち、決勝では終盤、侍ジャパンがリードした状況で、ブルペンにはダルビッシュ投手、そして大谷投手が控えていました。ブルペンキャッチャーとして、彼らとどんな会話がありましたか?

いや、会話できないです。
それぐらい、彼らもものすごく入ってましたし、話しかけられない雰囲気があったので。僕も記憶にないぐらい緊張しました。
ブルペンキャッチャーがそれだけ緊張するんだから、今から試合に出ていく選手というのは、それはもう想像できないぐらいの緊張感だと思いますね。
やっぱり、WBCというものは特別な舞台なんだろうと感じましたね。

──この番組では、ゲストの方にCheer Up Songを伺っています。鶴岡慎也さんの、心の支えになっている曲を教えてください。

私がずっと、現役中から登場曲で使わせてもらっている、福原美穂さんの「CHANGE」という曲があるんですが、実は、当時、(日本ハムで)担当コーチをしていた、(現在は)オリックス・バファローズで監督をしている中嶋監督が、ものすごく仲良くしてくださっていて、「俺はもう打席に立つ機会はあまりないから、この曲を使ってみたらどうだ」と言われて、聴いてみたらすごくいい曲だなと思いましたし、福原美穂さんの声量というか、そのパワフルな感じも、曲の感じもいいですし、福原美穂さんの声も素晴らしいなと思ったので、「ぜひ使わせてください」ということで、使わせてもらっていました。
曲感が、打席に入る前に、何か1つ、スイッチを入れてくれるというか、素晴らしい曲ですよね。

──最後に、鶴岡慎也さんが今回のWBCで一番驚いたことを教えてください。

一番びっくりしたのは、あれだけ盛り上がってあれだけ感動したのに、優勝してシャンパンファイトが終わった瞬間、「さあ、次!」ってなっていたんです。選手たちがね。
この切り替え方はすごいなと思いましたし、僕からしたら(WBCの優勝は)ゴールみたいな感じですけれど、彼らにしたらまだまだ通過点なんだなと感じたので、そこが、今回世界一になった選手たちの、一番の素晴らしさじゃないでしょうか。まだまだ上を見ている、というところがね。



今回お話を伺った鶴岡慎也さんの著書『超一流の思考法 侍ジャパンはなぜ世界一になれたのか?』と、サイン入り色紙を、それぞれ抽選で1名の方にプレゼントします。 ご希望の方は、番組公式X(旧ツイッター)をフォローして指定の投稿をリポストしてください。当選者には番組スタッフからご連絡を差し上げます。

そして今回お送りしたインタビューのディレクターズカット版を、音声コンテンツアプリ『AuDee』で聴くことができます。
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