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2023.08.19

スカウトを通して学んだこと「人を純粋に、プラス思考で見る」

今週の「SPORTS BEAT」は、徳間書店から出版された「一流の共通点 スカウトマンの私が見てきた成功を呼ぶ人の10の人間力」の著者・二宮博さんをゲストにお迎えし、お話を伺っていきました。
二宮博さんは、1962年、愛媛県のご出身。
公立中学の保健体育教諭として10年間勤務された後、1994年からガンバ大阪のスカウト、そしてアカデミー部門で、定年までの27年間、務めていらっしゃいました。
先月、徳間書店より著書の「一流の共通点 スカウトマンの私が見てきた成功を呼ぶ人の10の人間力」を出版なさっています。



──27年もの間、ガンバ大阪の育成部門に携わってこられたそうですが、ガンバ大阪のスカウトとなったのが1994年。Jリーグのスタートが1993年ですから…その翌年からだったわけですか?

そうですね。あの有名な釜本(邦茂)さんが初代監督の、その当時からですね。

──Jリーグ発足の時はJリーグブームになりましたよね。スカウトはやりやすかった?

初めは、ですね。ただ、私は(当時は)無名ですので、「どこの誰?」というような感じで、正直相手にされていなかったというのが現状だったと思います。
当時、(ガンバ大阪には監督の)釜本さんを始め、磯貝(洋光)さんとか優秀な選手もいましたが、どうしてもちょっとかみ合わず、Jリーグのオリジナル10の中でも低迷していたというところで、学校の先生からしても、選手からしても、あまり人気がなかったのかなと思っています。

──ユースチームやジュニア、アカデミーという組織は、その頃からもう設立されていたんですか?

Jリーグの理念で、一貫指導体制で、下部組織、アカデミー組織の発足というのはありましたので。
ガンバ大阪は、運よく釜本さんの「釜本FC」というスクールがありましたので、それをガンバ大阪のアカデミーの方に移行していったということですね。そういう仕組みが非常によく出来ていたと思っています。

──最初は苦しかったスカウト状況は、何かをきっかけに好転したんですか?

まず、現在サッカー解説をしている兵庫県の播戸竜二さん。当時は無名だったんですけれども、彼が努力してくれて、日本代表になった。そういうところで私も自信がつきましたし、周りの目も、「あの播戸をスカウトしたのは誰や」という風に、選手の実績でちょっとずつ認めていただけるようになった。
当初は苦労しましたけれども、私も無名ですので、スカウトした選手が代表に行ったり活躍することによって、“ああ、ガンバに二宮というスカウトがいるんだな”と、ちょっとずつ認知されていったのだと思います。

──さらには、ガンバ大阪もだんだん強くなっていくわけですよね。そういった意味でもスカウトしやすくなっていった?

西野(朗)さんが(率いるガンバ大阪が、2008年の)世界クラブワールドカップで3位になった。弱いガンバを強いガンバにしていただいて、あの頃から日本国内でも優秀な選手が集まってきたように思っています。

──スカウトされる時に、どういうところに重きを置いて見るものなんですか?

私の若い時は、技術的な面とか、体力的な面とか、ピッチ上のそういう部分だけ重視していたように思いますが、長年経験して、やはり、頭の中の考え方や心の持ち方…頭と心の、私は簡単に「マインド」と言っていますが、そういうところが大きいのではないかなと、ちょっとずつ選手の見方も変わっていきましたね。

──技術は試合を見ていればわかりますが、マインドというのは、どういう部分で?

例えば、試合で負けた時の立ち居振る舞いや、あとは、チームメイトとの関係性だとか、保護者さんへの対応の仕方とか。指導している先生方に、そういう内面のところはお訊きするようにしていました。

──小学生の頃から声をかけて成長を見ていらっしゃいますが、人間力、人間性というものは変わるんですか? それとも、小学生の時から出来上がっている、光るものを持っているんですか?

例えば、現在、ガンバ大阪のエースの宇佐美貴史さん。彼なんかを見ていますと、人間的な成長をすることによって、宇佐美ファン、ガンバファン、スポンサーさま、地域の方に、非常に人気のある選手になった。
もうガンバの大黒柱になっていますが、彼などは人間的な成長とともにサッカー選手としても伸びていっているような感じがします。


――著書の中で触れられていた、松井秀喜さんの座右の銘に「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる」という言葉があって、松井さんは仙人のように全てを悟ったような方だなと思っていましたが、中学の頃は、わりと感情を出してプレーしていたそうです。それを監督にすごく怒られて、そこから変わったと。 何かをきっかけに人ってガラッと変われるものなのかなと。

松井さんの星稜高校の後輩で、世界的サッカー選手の本田圭佑さんも、そのような感じがします。
岡田元日本代表監督から「本田圭佑という選手はとてつもなく人間の器が大きい」と伺ったことがあるんですが、今、松井さんの話を伺って、本田選手もそのような感じで成長していったのかなと感じました。

――鎌田大地選手は、ついにセリエAのラツィオチーム(への移籍)が決まりました。どんな選手ですか?

決まってよかったです。嬉しいです。
私は愛媛県出身なので同郷で、(鎌田選手が)小学校6年生の時に、お父さんから電話がありまして、「ガンバのジュニアユースに入りたいんだ」と。「寮はないんですが、よろしいですか?」と言ったら、大阪に親戚がいるから、合格したら…ということで、小学校6年生の時に2日間練習に来たんですが、私はもう、30分ぐらいで、合格レベルじゃないかなと思いました。運よく出会えたと、そういう経緯です。

――とはいえ、本田選手も、鎌田選手も、ユースには上がれなかった。それぐらい厳しい競争なんですね。

そうですね。現在、川崎フロンターレに家長(昭博)という素晴らしい選手がいますけれども、本田選手と同期でしたが、やはり今考えますと、ガンバ大阪のジュニアユースというのは、“関西選抜”というイメージで、レベルが高かったんです。1学年20名から、ユースになる時にはその半分の10名になりますから、狭き門になる。多くの選手を抱えた方がいいんですが、試合に出られるのはごく一部。
ですから、僕は個人的に、高校サッカーに行って、そこで活躍してガンバに帰って来てほしいということを選手のみなさんには必ず伝えていた。そういうことを意識的にしていました。

――抱え込まず、次のステップへ進み、他の環境でまた違う刺激を受けて日本を代表する選手になるというのは、それはそれで素晴らしいことですよね。

そうですね。私自身も嬉しいですね。

――この番組では、ゲストの方にCheer Up Songを伺っています。二宮博さんの、心の支えになっている曲を教えてください。

岡村孝子さんの「夢をあきらめないで」です。
今朝も聴いてきました(笑)。大好きな曲です。
私は岡村さんと同年代で、大学は名古屋の中京大学体育学部にいまして、200名ぐらいの部員の大所帯の中で、正直体育会系ですから、1年生、2年生の頃は、雑務に追われて精神的にも余裕がない時だったんですね。
そういう時に岡村さんの歌「夢をあきらめないで」をテレビで聴いて、“辛いこともあるかもしれないけど、きっとうまく乗り越えられる”というようなフレーズに勇気づけられて、将来、愛媛県で学校の教員になって大好きなサッカーを子供たちに教えたいということを、ずっと思い続けることが出来ました。

――ずっとスカウトをされていて、職業病じゃないですけれど、ついつい人間観察をしてしまうということはないですか?

多少悩んだこともありますが、スカウトをして学んだことは、人を真っ白に見て、純粋に見て、何か1つでも良いところはないかなと、出来るだけ前向きに、プラス思考で見るようにしています。

――最後に、二宮さん、育成のガンバ大阪から、家長選手、宇佐美選手、堂安選手らに続く秘蔵っ子がいたら教えてください。

1人います。今回ガンバ大阪からベルギーのチームにレンタル移籍しました、東京五輪の正ゴールキーパー・谷晃生選手に、今後、期待したいと思っています。



今回お話を伺った二宮博さんの著書「一流の共通点 スカウトマンの私が見てきた成功を呼ぶ人の10の人間力」にサインを入れて、抽選で1名の方にプレゼントします。 ご希望の方は、番組公式X(旧ツイッター)をフォローして指定の投稿をリポストしてください。当選者には番組スタッフからご連絡を差し上げます。

そして今回お送りしたインタビューのディレクターズカット版を、音声コンテンツアプリ『AuDee』で聴くことができます。
放送できなかったトークが盛りだくさん! ぜひお聴きください!

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