松木安太郎さんは、1957年生まれ、東京都のご出身。
小学4年生のころ、現在の東京ヴェルディの母体、読売クラブに入団。
16歳でトップチームに昇格され、読売クラブでは1983年のリーグ優勝をはじめ、数々のタイトルを獲得。
日本代表としても、メキシコワールドカップの予選や、アジア大会、ソウルオリンピック予選などに出場。
1990年に現役を引退され、読売クラブのユースチームの監督、トップチームのコーチなどを経て、1993年、Jリーグ開幕元年、35歳でヴェルディ川崎の監督に就任。初代Jリーグチャンピオンに導かれています。
──Jリーグは30周年という記念すべき年になりました。松木さんがヴェルディ川崎の監督になったのが、1993年、Jリーグ元年。その年に初めて監督になったんですよね。
当時のヴェルディもそうなんですが、読売クラブの頃から、ちょうど僕の世代・年代が、(サッカー界やチームの)節目節目(のタイミング)に、たとえばキャプテンになったり、初めて優勝出来たり…そういう巡り合わせが多かったんです。
ですから、そういった意味では、そこ(Jリーグ開幕)でも“何かチャンスが来た!”という感じはありますね。
──ヴェルディ川崎の監督になられた時が、35歳。今のJリーグを見ても、世界中を見渡してみても、35歳で監督になる方は少ないんじゃないですか?
そうなんですよ。やりたくないですよね(笑)。今だったら、絶対に断ってますよ。当時、10人に聞いて10人が“やめた方がいい”と言っていました。
──松木さんが現役の時代は、監督と選手の関係性はどのような感じだったんですか?
それまでは外国人の監督が多かったですから、良いリレーションと言いますか、良い付き合い方をしていましたね。
監督になる前はコーチをやっていましたから、外国人監督と選手の間に入ったり、ということもしていました。
──そのやり方を踏襲して(監督として)“やってみようかな”という感じだったんですか?
“やってみようかな”なんて簡単なものじゃなかったです。
相当悩みましたし、サッカー人生としては、選手になり、コーチになり、監督になったら、その先はもう、(サッカーを)やめる時だなと考えていましたから。
だから、“(サッカー人生を)終えなければいけない最後に来た”という時を迎えるのが嫌だったことも(監督になることを躊躇した原因の1つに)あるんですよね。
──“(サッカー人生の)最終ステージが35歳で来るのか”という感じだったんですね。
そうなんです。最後、もしうまくいかなかったら、やめていかなきゃいけないのか、と。その葛藤もありました。
結果を出さなければ監督としての評価になってしまう。今までずっと上昇チームですから、それはプレッシャーがありますしね。
──Jリーグが出来るということで、武田(修宏)さん、柱谷(哲二)さんなどメンバーも増えましたね。
彼らは本当にいい選手ですから。
監督をやって思いましたが、本当に選手に助けられたところがいっぱいありますし、また、当時のフロント(クラブを運営するスタッフ)が…(当時のヴェルディは)読売グループですから、当時は(プロ野球の)ジャイアンツの経験値を持った方々が、フロントに何人か入っていたんです。プロの経験をしている人たちがそこに入ってきたので、そういった人たちにもずいぶん助けられましたから、本当に良かったです。
──いざJリーグが開幕したら、ものすごく熱狂的に迎えられて。その中で、年間の王者にもなりました。
もう、ホッとしました。
選手時代というのは、優勝すると、その次のシーズンの優勝が決まるまで、“優勝者”ですから(笑)。でも監督は、そこで仕事が終わりますから。そこで、(優勝して)1日、2日、“良かったな”と思ったら、もう次の仕事に移らなきゃならない。そういう辛さがありますよね。これはどのスポーツでも同じだと思いますけれど。
──ヴェルディの監督になった時は、自分なりのカラーというか、“こういうサッカーにしてみよう”と思われたことはありますか?
「自分なりのサッカー」というよりも、「“日本の”Jリーグ」。
Jリーグの立ち上げと共に、最初に、(Jリーグの)趣旨として言われていたのは、「日本チームを強くしていきたい」「日本の代表チームが強くなっていくことが大事だ」ということだった。
それを考えると、やはり、「日本の選手のためのリーグであるべきだ」ということは、1つ、考え方としては持っていました。
ですから、当時のカズ(三浦知良)にしても、武田にしても、彼ら日本の選手たちが良いところでゴールをして、守る方は、必死に一生懸命守ってくれるような外国人選手を中心に組む。そういうチーム作りをしたかった。
だから、僕は“日本の選手が主食になれば良い”と思っていたんです。“料理を作るのにスパイスが外国人選手であってほしい”というところが、当時のチーム作りとしてはありました。
──「空前のサッカーブーム」というか、JリーガーがCMにも出る。特にヴェルディは人気の高い選手が多かった。
ヴェルディはカッコ良い選手が多かったですしね!
武田はモテましたね(笑)。今も会えばサッカーの話をしますけど、彼も、若い頃から、高校を卒業してすぐに(チームに)入ってきましたからね。選手時代から同志の1人です。
──カズさんは、ちょうど松木さんが引退された頃に、読売クラブに入られたんですよね?
そうです。でも、僕、カズと試合をやっているんですよ。
僕が代表時代に、カズがブラジルのチームの一員として日本へ来て、日本代表と戦った時に、僕がマークしているんです。
素晴らしい選手でしたよ。テクニックもありましたし。でも、僕も若い選手には負けられない!という思いがありましたからね。
──(三浦知良選手は)若くしてブラジルに渡って、たたき上げで名門サントスFCにいたわけですからね。
今だにポルトガルで(現役選手を)やっているんですからね! 本当に頭が下がります。
我々にとってはすごい夢を感じながらサッカーを観られますよね。
──そのブラジルにいたカズさんが、日本に戻って来てくれて、そしてJリーグの代名詞とも言える選手になってくれた。ヴェルディではどういう選手でしたか?
プロフェッショナリズムがすごく強い選手ですから、若い選手たちにはすごく良い影響を与えてくれましたね。厳しさもありましたから。
──僕の中では、カズ選手は、Jリーグの最初の頃はきらびやかなイメージがありますが、あの頃から、カズ選手はストイックだったんですか?
ストイックというか、僕は何人もの選手に「もう頼むから練習をやらないでいい」と言いましたけど、その中の1人ですよ。ヴェルディはそういう選手が多かったですけど。
──でも、やっぱり、“夜の街に遊びに行く”みたいなイメージがありますよね(笑)。
それ、一番最初に行くのは、武田ですね(笑)。練習は良くしていましたけど。
やることはやってオフは切り替える、ということがすごくうまかった選手が多かったですね。
──そういうメリハリがあったから、ヴェルディはあれだけ強かった?
と、思いますね。強いチームって、リラックスする時間だったり、自分たちをオフにする時間がすごく大事ですから。それをうまくやれた選手が多かったチームで、すごく助かったなと思います。
──大人のチームだったんですね。
僕はいまだに言うんですが、「(当時のヴェルディは)個人事業主のチームだ」と(笑)。だから、みんな社長なんです(笑)。みんな、社長(選手)が責任を持ってやってくれる。だから、監督は楽ですよね。
──この番組では、ゲストの方にCheer Up Songを伺っています。今週も、松木安太郎さんの心の支えになっている曲を教えて下さい。
僕はいろんな音楽を聴きましたが、そのうちの大好きなグループの1つが、クレイジーケンバンドさん。
とにかく詞が面白くて、いろんなミュージックがあるんです。
新しく出たアルバムの中に「ドバイ」という曲があるんですけど、その曲を(選んだ)。
僕らは中東アジアとの試合が多いですから、ドバイにも行ったりしますけど、やっぱりすごく豪華な感じがありますよね。(この曲は)“ドバイに行ってるのかな? 行ってないのかな?”という歌なんです(笑)。行かなくても、ドバイをイメージしているという…(笑)。
また、クレイジーケンバンドとは世代が同じですから、(曲の中で)使う言葉とかに、(シンパシーを感じるような)流行り言葉が出てくるんです。それがまた、“たまんねーな”という(笑)。
──最後に、30周年を迎えているJリーグで、“面白いサッカーをするな”と思う、チーム、監督は?
どこのチームも楽しさはあるんですけど、ただ今シーズンは、(ヴィッセル)神戸がやっと来たじゃないですか。
──あれだけ強化して、イニエスタ選手も呼んで。でも、今シーズンは体調のこともあってイニエスタ選手も出ていないのに、好調ですよね。
でも逆に、彼らが、すごく良いものを、選手たちに、チームに残していった。そういう期間があったからこそ今があるんだと、僕は思います。
彼らがいなくなって、自分たちでなんとかしなきゃいけない。そういった意味では、1人1人の選手が責任感を持って、当時のヴェルディに似た雰囲気を各選手が持っているチームの1つだなと感じます。
──Jリーグが出来た時、世界中から有名選手を集めましたが、その影響というのは、何年も経って実を結んだ?
そう思います。ああいうチームが出てきて、そのチームを食っていくようなチームがどんどん出てくると、Jリーグは面白くなりますね。
──そう考えると、「2050年までにワールドカップで優勝目指す」という先週の話に戻りますけど、まだあと27年あると思うと…?
“(日本の)優勝あるか!?”と。…そうか。じゃあ、あと27年、頑張らなきゃいけませんね(笑)。
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