髙木美帆(たかぎ・みほ)さんは、1994年、北海道中川郡幕別町生まれ。
3人兄弟の末っ子で、姉はスピードスケートで金メダリストの髙木菜那さん。
美帆さんは5歳でスケートを始めると、2010年、中学3年でバンクーバー五輪に出場。
2014年ソチ五輪には惜しくも出場を逃しますが、2018年の平昌五輪では個人で銀と銅2つのメダルを獲得。
さらに女子団体パシュートでは姉の菜那さんと共に金メダルを獲得されます。
そして今年2月に開催された北京五輪では、1500m、パシュート、500mで銀メダルを獲得、1000mでは五輪新記録で金メダルに輝き、通算7個目のメダルは夏冬の日本女子最多記録を更新となりました。
──お久しぶりです。まずは、日本中に感動を与えてくださった北京オリンピック、金メダルを含む4個のメダル獲得、本当におめでとうございます! そして、心の底から言いたい。本当に本当にお疲れ様でした!
ありがとうございます。
──めちゃくちゃハードだったんじゃないですか?
そうですね。オリンピック期間中と、終わった後の数週間は、なかなかハードな期間にはなりましたね。
──その北京オリンピックでは、5種目に出場されましたよね。5種目に出ようと決めたのはいつ頃だったんですか?
最終的に決めたのは、年末にあったオリンピック選考会で最後500mの切符も手にできた時に、5種目出ることを決めました。
──もともと2018年の世界オールラウンド選手権で金メダルを獲得されていて、その時は4種目?
そうですね。オールラウンド選手権は4種目の総合を争う大会なので、1種目ずつ争う大会とは色々違うところがあります。
特にスケートがメジャーなヨーロッパでは、オールラウンド選手権で優勝することが1つの大きな勲章というか、選手にとっての憧れ、目指すゴールになっていると思います。
──インタビューで見たんですけれども、「全部できた方がカッコいいから」とおっしゃっていて、“すごく潔い、カッコいい!”と思いました(笑)。やっぱりどれか1つに特化した方が速くなりそうな気がするじゃないですか。そうではなく全てに挑戦して、全てで結果を出すというのが、すごくカッコいいなと。
でも、“500mが速くなりたいから”と思って500mに少し特化した時期もあったんですけど、逆にどの種目も伸びなくなってしまったんです。だから、“平均的に”というか、全部やった方が私のスケートは速くなるのではないかなと感じたのも大きいですね。
──いろんなトレーニングを幅広くやることで、全体的なパフォーマンスが上がっていくこともある?
と、思っています。特に私には、すごく特化した能力がない。“スプリントがすごく速い”とか“体力が異次元にある”みたいなタイプではないんですよ。
特に高校生の頃とかは、「ある程度はできるんだけど、全日本の中でもなかなか勝てない」という悩みを抱えていて、“それだったら、大体はできるんだから、「大体できる」レベルを全部上げよう”と思い始めたのが、成長したきっかけの1つにはなったんですよね。
──そこにはやはり相当な練習量があったのでしょうね。
練習量にも限界があるので、練習量だけではなくて、質だったり、またそれをコントロールしてくれるコーチ陣の支えも大きかったなと思います。
──今、2年以上、世界はコロナ禍で大変なことになっていますけれども、ヨハン・デビットコーチが(オリンピック)開幕直前に新型コロナウイルスで陽性ということで、合流が遅れましたよね。やっぱりこれは大きかったですか?
そうですね。ヨハンコーチが日本に来られてからずっと大会では離れたことがなかったので、今だから話せるんですけど、少なからず(コーチが)いないことに対して心の動揺はあったと思いますね。
逆に、“その分強くいなきゃいけない”とも思ってはいたんですけど。
──結局合流したのは、500mのレース直前ぐらいのタイミングですよね。やっぱり、久しぶりに会えたらホッとしましたか?
500mのレースが直前に迫っていたので、ホッとする余裕はなかったんですけど、それでもウォーミングアップの氷上で、ギリギリでヨハンの合流が間に合ってくれて、会話をしながら500mに向かっていくことができたので、そこは大きかったなと思います。
──その500mでは素晴らしい滑りで銀メダル。今回、“滑走順”というのも面白かったなと思ったんですが、500mはわりと早い滑走順でしたよね。そこで良いタイムが出せたというのは、やはり他の選手たちにとってプレッシャーというか、良い効果があったのかなと。
少なからずあったと思います。私が意図をしていたわけではないんですけれど、前半の組で滑れたことと、その時の同走者がすごく速い選手だったこと、そして私がアウト(コース)スタートだったということを踏まえて、色々と幸運な組を引いたなとは思っています。
私がもし自分の主戦場としている種目で専門外の選手にああいうことをやられると、すごくメンタルに来るなって(笑)。
──(笑)。500mのタイムが出た瞬間は、“これはメダルいけるぞ”みたいな手応えはあったんですか?
難しいですね。自分の中では“渾身のレースができたな”と感じたんですけど、北京のリンクのスプリントがどれくらい滑るのかというのは、最後、終わってみないとわからないなと思っていたので。
前回大会は優勝タイムが37秒を切っていたので、“良いところには行けるんじゃないかな”ぐらいの感覚でしたね。
──この番組では、毎回ゲストの方にcheer up songを伺っています。髙木美帆さんの心の支えになっている曲を教えてください。
King Gnuさんの「一途」です。私は「呪術廻戦」がすごく好きで。
──そうなんですか! 映画の主題歌でしたよね。
映画(「劇場版 呪術廻戦 0」)が公開され始めたのが12月だったと思うんですけど、(オリンピックシーズン中で)行けなくて。3ヶ月間ずっと行きたくて、予告編と音楽を聴いて、行きたい気持ちをどんどん高めていたんです(笑)。
すごく戦うシーンが多い映画で、この音楽を聴いているとテンションも上がっていくような感覚があったので、この曲を聴いて“よし、頑張ろうかな”と思ったりしていましたね。
──幅広くいろんな曲を聴かれるんですか?
そうですね。基本的には私はバラードが好きなので、バラードもよく聴いたりするんですが、こういうアップテンポな曲をこういう場で「好きです」と話すのは初めてかもしれないです。
──確かに意外な選曲だったんですけれども、(選曲を聞いて)「呪術廻戦かもね」と話していたので、まさにそれでしたね(笑)。
大好きなので、今も漫画を読んでますね(笑)。
──オリンピックが終わってから、無事、映画を観ることはできたんですか?
観ることができたんですよ! 良かったです。いつ公開が終わってしまうかわからなかったので、後半のシーズンは毎日ヒヤヒヤでしたね(笑)。
──最後に、未来のオリンピック金メダリストを目指すアスリートに、オリンピックと金メダルの魅力を教えてください。
最初に「オリンピック」についてですが、私の中では、スケートやオリンピックには自分のいろんなものをかけるだけの価値があると思っています。
“背負わされている”、“やらされている”とかではなくて、自分で“そこに向かって行きたい”と思えるぐらいの刺激ややりがいのある、本気になれる場所だなと感じていて。なおかつ、それを周りと共有できるところでもあるということは、北京オリンピックを通じて感じたところではありますね。
そういう、「周りと一緒に向かって行ける」というのも、またオリンピックの1つ大きな魅力だなと感じています。
そして「金メダルの魅力」というのは、すごく難しいです。金メダルを獲っても、そこで大きく何かが変わるとか、自分の今後の人生が保証されるとか、そういうわけではないと思っています。
それこそ、自分のこれからの行動が金メダルの価値を左右するんだろうなと思っているので、逆に責任感や、“ちゃんとしよう”という気持ちが大きいです。でも、もしかしたら何年後かに、金メダルの価値、魅力というものを改めて感じることもあるのかもしれません。
今は純粋に、自分が最後まで怒涛の2週間を戦い切った上での、出し切れたことに対する結果が形として残ったなと感じています。
──もちろん結果だけが大事ではなくて、プロセスとかいろんなことが大事だけれど、結果も大事というか、そこで証としてすごく価値のあるものを手に入れて、本当に心からおめでとうございます。
ありがとうございます。そうですね、(金メダルの魅力は)「みんなが喜んでくれるもの」ということはあるかもしれないですね。
今回お話しを伺った、髙木美帆選手のサイン入り色紙を抽選で1名の方にプレゼントします。ご希望の方は、番組公式ツイッターをフォローして指定のツイートをリツイートしてください。当選者には番組スタッフからご連絡を差し上げます。そして今回お送りしたインタビュー、ディレクターズカット版は音声コンテンツアプリ『AuDee』で聴くことができます。放送できなかったトークが盛りだくさん! ぜひ聴いてください!